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99.10.24
プロの条件

 久々になってしまいましたが、ちょっと予定外のことで色々立て込んでしまいました。悲しい出来事は予定なく入ってくるものだと実感しました。そして、年をとるにつれ、悲しさがより実感されるようになりました。そんなことをまだ少し思い出したりするのですが、思い出す程に、突き抜けた秋空の青さが悲しくなります。

 仕事の方も色々考えているのですが、ふと「プロの条件」ってなんだろうかと考えた。その結果

 ・より多くの選択肢を持つこと
 ・その選択肢の多さに惑わされない決断力をもつこと
 ・そしてそれらが常にベストであるよう努めること

 となりました。
 最初の項目はこれが結局普通の人とプロの差だと思います。いろいろな局面で人間は選択肢を探しチョイスしていくのですが、専門家だからこそ豊かな、一点の視点に捕われない選択肢を持つべきです。そして二番目ですが、タイミングを逃さず決定する決断力。選択肢が多ければ多い程、この力が欲しいところです。一番目が知識のインプットとしたら、二番目はアウトプットかもしれません。

 最後は、本来なら「常にベストであること」とした方がいいのでしょう。しかし常にベストなら人間にミスや失敗はあり得ないと思いました。それに「努めること」が色々な勉強を引き連れてくると思ったので、そうした次第です。ミスした時にも落ち込まなくて済みそうですし。

 たったの三項目ですが、自分を振り返ると色々と考える部分がありました。仕事と言うのはある特定の分野に限定しがちですが、多くの仕事はお客さまあっての仕事です。お客さまが自分の得意文や意外の課題を僕らに問いかけることもあるとは思いますが、そういう局面も含めて、上記のようにありたいなぁ、と思ったりします。「自分の分野じゃないから」といわずに、柔軟に考えることのできる頭が、理性が、行動力が欲しいなぁ、とは思いますよね。

 実につけたい。


最近インプット多いです。向田邦子の本をちょこちょこ呼んでいます。
寺内貫太郎一家、彼女の脚本ですね。忘れてた。
英語版のtime買ってみたり。






99.10.7
迷っている時間は、あんまり好きじゃない

 昔は、落ち着いているとか、気が長いと言われていた。そして今もそんな素質は残っている。実際、私生活ではのんびり屋で、時間にルーズに動くことが楽しい。
 でも、仕事では別である。

 20代で仕事をあきあき、つまらないと言って過ごしていたら、それでもう終わりじゃないかと思っている。社会で油にのっている仕事世代は30から40代だろうか。そう考えると20代というのはまだまだ若い。会社勤めで一生の用を済ますなら20代をのんびり過ごしてもいいだろう。でも、そういう気がないのなら、20代後半はすでに勝負の時間が始まっていると思うのだ。

 実際の話、今年俺は25になるのだが、ここからが新しいステージという気持ちが強い。あせっているのかもしれない、そしてそれは事実かもしれない。でも、何もしないことに不安を感じるし、我慢もできない。そして「つまらない」と「あきあき」している現状があるなら、それこそ我慢できない。つまらないなら楽しくしたい。下を向くよりも上を向いていたいのである。

 会社でギャップを感じるのは、「問題を解決しようと動かない」ことだ。問題はある。それは認識している。でも、何もしない。まだ早いと言う。いつかやりたいと言う。俺は思う。あんたの「いつ」は何月何日だ?その時はあなたにとって明後日かもしれない。でも俺にとって、それは今なのだ。そのギャップがまずもどかしい。馬鹿らしい。

 大人になったらいつか・・・と思っていた。そしてその時がやってきたのだと俺は思っている。でも会社の多くの人は、まだ「いつか・・・」なのだ。いったいいつになったら「いつか」が来るのか。終わってから気付くことなら誰でもできるのだ。

 俺にとって、やっと毎日が「いつか」の日になった。それは辛く、そして楽しい。スリリングでやりがいのある日々だと思う。もう、物事をいろいろとスタートさせていく時だと思う。そして物事はスタートが終わりではない。何かを始め、それが蓄積してこそはじめて「モノになる」のではないか。
 だから、それをやるかどうか、特にそれをやりたいと思っている時の迷っている時間。それが後になれば、よかったりわるかったりするの。けれど、今は迷えばノリが悪くなる。だから、そういう時間はあんまり好きじゃない。

 スタートすることは、何かを成し遂げることではなく、ただの第一歩。そしてコストがかかったとしても途中でやめることができる(それはそれで痛いが)。だからとりあえずやってみればいいと思うし、いつまでも積み上げのための第一歩が踏めないと言うのは、冷静に見れば意味がないと思っている。

 迷う感情は理解できるが、それを越えて、始めることが大事なのだと思う。
 そしてそれはすぐに。気持ちが自分を後押ししている内に。


 やらない人は、迷うことだけを正当化する。
 でもね夢中になって、遊ぶことはできるんでしょ?同じだと思う。






99.10.5
birds are flow

 彼女を傷つけたことは良く覚えている。それから自分に自信がなくなって、ネガティブなことをどんどん考えるようになっていく。つまらないことを言ったり、嫌味な口をきくようになる。だから気まずくつまらない時間がやってきて、僕はもっと自分が信じられなくなる。
 その頃には、僕が彼女の笑顔を呼び出したことさえ忘れている。大事なことは、いつもささやかで、あたりまえに過ぎていく。そのことを大袈裟でなく、心に持ち続けることができれば・・・。自分を、当たり前に信じることができた。

 ただそれだけのことを、多くの人がたくさん悩んでいるだろう。
 ただそれだけのことなのだ。

 一時期、ポジティブ思考といって、なんでもかんでも無理矢理前向きに考える「無理」がはやった時期があった。失敗した時にミスの原因は求めずに、無理矢理前を向くことで、ミスを見てみぬふりしようとした。原因がわからなければ成長はしない。苦しい気持ちから逃げ、原因をわからぬまま昨日の自分でいること。はたしてそれがポジティブだったのか。

 誰でも失敗する。自信をなくす。その時に僕らは何も思い出さずにただ無理矢理前を向くだけなのか。あの時、僕は彼女の笑顔を呼び出した。その素敵な現実が過去にあって、そのことはきっとあなたを信じることをさせてくれるだろう。

 そしたら自信をもてばいい。そして失敗にまけない心の強さで、手探りしよう。原因を探そう。そして解決しよう。

 自信のない人間の理屈よりは、現実の方が全然心地よい。
 僕らはただそのことを忘れなければいい。

 I could do, so I can do

 鳥達が漂う輪の、その内側と外側。
 


 ひさしぶり。
 めんどくさくて書いていませんでした。
 今の理屈も信じられるが、過去の現実だって同じように信じられるということ。経験は大事。