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98.10.27
神雨

 東京競馬場に競馬を見にいってきた。で馬券も買った。外した。
 競馬場から帰るとき、私は必ず大国魂神社へよるようにしている。競馬場から歩いて5分程度。賭け事をしたという汚れを落とす為に「禊(みそぎ)」の儀式を受けにいく。そんな気持ちで通い始めて3年は経っている。

 いつもは境内を眺めているだけだが、いつもよりもう少し観察をしてみた。神社の端のほうに何やらにぎやかなものがある。絵馬であった。
 競馬場に近い神社だ。よっぽど馬券のことが書いてあると思い、失礼ながら絵馬を読んでみる。「病気」「けが」。これについて書かれているものがほとんど。特に「元通りの体になりますように」「元通りの生活ができますように」という文章は胸を打つ。普段は不満ばかりが目立つ毎日だが、いざ健康を失ってみるとその大事さ、ありがたさが身にしみるということだろう。勉強させてもらった。
 「希望の幼稚園に入れますように」という願い札も目立った。不思議でしょうがないのだが、何故「幼稚園」ばかりが目立っていたのか。すべての絵馬を見て回ったわけではないが、「高校」「大学」よりも断然多いのは、やはり競争社会は早くから始まっているということか、あるいは英才教育は最初が大事ということか。
 「実力が出せる仕事が見つかりますように」という絵馬があり、思わず共感。
 競馬の絵馬もあった。「ナリタブライアン 君への愛は 永遠に」という文句がまたも胸を打つ。名馬の偉大さを、思いがけない場所で再確認した。ちなみに馬券について書かれた物は見当たらなかった。汚らわしき物………。
 つい夢中になって何枚も何枚も絵馬を読んでしまったが、雨に消されて真っ白になった絵馬も何枚か見つけた。

 願いは叶い役目を終えた。
 絵馬の文面は、だから雨にさらわれたのだろうか。


 え、まだ私の方にリンクページないんですけれども。
 よかったら誰かリンクして下さい。
 その旨メールしていただければ、きっちりこっちもやりますんで。






98.10.23
20世紀を代表する唄

 小室哲哉が「20世紀を代表する歌を歌えるシンガー」をオーデションするらしい。でもこれは企画からして無理がある。小室哲哉に才能が無いというわけではない。また、まだ見ぬシンガーに歌唱能力がないということでもない。

 小室氏曰く「20世紀を代表する歌は「スキヤキ」だと思う。それを肥えられるかどうか作曲家としてやってみたい。」とのこと。私もスキヤキ(上を向いてあるこう)が代表曲だと思う。中村八大や浜口庫之助が静かに脚光を取り戻しているが、彼らの曲は印象深く歌いやすく日本語だけで歌詞が成り立っている。なのに洋楽のような雰囲気を持っているのだ。「薔薇が咲いた」「愛して愛して愛しちゃったのよ」などを聞き返していけば、いかに彼らがアバンギャルドだったか分かるだろう。

 そして「スキヤキ」。この歌は日本でもトップになり唯一の海外ビルボード一位になった日本の曲である。海外アーティストがリスペクトしてくれ、ラップ、コーラスなど様々なバージョンでカバーしてくれる。日本国内においても、今なおそのメロディは人々になじみ輝きつづけている。

 「スキヤキ」は良い歌だ。だから歌い継がれてここまでの曲になったのだ。歌い継がれて、世紀末。20世紀を代表する歌を選ぶ際にノミネートされるのだ。
 そう考えたとき、今から小室氏が歌を作ったとしても「歌い継がれる」だけの絶対的な時間が足りない。「歌い継がれる」ことが必要条件なのにだ。
 したがって、残念だが「今世紀」を代表する歌になるのは、時間的に無理だと思う。

 しかし、たとえば「人類を」とか「21世紀を」というスパンでの代表曲になれないわけでもない。
 要は、今からなのだと思う。

 別に世紀末に限った話ではないのだ。歌というものは要するに。






98.10.22
ストレス

 ストレスが溜まったとき、私の体は大食いの衝動に駆られる。

 これは自分でもはっきり分かっているのだが、食物がぐいぐい喉を通る快感をほしがるのだ。満腹感とは違うこの快感を、ストレスが溜まったときに私の体は必ず求める。

 しかしながら、そういう食生活が健康によいはずもなく、私は悩む。精神の満足をとるか、体の満足をとるか・・・。どうしようか悩む。

 私のニュートンに書いた言葉。

 「自分を律する心」

 ストレスがないうちはそれができるのに、ストレスが溜まると、律せなくなってしまう。
 そういうときこそ、律する心が大事だというのに。

 答えのでない日々。


 バックナンバーのアドレスが変わりました。
 001から006empty.htmlと入力すると過去ログにたどり着けます。今まで公には公開していませんでしたので、サービスです。
 よかったら感想でも下さい。taka0205@fa2.so-net.ne.jpまで。






98.10.21
ささささ、競馬がはじまるっす。

 おいしょ。ってなかんじで、秋ですな。冷たい雨が降ってます。

 今週末は競馬界ではビッグレースの幕開け。G1レースって奴が年末までバンバン続きます。これが競馬ファンの楽しみであり苦しみ。んー。デリシャス!

 今週は秋華賞ですね。4歳の牝馬限定レースです。で、個人的には今週は固いと見ています。ファレノプシス-エアデジャブーが本線。あとは流しで適当に買うことに決めました。
 本命はファレノプシスですが、体重が減っていたら対抗に落とします。また、エアデジャブーが+6キロ以上12キロ未満の馬体重増だったら本命にします。このときファレノプシスが適度の馬体重増だったら、これが本線で遊び程度の流しにします。単勝エアをしこたま買わせていただきます。

 あれるのは菊花賞でしょう。あと天皇賞秋のヒモもすごいのが飛んでくる気がします。
 菊花賞は馬場が悪かったらスペシャルウィークは来ません。そうでなくとも本命対抗になるような馬はどれもステイヤーではない。なので、トライアル5着馬までをもう一度検討してみます。

 と、こういった事は大崎の会に書くべき事なのですが・・・。大崎を見ていてこっちも見ている方は

 「ってっめーー。大崎の方も更新しろよ。」

 と思われていると思いますが、新企画そろそろアップしますんで勘弁して下さい。HTML書くのがグラフィカルでないと書けなくなってきたぞ・・・。


 「旅に出してみるもんだな、体は」
 桃井かおりが雑誌のインタビューで言ってました。(雑誌はWINDSというJALの雑誌です。)






98.10.19
満腹の朝陽


 体に余裕がある日に、朝の日の出を見たりするとでっかくってとっても力がわいてくるときがある。しかし、毎日が疲れるばかりとなると、そんな朝陽が登り切った頃に家を出る。
 疲れていても頑張って朝早く起きて昇る朝日をみたなら・・・。

 力強くがんばれたりするのかもしれない。
 そう思うと、人生は都合の悪いように進んでいるのかなぁ、とも思う。


 などと書きたかったのではなく、ただ単純に「朝陽」という600円で旗いっぱい食える飯屋にいったので。
 あそこの仕事はほんとうに人を元気づける。
 いい仕事してる。

 マジで元気づけられる。いやぁ。


 会話のない会話というのもある。






98.10.17
雑学の道


 哲学の道というのがある。あるらしい。
 私はここを通った気もするし、未だ訪れていない気もする。
 ただ、「哲学の道」と聞いたとき、なんとも細く長い坂道を想像する。道は一本。いつになれば終わりがくるのか。
 哲学の道と聞くと、終わりのない一本道を想像する。

 「雑学の道」などという物はないが、これを聞いて私は次のように想像する。
 見渡す限り丸い地平。何もないただっぴろい空き地。道なんかない。ただとにかくつぶさに足下を見て回る。似たようで違う石が草の間に転がっている。それをポケットにしまってはまた探る。
 そんな印象を受ける。

 哲学の道は一つを拾っては捨て、拾っては捨てる印象を受ける。多分、最後まで求める物は「完璧な一」であるのだろう。
 雑学の道はとにかくいろんな物を拾う。とにかく限りない物を限りなく集めていく。そんな印象である。

 個人的には、私だったら歩いていて楽しそうなのは雑学の道である。極めたいのもそちらだ。
 そもそも、私という人間は色々な人から受けた影響の寄せ集めであり、そういう意味でもより多くの物を集めていきたいと思うからだ。

 僕というコアな部分を育てるのが哲学の道だと思う。
 そのコアな部分が雑学の道を歩き、色々な広がりを集めていくのだと思う。






98.10.15
webデータベースへの考察

 楽器屋に行ってMIDIのボックスをさわってみたくなることが多々ある。デスクトップミュージックというのは僕の高校生の頃からの夢で、いつか叶えたいと思っている。
 しかし、なんだかよく分からないボタンが沢山並んでいる。だもんでさわれないで帰ってくる。一応それを操作しているマックの方にも目を向けるのだが、やっぱり見慣れないボタンが沢山並んでいるので、だまって帰ってくる。寂しい思いなり。
 別にいきなりすごいことをやりたいわけではない。だからちょっとだけ分かればいいのだけれど、どれをさわっていいのかわからないし、どういう音が出したいのか、自分でもよく分からない。
 ただ、見慣れた画面だったら、もうちょっとなんとかなったかもしれない。

 沢山の情報があって、自分がどれを探しているのか分からない。どのボタンを押せばどうなるのかも分からない。それがデータベースのもつ取っつきにくさだ。
 これをできるだけとっつきやすく、わかりやすくする。そのためには見慣れている限られたボタンの数と、数えられる程度の「探したい条件」が必要だ。
 今一番見慣れているのが、多分ブラウザである。そして限られた情報で検索して、できるだけ数少ない検索結果を出せるよう心がける。
 それが、私が考えるwebデータベースの基本だ。

 そのために今は、ファイルメーカーを使用している。創りやすく、変更しやすく、書類自体がレイアウトを持っているから使っている。サーバ機能をもったデータベースソフトは今のところこれ以外ないのも理由だ。
 弱点はサーバ機能がちょっと弱いこと。OSがマックとウインドウズに限られていること。Mac OS Xのころにはそれに対応したサーバ機能バリバリのファイルメーカーが出て欲しいと思う。私の想像できる範囲の、手に届く範囲の集団程度は、このソフトで十分にまかなえる。ファイルメーカーには期待している。とにかくすぐ作れることは、すぐ変更できることは大事な点だ。

 ファイルメーカーのようなタイプのデーターベースソフトは「カード型データベースソフト」という。が、ブラウザを通して操作する時、ユーザーはそんなことはみじんも意識しないのである。どういうタイプのデータベースソフトであろうが、反応が早ければそれでいいし、できることだけで要求がまかなえるのなら、他の機能はあってもなくても問題ない。

 データはつけ始めると楽しいし、いざというときに役にたつ。忘れても構わない安心感はそのまま他の事への集中力になる。しかし、データをつける作業は、今ちょっと空想するよりはだいぶん手間である。めんどくさい。
 そういうめんどくささを越える、使いやすさ、楽しさ。それがどんなデータベースにも必要である。

 これは教育と全く一緒。


 以上は、個人的な覚え書きの域を出ない。
 念のため。

 


参考:
 注目のデータベースWeb発信システム GoLive Web Publishing Systemは999ドルから
 FileMaker Forum '98






98.10.14
best days

 97年はベスト版がブームらしい。
 b'z、サザン、去年だけどGLAY。俺にとってこの中で興味のあるのはサザンだけだな。んーでも今年はベストの年というより、ジャパニーズサウンドの復活の年だという気がする。特に、若手によってかなりクオリティの高い物ができあがっていると思う。
 BOOMのMIYAがいっていたけれど、世界的に見て日本のいわゆる音楽ファンが知るジャパニーズサウンドってのはかなりクオリティが高いということです。あとはどこを夢見るか、ということを雑誌でいっていた気がする。ま、確かにそうかも。欧米を見たら夢はしぼんでしまうけれど、日本をホントに見続ければ、きっと今までになかったような物が出てくると思う。それは観客にとっても未知の興奮と、感動の始まりを意味する。

 で、bestに話を戻すとユーミンもベスト出すんだってね。ユーミンプロモーションうまいから売れるでしょ。そしてユーミンといえばU2。(「ユ」つながりは無理があるか?)今さっきもラジオでU2の「With or Without You」が流れていて、なかなかいい曲だと感心していた。
 でも、これに限ってはボーカルは対してうまくない気がするけれど・・・。そんなこといったらファンにぶっ飛ばされるかな?メロディの泣きの良さを引き出しているのかなんなのかしらんけど、歌い方、雑じゃないですか。でも楽曲としてはとってもいいです。

 で、さらっと歌詞聞いた限りでは、「I can live With or Without You」みたいなこと歌っていたけれど、これって結構深い歌詞ですね。普通は「I can't live Without You」なんだけどね。
 まあ、確かにあなたがいるから生きていけるし、たとえあなたがいなくなっても生きていかなければいかんのだと思いますよ。うん。難しいけれどね。

 だれでも生きていて無駄な人なんていないと思う。でもね、それはつまり誰かれ生きるために多かれ少なかれ荷物を背負わなければならないということだと思うよ。それは義務だし、生き甲斐かもしれない。

 とにかく、これぐらいの荷物に負けてたまるか。あなたもがんばってんだから。
 そう言って、また一日が過ぎる。
 With or Without Youだろうと。


 成功には忍耐が不可欠だ。私は経験からそう学んでいた。
 (中略)成功に至るハイウェイには、出口がたくさんある。つらくなると、ついつい出口に下りたい誘惑に駆られてしまう。
 (ギル・アメリオ/「アップル薄氷の500日」より)






98.10.12
騙す日々

 どれだけ仲が良くても、あるいは愛し合っていたとしても、信用していたとしても、それは全て騙しあいの日々ではないかと思う。
 人間はそんなに理想的ではない。できれば己を常に律して、正しい一本の道だけを迷わず進んでいたいものだ。けれど人間は欲求のマグマを、なんとか理性で押さえつけているに過ぎない。それらはいつも吹き出そうとする。吹き出したときにできるだけ被害が出ないよう、人間は祭りを創ったり身分をつくったりして工夫してきた。

 理性のたがが外れれば人間は支配したい生き物だと思う。相手の食べ物が欲しい。相手を自分の手足にしたい。気に入らなければ殴りたい。いじめたい。とにかく思い通りにやってやりたい。まるで赤ん坊のようだが、事実成長とは赤子でなくなることでなく、赤子を如何に隠すかである。

 そう考えると、理性は何とも頼りなく感じる。力なくひ弱だ。しかし、今日まであなたが上記のように感じることがあったとしても、そう行動したことはあるだろうか?多分ない。理性は賢い。したたかなのである。そして、物事を都合よく考える力を持っている。

 「あなたは騙されたい人だ。」

 答えはそれだけである。あなたはその人にならば騙されてもかまわない。いや、むしろ爽快ななのだ。かの人に騙されたらかえって良い結果が生まれた。気持ちの風通しがよくなった。
 じゃあ私もそうしてみたい。そうしてあげた。そしたら向こうも喜んだ。むこうも私に騙されたいのだ。
 確かに同じ気持ちもある。けれど違うのにそういう振りをするときもある。でもそれでいいのだ。その人といるときは。

 誰もが確かな答えを持っていないから、それを求め誰かを騙してみたり、誰かに騙されたりして、答えを探そうとする自分がいる。でも、その自分でさえも、普段は全く意識することはない。
 やはり理性はしたたかである。

 欲求は直情的に一直線にしか求めることができないが、理性はのらりくらりと物事をかわしながら、あなたを確かに、困難から守り明日へと導いている。

 だからこそ、理性は磨かれなければならない。
 欲求にやられないよう、欲求にも目を配らなければならない。

 できることなら、楽しい仲間や友達や恋人と、いつまでもお互いを騙しあいたい。お互いを磨き上げられるような騙しあいをしたい。

 つまり、仲良くしたい、信用したい、協調したい、守りたい、ということ。


 補足的にここに書き入れますけど、「騙す」=「悪いこと」というイメージはなしにしてね。
 逆説的に聞くけれど、騙されてなければ、じゃああなたは支配しているの?
 誰かの意見を聞き入れる、それを欲求に納得させるということが理性の仕事だと思し、そうやって「他人の意見を聞き入れる」=「騙される」ことすらもストレスにせず平然と楽しめる人間の知性の強さを書きたかったのです。
 それらを「信用」という言葉で納得するだけでなく、信用という「見えない共有しうる感情」を強く信じたり、伝えられる人間の知性って、とっても大切だと思う。
 欲求のもつ暴力性は突飛で僕等の中では際だっているけれど、そのわずかですら、信用とか仲間とかを簡単にぶちこわしにできると思う。
 だからこそ、強い理性で欲望を管理しなくちゃとおもっているんだけれど・・・。
 んーーー。






98.10.11
GOGOGOOOO!

 休日は休む日なんだけど、唯一の自分の時間。
 休むはずが、いろいろ有るのよ。

 んーーー。自分に悩むわ。まじで。
 ま、でもそういう迷いが自分を成長させるし、強くするんだ。

 逃げない。逃げない。
 卑屈にならない。

 迷いながらも、悩みながらも、考え続ければ、動き続ければ、
 見えてくる物がある。

 と、簡単に更新を済ませてしまいます。






98.10.9
一夜の明かり

 へっへへ。残業が増えやがった。
 今月は金ないから節約するはずが、気がつけばワインの小瓶をあけてやんの。はっははー。

 なんだってんだ。俺は。

 どかっとベッドに寝転がってたんだ。疲れたし。明日休みだしな。したらさ、タイトルの「一夜の明かり」ってのがふわっと浮かんできた。で、今マックに灯をつけて、こうやって文字打ってる。中島さんに「こういうつかれた日は長いの書けるんですよ。」とかいった手前もあるしな。でも、長いのは書ける保証がない。

 へへへ。結構きいてる。

 手紙がさ、大学の時にもらった手紙があってさ、読み直していたのね。俺は手紙となると結構女友達おおいからさ。そういうの読んでたのね。
 手紙、面白いね。多分結婚したとしても捨てられないよ。この手紙は。まあ、嫉妬するような相手も今はいないから別にいいけれど、結婚するときにこの手紙を大切にしていたら怒られるのかな?
 怒り役、急募って感じですか。

 とにかく懐かしさが漂う手紙は、若いんだけど真剣でいいのさ。それが俺に力をくれたりしてね。はは。あの時悩んではいたけど、あんまりこれってしていなかった。でもそういう時間の形見が、今俺を元気づける。
 ホント、人生に無駄な時間はない。noone's wastin' time.

 ま、人生といえばさ(やっとここで本題へのつなぎができた。)人生って人それぞれだよね。いや、中身もそうだけど、長さが。生まれてすぐ死んじゃう子供もいれば、うちの曾婆ちゃんみたく100歳までいきる人もいるしさ。まあ、分かんないもんなんだけど。
 で、結局人生の終わりって「死」じゃない。俺が今もおびえ、小学校一年の時からおびえている。あれ。そう、あれよ!奥さん!でその死って、いつくるか分からないんだよね。

 あ!

 っていう今かもしれないし、そうでないかもしれない。そう考えればさ、今日なんかつかれちったけど、だるいけど、それでもありがたい時間なんだよね。そう考えればさ、俺酒好きでもないけど(じゃぁ、何故今日飲んでる?、いや、でもなくてもいいです。マジで。)「いざ一献」っていう気持ち、よく分かりますわ。

 ベッドに寝転がったときにさ、月明かりなんて入ってこないわけ。で、あるのはかんかん照りな蛍光灯だけなんだけど、まあそれを月明かりと見立ててさ、「やぁやぁ今日も無事でした」なんて、とっくに乾杯してしまった酒のいいわけをするわけさ。

 多分外から見たらさ、狭い部屋の小さな窓の明かりですわ。
 ホント、お月さまからみたら、埃みたいな明かりをさ、「月」っていってさ。
 それで「よくやった、よくやった」って体や休めて自分励ましてさ。

 いや多分そういう人は俺以外にもいるはずでさ。
 ま、別に大げさに人生を、今日一日を捕らえることもないんだけどさ。
 大なり小なりそういったものの塊が地球なんだと思うとさ。

 眠るリライオン。動いてるコアラ。
 泳ぎっぱなしのカツオ。帰宅時のお父さん。
 俺、あなた。

 そういった物が集まってできている世界ってのにさ、すごく愛着だぁ愛情だぁが生まれて来ちゃったりするのよ。
 歌うもいいし、飲むもいいし、学ぶもいいし、愛せばいいさ。

 なんてな。

 酒が俺をロマンチストに変えているのかな?
 それとも一夜の明かりがそうさせているのかな?

 夜のガラスに丸い蛍光灯がぼやりと、月のように白んでいる。
 こいつだってもう少しだけ照らしてはその命を終える。

 そして朝がくる。


 花ちゃん忙しそうだぁ。
 足しにしてくれ。






98.10.8
評価する日々

 今日は、仕事に対する態度がおかしかったなぁ。まずかったなぁと反省の日。
 そんなことを考えながら暗くなる帰り道。ま、そこから反省だけを取り出して、次はもっとうまくやろうと、満足のいくようにしようと思い直す。

 まずい日があるから、欠点が分かるからよくなるんだし・・・。
 ま、そういう日もあるんだなぁ、とは思うものの、分かっているものの。それでもあんまりいい心持ちではないよね。

 ベストを尽くしているはずが、歯車が狂いだしてまずくなって。
 そして自分を評価して、見直しては、さらに向上しようと努力する日々。

 目的を持って続けていけば、見えなくとも身に付く物があるし、力になるものがある。

 それらはすごくうっすらと。


 クリーム色のトタン。薄黄緑色の屋根。時は夜。
 白い猫が背を向けて屋根の上で眠っていた。
 それが、何かに似ているのだがずっとわからなかった。
 で、今日。ふとわかった。
 あの猫の丸い背中。それを照らしていた青い月そっくりにみえたんだって。






98.10.7
3倍の自分

 和歌山の砒素中毒ですか。保険金殺人事件がの謎が色々と解け始めている。

 で、俺がどうしても解せないのは

 「そんなに金、必要ですか?」

 ってこと。
 贅沢は身に付いたら離れないというけれど、そんな感じなのだろうかと思った。

 全く別の時に、「もし俺の今の給料が3倍になったらどんな生活するのかなぁ」と考えたことがある。

 すむ場所は多分変えるだろう。今の部屋では狭いから。倍ぐらいの広さか、それこそ3倍か。これは給料相応にコストもかかるのかな、と思った。
 で、食費や小遣いも3倍になるのかなぁ、と思って少し考えた。

 思うに、給料が増えたから小遣いも増えるというのは、主体性がないのじゃないだろうか。まあ減ったときは仕方がないことだけれど。
 使える金が増えて、必要以外のお金を無駄遣いするようになった。それこそ「贅沢は身に付いたら離れない」のいい例だと思う。

 そうやってお金だけに支配しれていくのは、なんだか悲しい。そう思った。

 というわけでとりあえず私というのは小遣いは3万円。しばらくはこれでいくし、ずっとその心持ちでいこうと決めた。
 あまったお金は、本当の使い道が色々とあるはずである。

 3倍の給料がはいったからといって、3倍の自分になれるほど人間は簡単ではない。


3時に起きました。
気がついたら寝ていて、という感じ。
まいった。また寝ます。






98.10.4
舌の記憶

 どこもかしこもワインブームである。
 正直日本人にワインを味わえる舌があるのかどうか疑わしい。それが僕の心のうちである。しかしブームにのっかってワインなんかを買ってみたりした。うーん。普通。
 別にねーって感じ。あーあ、俺はワイン分からないのかなぁ、なんて思っていると甦ってくる記憶があった。

 あれは高校生の頃。親戚のにーちゃんがスペインとポルトガルに出張していた。おみやげにもらったのが赤ワイン(高校生に!)それを初めて飲んだとき、あまりにうまくって一気に瓶を半分あけたっけ・・・。なんて酒乱な過去が甦る(そしてだから停学喰らう。)
 でもマジうまかった。葡萄の豊かな味わいが濃く、味わいがぶっとく渋い。「ワインといえばフランスじゃなかろか?」なんて当時思ったが、大人になってもあれ以上のワインを飲んでいない。そんなことを思い出した。
 俺はワイン音痴でないことがわかった。今度はあの味が物差しになり、そして今まで以上にワインに不満が出ている。あの豊かさがない。味が薄っぺらい。それらはことごとく事実なのだが、それ以外の事に目がいかなくなってきた。
 というわけで、ワインに不自由している日々だ。別に酒はなくても困りはしないが。



 あれは高校生の頃。親戚のにーちゃん家に一人ぶらっと出かけていった。その時出会ったのが京都から来た祐子ちゃん(高校生だ!)君にあったとき、君があまりにかわいくって夜遅くまで話をしたっけ・・・。なんてウブな過去が甦る(そして初めて朝帰り。)
 でもマジかわいかった。黒髪がどこまでも美しく、物腰がしっとり柔らかい。「女性といえば北国じゃなかろか?」なんて当時思ったが、大人になっても彼女以上の女性に出会っていない。そんなことを思い出した。
 俺の女性を見る目は確かだ。今はあの娘が物差しになり、そして今までずっとに女性に不満が出ている。こいつは黒髪じゃない。あいつは大雑把な女だ。それらはことごとく事実だろうが、それ以外の事に目がいかなくなってきた。
 というわけで、女性に不自由している日々だ。別に女性がいなくても困りはしないが。



 舌が乾いてしまったときに、舌の記憶も乾いてしまった方が良かったのだろうか。






98.10.1
人と数字

 人間は数字では計れない生き物だ。でも本質はよく似ている。

 人間の個性はそれぞれきりがない。数字もきりがない。

 人は点数で計れないという。けれど本当の意味で数字ではかることはできるのではないだろうか。

 「おれ、酒のことになると30000点」
 「うっそー。俺5億点」

 みたいな。
 差にしたってそう。0.00000000000000000000000000000000000000000000000001位の個性の差というのもあるだろう。

 そう考えると平均的な人間像などあるはずもないし、実際計れない。

 なのに日本人はやけにそれを気にする人が多い。
 程々に酒を飲もうとするし、程々にカラオケする。程々に愛して、程々にベッドに入り、程々に仕事をする。しようとする。

 でも平均なんてないんだってば!(というかあるとすれば際限なく動き続ける点だ。)
 追えないって。

 え、追えてる?
 自己満足だとおれは思うよ。

 手の中と実際は同じだけど異なるからね。


 きょうはすれちがいでした。
 それもよし。