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98.5.30
newtonとマッキントッシュ

 今日はnewtonについて少し書くよ。

 今更開発が止まってしまったデバイスについてあれこれ書くのは負けおしみかもしれない。けれど、書きたいこと結構あるので、やっぱり書きます。
 少なくともこのページはニュートンなしには存在していないし。

 現在、僕は電車で会社に出勤しているんだけれど、その行き帰りにだいたい3から5枚のメモをニュートンにとっています。また、スケジュール管理もニュートンで行っています。「何をすべきか」とかね。
 ニュートンがどのようなユーザーに効果的なのかというと、まさに「紙の手帳」を愛好している方だと思う。windowsCEなんかは、これらとは全くターゲットになるユーザーが異なるのは明白だよね。
 ターゲットがにているのはpalmpilotかな。

 ちなみに「紙のシステム手帳」を愛好している方は、ザウスルが良いと思う。でもその領域もニュートンはカバーしているとも思う。ただ、でかい。スケジュール管理にあんなでかい筐体は必要ない。

 ニュートンは僕にとっては「アイディアをためておく」ためのものだ。メモって元々そういう意味合いがあるけれど、ニュートンはそれに都合がいい。
 アイディアって決して言葉だけではない。それは図形であったり、あるいは音であったりするんだよね。そしてそういたものが混在しているのが「アイディア」なんだ。
 今まで、それをすべて書き留めておくものって紙だけだった。でも紙って散らばってしまう。そして紙のデータってものは整理できないんだよね。並べ替えたりんぬき出したりコピーするためには、時間がかかる。手間もかかる。するとどうしても紙のメモは丁寧に書かざるを得ないんだよね。メモだけどいきなり完成型をつくらなければいけないんだ。
 これってアイディアのもつスピード性の逆をいってる。

 やっぱりデータはデジタルの方がなにかと管理しやすいんだ。ただ今までのデジタルの媒体は、素早くそれらをまとめることができなかったんだ。起動に時間のかかるデバイス。記すために必要ないくつもの手間・・・。

 それらを解消したデバイス、os。それがニュートンだったのだが・・・。

 ちなみに、アイディアをためておくのがニュートンならアイディアを形にするのがマッキントッシュだと僕は思っている。機能からしてそれは間違いない。で、そうなったときにニュートンは問題を持っているんだよね。

 データの互換性が中途半端なんだ。

 ニュートンが持っているベクトルデータはビットマップになっちゃうし、テキストを持ってくるだけでもいちいちフィルタをとおさなければいけない。なにより、ニュートンの中を直接外付けハードのように覗くことができないんだぜ?これってすごく不便だ。
 ニュートンとしてのまとまりは申し分ないんだけれど、これがとってもネックだと思う。せっかくのアイディアもそのデータをマックにもっていきたくなくなってしまうんだ。
 したがって私はニュートンにいくつかの言葉をひらめけばメモし、それをみてアイディアを整理してこういう原稿を書くようにしている。でもそれだけでも十分に画期的。ただ、詰めが甘い。

 マックの世界では来年の頭には「マックPDA」なるものがでるらしい。これって結局ニュートンの焼き直しだと思う。マックOSでニュートンのようなメモ心を心得たデバイス、インターフェイスができるかどうか疑わしい部分もある。けれどデータの互換についてはまったく心配する必要がない(と思う)。だから、期待してこのデバイスの登場を待っている。

 ただ、金に余裕があれば今あるニュートンデバイスのすべてがほしい。
 それくらいニュートンが好きだし、生活に必要だ。

 マックPDAが失敗したら・・・その時は喜んでニュートンを選べばいい。

 意外に豊かな選択肢があるなぁ、よく考えると・・・。
 (でもニュートンは本当によくできている。)
 



 imagination is everything!
 久保田利伸がラジオでいってました。






98.5.28
偉大な才能

 他人を他人として尊敬できるということ。
 (つまり、身内ではない、ということ)  






98.5.27
商品について

 人生はできればより多くの人と、きめ細かい心遣いをもって出会い、通じていたいものだ。でも、それはかなわないだろう。それをするには、人生は短すぎるし、人間が年をとるのも早すぎる。
 かなわないから欲望なのかもしれない。

 でも、商品にはそれができる。
 良い商品はきめ細かい。だからこそ多くの人に伝わっていく。
 人と人のつきあいはお互いの心を隠すことから始まるが、人と商品のつきあいはいきなり心の底にふれることができる。
 嗜好する、とはその人の本心がもつ本能だ。

 人間には限られた時間しかないが、それを乗り越える力もある。
 イマジネーションだ。

 良い商品にふれ、顔も声も分からない制作者を自分なりに想像することができる。
 自分にもし似た力があったら・・・と思うこともあるし、自分もこういうものを作ってみたいとも思う。自分の仕事のフィールドで、同じような質の高い仕事をしてみたいとも思う。思うことができる。

 共感、ではないだろうか。  



「喧嘩を始めるには勇気はいらないが、喧嘩を収めるには勇気が必要だ。」
 尊敬する、故・戸山為男調教師著「鍛えて最強馬を創る」より。






98.5.26
僕は線、他人は面

 自分ってのは、そんなにいくつもの目的や目標を持っているわけではないよね。目標がいくつか、そしてそれに向かって進んでいく資質が自分だと思うんだよね。
 人間は色々と雑多な存在だけど、とりあえず以下のように表して見ました。x,y,zがそれぞれ目標。そしてそれに向かってのびている矢印が、それで得た技術であったり、あるいはそこで得た思考、態度だと思って下さい。

 人間ってのは一人で生きている訳じゃないから、必ず他人と向き合うことになる。で、他人の意識が存在している感じをこんな風に表現してみました。

 ここでは簡単に他人の意識が見えているけれど、実際はこんな風に視覚的に他人の意識が見えない。他人の存在を理解する、あるいは他人が自分を理解する場合、「自分は自分にしかなれない」故のズレが起こるんだよね。それがこんな感じ。

 で、このズレってのは、「本当の自分の意識」「本当の他人の意識」とは似ていても異なっている。だけど、こうしたズレを言葉で表現して確認しあうことでだんだんと補正できる。そしてそういうやり取りの中で、お互いの意識を正しく確認できるんだと思うんだ。
 表現は言葉だけとも限らないかもね。

 で、ズレの部分を注目してみると、これって「自分でもない」「他人でもない」=「まだ見ぬ第三者」の部分なんだよね。お互いの意識を正しく通すことはもちろんだけれど、お互いがおぼろげに他人を想像したこと。そのおぼろさってのが実は大事な部分でもあると思うんだ。

 それらのやりとりでできた「面の部分」ってのが、自分では絶対に生むことができない大事な部分なんだと思う。この図では一貫してx,y,z軸の部分に色を塗っていないけれど、これは俺も塗って良いのか悪いのか分からないんだ。ケースバイケースだと思う。でも、塗れる自分でありたいよね。

 そして、その面の部分をふやしたいのなら、やっぱり限られた自分だけでは絶対的に足りないと思うんだ。繰り返しになるけれど、自分は「いくつか」。でも他人とふれあえば、その数は無数に増えていくよね。

 で、他人と関わったときに、その経験からもっと他の事を想像できる自分でありたいとも思うんだ。この人はこうだった。で、もしああだったら。もし、ああでなかったら?という問いかけ。それをした自分ってのが、下の図。

 あくまで、自分だけでは自分を得られないと思うんだ。「人に強く自分を強調すること=他人との関わりあい」だけれども、せめて同じ分、人の意見を飲み込める自分でなければ駄目だと思うし、そうしなければ結局狭いはんちゅうの自分しかできあがらないと思う。

 自分だけで面はつくれないよ。やっぱり。
 僕は線、他人は面だとおもうんだよね。

 ところで、最初の図からある「0」。これって何になるんだろうか?  







98.5.25
powerbookG3見てきました。

 新しもの好きの私は、早速新宿にpowerbookG3を見に行ってきました(本当はニュートンのスクリーンカバーを買いに行ってきた。)
 で、見た感想。でかいけどよくまとまっている。以下に私なりの利点、不便な点を書き記します。

<利点>
 見やすくて大きな液晶。
 その早さ(マジでレスポンスがいい!)
 キーボードピッチが広くて使いやすい。
 静か

<不便な点>
 一部ユーザーのためだけの"fn"キーの存在(softwindousのため)
 でかい(バックにはいる?)
 重い

 目的のはっきりした人間が買うなら良いマシンだと思うが、いい加減に買いたい人には、はっきり言って進められないマシンだ。
 そもそもノートブックとはなんであろうか?
 「持ち運ぶマシン?」
 だったらvaioでも買った方がいい。あるいはmacなら2400だろう。
 「持ち運べるマシン?」
 そういうあなたにはpowerbookG3は良いマシンだと思う。

 個人的に思ったのは、これは、SOHOなどで自分が営業であり、デザイナーである人むけかなぁと、思った。液晶だが発色は十分。パワーも十分。これは、はっきり言ってDTP可能なマシンです。積極的に外にでて色のプレゼンをする必要があるなら、powerbookG3に乗り換える価値は十分にある。
 また、机の小さい営業にも向いている気がする。「プレゼンする可能性もなきにしもあらず」というだけでキーピッチの小さい窮屈な遅いマシンをつかうならこっちの方がましだ。普段は入力のしやすいキーボード。そしていざとなったら外にも持ち出せる。広い液晶は「2人でもゆったり」のぞき込める大きさで、本当に快適にプレゼンできると思う。必要があればwin環境もあるし・・・。

 こういうマシンがでてきたことによって、余計にPDAとの住み分けが進んでいるのかなぁ、とは思いますね。  







98.5.20
future again

 「未来は二度やってくる」って思うんだけれど。

 たとえば、悲しいことだけれど、「第一次世界大戦」が終わったけれども、「第二次世界大戦」が起こってしまったよね。
 逆にうれしいことでも、似たようなことが起こったこと無いですか?
 デジャヴっていうのも、ある意味「過去に体験した未来と、とてもよく似た未来の再来。その不思議な感覚」って事なのかな?
 とにかく、同じ未来というか「同じような未来」がもう一度やってくると思うんだ。人生には。

 もし失敗しても似たようなチャンスがどこかでやってくると思うんだよね。だから、失敗を反省して、次の似たような未来では失敗しないようにすればいいと思う。
 もしうれしいことがあったら、それを忘れないで大事にしていればいい。そうすれば次の似たような未来で、もっと沢山、長い間喜べると思うんだよね。

 まったく同じ未来じゃない。「似たような」ってところがミソだよね。失敗しても成功しても、「似たような」っていう漠然な部分が救いになったり、あるいは油断を生んだりすると思うんだ。
 これはまさに毒であり蜜だね。

 良い未来を体験したとして、それに似たような未来にもっとよい体験をしたら、次はもっともっと良くできるかもしれないぜ。
 何か夢をみていれば、それによく似た未来が次にやってくるかもしれないぜ。
 記憶や空想も現実の一部だ。次の未来はそれをかなえるチャンスなのかもしれないぜ。
 失敗したあのときのチャンスが、そっくりにまたやってくるかもしれないぜ。

 今日がんばれば、きっとまたがんばれるだろう未来がやってくると思うんだ。
 
 だからこそ、自分の手にかかっている。
 それが未来だと思うんだよね。

 でも、結構大変だねぇそれも。正直な分だけ。  



 http://www.venus.dtinet.or.jp/~yos/newton/
「ユーザーも含めてnewtonというなら、newtonは死なない。」
 newtonの素晴らしきアプレット開発者、Yosさんの言葉。






98.5.19
インターネットに言葉を残すわけ

 実家帰ったときに寺の坊さんの話聞いたんだけど、母曰く
「うちのお寺のお坊さんはねぇ、『死にたくないなぁ』っていってたってさぁ」
 っていうんで、俺が
「なんで?」
 って聞いたのね。そしたら母が、
「『死んだらみんな私のことを忘れてしまうから』っていったんだってさ」
 といった。

 もし俺だったら、ま別に忘れてもらってもかまわないなぁ、と思う。だってさ、生きていくって事はさぁ、結構覚えていなければいけないことって多いじゃん。もし俺が死んだとして(長生きはしてぇ)、でもわざわざ人様に覚えていてほしいと思わないね。その記憶のスペースはもっと他の大事なことに使ってほしいと思う。
 覚えていたい人だけ、勝手に覚えていてくれれば十分にうれしい。

 でも、それとは別の気持ちもある。というか、俺のことは憶えてくれていなくてもいいが、俺の考え方やひらめきがもし役に立つのなら、それは是非伝えたい。

 みんなの邪魔にならないように、でもそれでいて風通しの良いところに自分の思考を残しておきたい、と思う。
 そういう目的に今一番合致している媒体、それがインターネットなだけです。
 







98.5.18
iMacの秘密

 iMacはほとんどディスプレイサイズのパソコンなんだけど、どうしてあんなに小さくできたのかなって思ってたんです。その謎がついに解決。あれは結局ノートブックだったんですね。ロジックボードが。
 ノートブックのロジックボードに液晶ディスプレイの代わりにふつうのディスプレイがついているんですね。だからあんなに小さい、と。USBポートも100base-Tのイーサネットカードも入っていると。
 コンパクトってのは家電の必要条件だと思うので、こうした配慮とコンセプトは良いと思います。拡張性が全くないと発表されていたんだけど、この種明かしをしれば、それも納得。

 一番安いpowerbookG3って感じですね。デスクトップですが。
 



「買いたい時が安値」
 おもちゃ博物館、北原さんのことば。






98.5.17
仕事について

 早いもので社会にでて一年が経ちました。一年経ってみていろいろな感想がありますが、早い話、ぼくもすっかり「よごれになったなぁ」って感じです。

 新入社員は元気ですし、いろいろと偏見や疑問を持っています。新人研修の時期にそういった疑問に答えてあげ、偏見を取り除いてあげたいと思うのですが、なにせ忙しい仕事が先決になってしまい、なかなか時間を割いてあげられません。
 個人的には新人研修の時期ってのは、生涯の仕事を決める大事な時期だと思います。また、会社自身が問われているとも思います。
 新人が仕事を「こういうものか」と捕らえる最初の時期が新人研修の時期です。この時期に正しいしっかりとした仕事への意識をつくってほしいですし、仕事に最低限必要な技術と知識を養うための最低限の技術と知識を養ってほしい。そう思います。

 そのような結果を得るためには、会社としてきちんと新人研修の時間を、「仕事として」割く必要があると思います。ほとんどの会社は目の前の仕事を先決としてそれをしませんが、そのために管理職がいるのです。うまく時間と人を動員する。ある意味、この時期は管理職の見せ場の時期だと思います。

 私の会社は残念なことに、非常にいい加減なon the job trainingで新人研修をごまかしています。はっきり言ってなんの実りもない、と私は思っていますし、新人はかわいそうだと思います。いざ仕事に手を染めるとき、何もよりどころになる知識がないのです。

 社会にでたときに仕事がまったくできない不安、仕事がまったくわからない不安を想像してください。新人研修を終えて仕事に携わったときに、そのようなショックを受けてしまったら、仕事に積極的にはなれないでしょう。新しいアイディアを提案することなどはもってのほかだと思います。
 「自分は足りない」という劣等感だけが、その人を支配してしまうでしょう。

 仕事の疑問というものは、ある程度、あるいは何かわかっていることがあって初めて生まれるものです。
 例えば、私は全くフランス語が分かりませんから、フランス語会話を聞いても、疑問なんて生まれません。英語なら多少分かります。もし英会話を聞いたなら「あの単語が分からなかった」とか「ヒアリングは難しいね」などの疑問を持つことができます。
 なぜ英会話には疑問を持つことができるのでしょう。それは偏屈ではあったけれども、中高と英語教育をうけ、アルファベットを習い、英語の基礎を習ったからです。
 これと同じ事、あるいはそれ以上を新人研修として会社でしてほしいのです。

 英語教育との比較でいえば、いきなりネイティブの英会話の中に、アルファベットがかろうじて分かる人間が放り込まれた。私の会社の新人研修はこんな感じです。
 確かにこれはこれで魅力ある研修かもしれません。もしあなたがこのような仕打ちをうけたらどうでしょう?こんな乱暴な研修で英会話を自信をもってマスターできますか?
 これはあくまで理想論なのです。

 間違っても新人を仕事漬けにしてしまいたい。そのための洗脳時期として新人研修をもうけてほしいと考えている訳ではありません。仕事以上に個人の時間は大事です。
 
 その個人の時間を快適に過ごすためにも、仕事を自信を持って進めてほしいと思うのです。成功、失敗は誰にでもついてきます。常に成功してほしいとは思っていません。無理ですから。ただ常に考えてほしいと思うのです。考えるためには知識も経験も必要ですし、なにより態度が必要なのです。
 そういったものを身につけてほしいと思っています。そのための研修をといっているのです。

 仕事を自身をもって、あるいは信念をもって進める。そうでなくとも考えるところをもって進めていく。
 私は、いい仕事ができるからこそ良い私生活があると思っています。
 下手な残業をしなければいけない技術で、自分の時間をつぶしてしまうのはばからしいでしょう?時間の掛かる仕事で残業はやむを得ないのに、残業というだけで愚痴を言ってしまう自分は悲しいでしょう?
 そういうストレスを私生活の時間にもって帰ってもなんの得もありません。自分の時間を正しくつかみ取るためには、その反対側の仕事をきちんとこなす自分が必要です。自分の時間に色々なことをしたければ、そのよりどころのお金が沢山ほしいなら、いい仕事は必須です。

 極端に簡単に仕事を捕らえてみます。

 仕事とは社会奉仕なのです。その見返りとしてお金が支払われるのです。
 社会的に他人と関わる唯一の方法。それが仕事です。

 仕事に存在価値がある、という本当の意味はこの点です。自分が社会で誰かと関わるとき、他人に奉仕できるかどうかというのは仕事そのものなのです。
 すっかりつまらなくなってしまったといっても、私たちの生活は沢山の会社の仕事のおかげで成り立っています。着ている服も、食べてる食事も、このマックもみんなそうです。会社の仕事の結果が私たちの生活に奉仕してくれている。私から見て価値があると思うからお金を払っているのです。

 確かにこのままでもいい。でももっと良いものを自分なら作れる。作ってみたい。そういうチャレンジが私たちの生活を豊かにします。そういう奉仕活動が仕事なんです。「もっと」という部分に仕事のおもしろさが隠れていますし、そこにその人の想いがあるのです。

 そう考えると自分はなにができるでしょうか?自分だけのものができるならきっと心の風通しも良くなるでよう。自信と勇気が沸いてくることでしょう。
 できる人間がやるしかないのです。できることをやることが大事だと思います。
 その時に改めて大事なのは、技術と思想ではないでしょうか?それらだけが現実に結果を生むのです。そう考えるとはじめに戻りますが、だから新人研修が大事だと思います。大きいサイクルで考えて、やはり大事だと思います。

 ここまで書いてきて、私の意見はかなり理想のバイアスがかかっているとも思います。それを私自身も理解していますが、現実がそれを邪魔しているわけではありません。現実に作り上げてしまった大きな慣習がそれを難しくていると思うのです。
 
 長き時間に積み上がってしまった「社会の仕組み」という偏見をどうやってとっていきましょう?よくわかんないですけれども・・・。

 それらが消えるのを他人任せに待ってから、やっと一から技術を学んでいきますか?もし俺がそれしたらとっくに死んじゃいますよ。
 いい仕事を、そういった偏見とがりがりやりながらそれでもこなす。そうやって二つの事をやりながら、壊していく。
 それしかないんじゃないかな、と私は思っているのですが。

 そのためにも、良き仲間がほしいなぁ。
 だから新人研修が・・・(以下略)  



「砂糖も塩も見た目は同じ」
 マークパンサーがラジオでいってました。