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2000.6.30
財布は適当、自由すぎてからっぽ

 失恋、失恋ゆうたって、まあ2ヶ月もたてば落ち着くことは落ちつくわな。でも、ふとしたときに、来る。きやがる。ひとり身のせつなさとか、寂しさが。くんなっつーの。
 結局すっかり、「人を好きになること」が分からなくなったわ。大事なものから、まあ言い方悪いけど裏切られて、好きな人が好きな人でなくなってきた。好きが大事より先だったけど、つきあっていけば大事だからこそ好きでいられたような気がする。んー、でもそれって男だけかな。俺だけかな?

 しっかし、失恋と同時に職を失うってのも、タイミングが悪いわ。別に退職を彼女に「させられた」とか言ってる訳じゃないよ。まちがえても。ただな、転職するにしても失恋前は「うおー、次の仕事してやるぜー!」だったのが今や「まあ、転職するとしたら…ここ、かな?」みたいな感じ。全然やる気消えたわ。こんな感じで就職しても仕方ないわ。色々自分の中で大きく失って、その穴埋めを適当に仕事でやるっての、やだね。仕事はいきてく上で必要だけど、今はいくらかのたくわえもあるんで、それを時間に変えることにするわ。
 月〜金の朝から夕方まで勤めるパターンだけが人間の生活ではないっしょ。仕事にやりがい感じるのはもちろんそれはそれでいいことだけど、それだけってのは危ういかも。っていうか、今までほんとの意味でたのしんでたのかな、俺。まあ、これはお互いかもしれないけれど、好きだからこそ我慢してしまたことがあったり、止めてしまった言葉はあった。今思えば、たしかに。
 とにかくモチベーションが下がった。そういう時期に仕事が終わるのが、まあ、やっぱ具合悪いわ。次をうまく選べないもん。卑屈な俺っす。

 人生、支えあうっていうか、しょうようなものがなくなり、仕事の束縛もない。うらやましいくらいかもしれないけれど、自由すぎて俺の感覚は「からっぽ」。なにかしらの条件があればそれが選択を限定してくれるのだけれど、それがなくなって、さあ、どうする?
 そういう時に、まったく自分がないっちゅうねん!でも、まあしょうがないか。
 リラックスタイム?ルールがあり過ぎる気がするよ。日本。世の中。
 楽にいくこととか、ふみはずすこととかって、そんなに悪いことかいなぁ。って、俺は誰に言ってるのでしょうか。

 うーん、a型、かな?


 言わないってやり方で押し切られて、悪者みたいな感じになって、
 もう少し色々いってほしかったって気は今もあり。別に他の人好きになったってそれはしょうがないからいいんだけど。
 自分の気持ちを押し通すために、わがままいわれてしまった気がするのです。
 あまりに言葉とか向こうの気持ちが残っていないので、そんな愚痴を書いたりしています。
 が、俺が彼女の言葉をこぼしてしまっている部分もあると思います。






2000.6.22
今は

 今は、ファイルメーカーに集中しとるよ。
 っていうか、今日は。


 はなちゃん、その後インターネットどうなった?
 でかいファイル送りたいんだけど。
 いいっすか?






2000.6.18
あせらない

 へこんでいた時の約束で実家に帰った。
 まあ、今となってはバケーションで帰った感じだけど、楽しいっていうか、楽(らく)してきました。
 色々話をきいたりして、勉強になることも多かった。
 俺ってまだまだ世の中わかってないなぁ、頭でっかちの子供だなぁ、って思った。
 色々謙虚になって、勉強しなければいけないなぁ、と思った。

 もっと、趣味も頑張って、やりたいことやって、
 そんで、色々あるけどまずは就職をがんばろう、あせらないで順番にやっていこうと思った。
 うん、後ろ髪も色々ひっぱられるけど、まずは就職から頑張ろうと思う。

 「まあ、あんたはいっぺんにいろいろおきちゃったから大変だけどね、あせんないで地道にがんばんな。まずは仕事。いっこいっこやっていればいいさ。」

 と弟にいわれ。

 「なんだかんだいって時間が解決してくれるさ、不思議なもんで」

 と山田にいわれ。

 「いや、やつのあだ名は『哀愁のタカ』」

 と、近藤にいわれた。

 とまあ、なんて俺だ。
 はあ、ゆっくりゆっくりゆっくりいきます。生きます。
 (でも、会社暇なんだよね…(俺だけ?))






2000.6.6
はなちゃん!

 はなちゃん!ICQ入れようよ。
 本体:http://www.icq.com/pub/mac/chat/ICQ_PPC_2.0b_installer.hqx
 マニュアル:http://www.macwit.ch/MacICQ/JP/

 から、手に入るから。手に入れたら教えてね(メールで)。
 チャットやろう。


 うーん、過去と現在の区別がまだまだつかない…。

 あと、人をどうやっても悪く言えない性格みたいなものも、ちょっとひきずらせているのかなぁ。
 まあ、まだ1カ月だし、もう前は見えているし、あとは時間だけだから、しょうがないのかな。
 それに、好きな人にふられて、簡単に好きだった人になる訳でもないし、無理にきらう必要もなきゃ、どちらが悪いでもないしね。相性や縁もあるし。
 でも、どれだけひどい仕打ちをうけても、「それでも好きだった人だから、あの人は悪くない。ひどくない。」みたいな自分はどうかなって、気もするなぁ。
 人を悪く言う苦労とか痛みから、逃げてる気がするなぁ、自分。






2000.5.10
予言

 未来が分かるというのなら、今すぐ教えてほしい気分だ。


 情熱を失うよりも、情熱に溺れる方がいい






2000.5.2
別れ

 急に彼女とは別れてしまったのだけれど、でも、それからはじまる物事に、なんとかしがみつきたい。
 まだ、終われないよ。どうやっても。
 俺の気持ちは、全然終われてない。

 今は、それだけ。






2000.4.25
心はほぼ、言葉を使う

 だまってみて、俺はまた考える。

 心は言葉で考える。ずっとそう思ってきた。それが最近は違う。心はほぼ、言葉を使っているのだと思う。
 例えばピカソの絵を見よう。彼は言葉では表現できない感情を、言葉でなく絵筆で、色で表現しているのではないか。言葉とか音では得ることのできない、形や色が心に与えてくれるもの。自分の心が感じた感情を他人に伝えるために、彼は文章でなく絵を書いた気がするのだ。
 音楽の感動が文章でコピーできないように、心は言葉だけでなく、いろんな材料で考える。そして心は人毎に違う。だから中々伝わらないし、ましてや実体の見えない心と心が、どんな伝達手段もなしに共感することは簡単じゃない。

 心だけで伝わることができたら、どれだけ素晴らしいだろうと思う。
 だから、心だけでは伝わらない時は、あなたの心を言葉にすることで、私の理解を助けてほしいと願っている。
 私もそうするし、そうしたい。
 言葉の糸を手繰り引き寄せほどくことで、あなたの心を少しでも理解し、心と心が繋がりあえれば、と思うのだ。
 そうすることが容易でないからと、簡単にあきらめるのでなく。
 






2000.4.22
難しいのかなぁ。

 近所でパン屋が店を閉め、そして俺は考える。

 うちも実家が農家で、やっぱ時代の流れ上、問題は吹きあがっている。個人の店、自営業ってのは難しいのかしら。店じまいのはり紙をみて、そんな風に感じてしまった。
 店を閉めて、あの店鋪がどうなるのかしら?それが気になる。実家の方でもそうなんだけど、例えば農家を廃業して、土地を貸したりした人は、それで何を得たのだろうか。それが知りたいのだ。
 「金が入ってくるじゃん。」って、確かにそれはそうだけど。
 土地の名義変更、宅地化への手続き、建物を建てた場合は、その借金。宅地にしたら宅地にしたで、けっこう色々出費がある。毎年の税金だって、地下評価によっては相当なものだろう。それらをさっぴいて、土地を転がすのはそんなに甘い汁ばかりではない。
 たしかに、持たないよりは持つもに余裕がある。けれど、土地の上から自分の仕事がなくなり、まったく未来を他人に依存する。借り手が廃業したら自分も廃業である。自分の家業を捨て(ざるをえなかったとしても)、それと入れ代わりに何が手許に入ってくるのだろうか。
 そういうのが、とても知りたい。

 極論だけど、お金が後に残って、それを次の家族が争い険悪になってしまったらどうしようもないわけで。
 家業に一家揃っていそしんだ、けなげなやさしい気持ちは残らずに。

 そうなってみたとして、僕らが本当に残したいものは、何なのか。
 どちらも、なのだけど、どちらかしか残せないとして。
 そうなればやはり、家業は手に取れないのかな。今の世の中。んーー、考え過ぎた。はぁ。


 過去は終わった。未来はまだだ。
 僕の手許には、今しかないんだ。






2000.4.19
I'm Power

 超ひさしぶり。
 宿題はたまったまんまの勝又でっす。

 タイトルの言葉が思い浮かんでは印象的だったので、書いてみた。
 死ぬまで俺はパワー。


「落語がダメだと思うな、お前。お前がダメだと思え。落語って言うものは、これからの時代に合っていく。もし古典落語がダメだと思うんなら、お前がダメなんだ、お前がバカだと思え、お前が出来ないと思え。もっと落語っていうのは奥深くって凄いものなんだ。それを操れる噺家が今、少ないんだ。だから自分がおろかなのに、落語を切るな、愚かだと思うな。落語を操れないお前が愚かなんだぞ。」

柳家花緑さんに談志師匠がかけた言葉。
師匠、最高。






2000.2.28
ゴールデン・ギア

 いろっっっっんなコトやりたいと思いながら、結局頓挫したまま。かっこわる。
 ファイルメーカーによる住所録は、ずっと頭の中で考えています。仕事中も気がつけば考えています。設計がいま一つしっかりしないこと、そして住所入力のページデザインがふに落ちないという理由で、本格的にとりかかれません。それが、がしっとすれば、ばばっとつくりたいなぁ。それができればあたため続けているファイルメーカーのページもとっかかれるし。
 ファイルメーカーについてはもう一つふたつ考えていることがあります。ま、これはデザインはどうでもいいんで、さらっと作りたいと思います。パチスロなんかいっている場合じゃないな(ひまができるとすぐこれ。馬鹿は直らないとはこのこと)。

 んで、ファイルメーカーの住所録を考えているうちに「バリアフリー」ということに気が行くようになった。最近キムタクのドラマでも流行っているみたいだけど、まあテレビがないんでよくわかりませんが。
 バリアフリーを意識するとはどういうことか。僕もまだ意識しはじめたばかりなのでなんともいえませんが、とりあえずフォントを大きくします。だってさ、住所録なんて結構年寄りの方も使うわけでしょ。あるいは、始めはよかったとしてもだんだん目が悪くなったりする人もいるかもしれない。そういう方々にも快適に使ってほしい。そう考えると、やっぱりある程度フォントは大きくあるべき。だから、普通 だったら10ポイント位で作るインターフェイスもがんばって14ポイント位でつくってみようかと試行錯誤中です。これは、住所録からそういう風にします。

 今度appleからでるMacOSXでは、アイコンの大きさが最高128ポイントまで大きくできるそうです。これもバリアフリーという意識からすれば非常に重要で素敵なことだと思います。ジャンボエディターなど、バリアフリーを意識したアプリケーションはあります。しかしそれが特殊ではなくOSの一環として機能する。そういう態度が大事なんだと思います。

 ゴールデン・ギア。ネクスト・ギア。さて、月も変わるし、そろそろ楽しく睡眠時間をへらそうかなぁ、頑張ろうかなぁと思っています。まあ、メリハリつけて集中して。結果 をださなければ、と考えている、この頃です。

 仕事はいつもどおり。7割です。


 今、新聞を騒がせている失態がどれだけかっこわるいか(新潟県警とか、銀行とか)。
 それが社会とか世間のしがらみとか言うのかも知れない。が、それももういいよ。
 そういう殻を壊して、先にいけないで何が大人なのか。俺は大人としてそう思っているぞ。






2000.2.20
取ったものが残る

 えー、受け売りって言うか、パクリなんですけれど、ズバリこれ。
 人生、取った方が残る。取ったものが手の中に残る。
 まったく、その通りですね。選択すれば、どちらかを得、どちらかを失うということ。確かに、失う。でも取った方は残る。どちらを自分の手の中にしたいのか。得たいのか。ただそれだけ。

 取ったものが、残る。
 選択において、誰もが残したいものを常に問われている。あるものをこぼしたくないのは誰でも。
 得ることをさせるのは、結局見えないものを見る力か。






2000.2.17
MacOSXへの期待

 MacOSXがMacWorldExpoで発表されたが、驚いたのがフォントである。デフォルトで大日本スクリーンのヒイラギ書体を内包するというのだ。このフォントはOCFフォントといい、PDFに埋め込み可能なフォントである。現在、高解像度のアウトライン情報までも登載するかどうか検討中とのことであるが、どちらにしても印刷業界にとってのインパクトは大きい。
 PDFに埋め込まれたフォントは、解像度に関係なく美しい出力が可能である。セッターにフォントを持たせるのか、そうでないのか。そういう形式の違いが、MacOSXに登載されるフォントによって決まってくるが、どちらにせよ高価なPSフォントを印刷に必要としないフローに変化はない。ある意味法外な価格を要求してきたフォント産業がどのように変化していくのか。今後のフォントメーカーのあり方が注目される。
 通常、今までのコンピューターにプロの印刷オペレーターが使用するフォントが内包されることなどなかった。従って通 常のパソコンユーザーにとっては、ある体裁のととのった文章を作ることは、決して体裁の整った印刷物を作るということには直結しなかった。それはPSフォントがコンピュータの中にないからであり、それゆえPSファイルを生成することができなかったからである。
 この図式がMacOSXによって大きく変わる。PSフォントはOCFフォントに変わり、PSファイルはMacOSXが標準でサポートするPDFファイルに変わる。このような変化が、通 常のパソコンユーザーに、より手軽な印刷物作成環境を与えるのだ。具体的には、色の発色、本としての体裁以外の面 では、ユーザーが参照しているそのPDFファイルとなんら変わらない出力を、印刷物に求めることができるようになる。
 例えば簡単なパンフレットであれば、色校正は不要で、本ではないから細かい割り付けなどは必要がない。そうなるとユーザーが作成したフォンと埋め込みされたPDFファイル以外は必要ないということになる(解像度は別 としてだ)。ユーザーが印刷物を作成したい場合、必要なのはPDFファイルを入校できる出力センター窓口である。
 現在の印刷物のフローは、顧客、オペレーター、出力センターという三者の間を何度も何度もデータが行き来している。ところが、上記の場合はオペレーターは存在しない。こうした現象が、現在縮小している印刷会社の市場をさらに小さくするおそれがある。
 とはいっても、デメリットばかりではない。MacOSXの登場により、顧客のデータは親和性の高いものになるだろう。また、印刷会社の導入コストも低くなるだろう。上記のように出力センターは、印刷会社以外の一般 の人々を顧客対象に加えることができるだろう。そしてなにより、印刷オペレーターの知識と技術は、これからも十分に顧客から必要とされるだろう。
 結局MacOSXの登場は、印刷物をより一般にとって身近なものにするだろう。そうなれば理屈の通 らない「利権」は排除され、単価はさらに低価格になっていくだろう。よけいなものが極限まで削られ、純粋に技術料だけが値段のとれる業界になるだろう。最終的に印刷はより薄利多売の世界になっていくだろう。薄利多売とは長い間無縁だった業界が印刷業界である。そういった変化にいかに対応して、そのうえ利益をきちんと生み出せるのかどうか。MacOSXが印刷に与える恩恵は大きいものだが、同時に与える課題はさらに大きなものになっている。


 接続詞をできるだけ使わないように、使わないように、書いてみました。
 けど、大きく事実が間違っているような気もします。まあ、空想、空想。






2000.2.14
最近の雑感

 いくつか、最近感じることを書いておきます。

・仕事
 だいたい、言いたいことはいった。あとはやるだけ。今については、もちろん、これからについて、もっと。もっと。

・iMovie
 日本に映画人がどれだけいるのか知らないけれど、デジタルカメラとiMacがあれば、手にはいらなかったはずの映画作成環境が手に入るのだ。もっと、自主作成映画とか、インターネット上でのiMovieによるmovieの発表などがあってもいいはずなのだが。
 今こそチャンスなのだと思うのだが、もはやそういうモチベーションは消えてしまったのだろうか。期待してる。観客として。
 っていうか、iMovie。完ぺきじゃないけれど、かなりできるはずでしょ?

・iMac
 iMac。結構DVDの再生など問題あるけど、でもやっぱいいマシンだと思うが。OS Xがでれば、そこらへんはまともになるとも思うが。

・xml
 今、俺の中で筍。がんばって習得しますし、実用的なものが作りたい。

・ファイルメーカー
 もうちょっとグラフィックで融通が効けばなぁ。ほぼ完璧なんだけど、あと一歩欲しい気もする。が、まあハッキリ言って大好きなソフト。

・bird
 大好きなアーティスト。あとm-flowも好き。愛聴しています。がんばれ。


 世の中、技術がどんどんどんどん面白い。
 あと十年後の未来が見たいし、楽しみ。
 まだまだ死ねないし、その未来に参加したい。






2000.2.9
ひとだんらく

 ひとだんらくついて、やっと楽になってきた。
 現在、月刊大崎の文字打ち中。だー。
 会社の中の人間でなく、外の人間と仕事がしたい。
 そんだけ。

 あと、失敗から経験したいが、よけいな失敗はしたくない。
 そんな感じだ。
 技術料って何だ。バカヤロー。






2000.1.24
冒険心

 あのさぁ、会社って言うか、まあ、愚痴るわ。
 結局、今までの会社の対質ってのは、「個」をいかに組織から排除していくかってことだったと思うのね。でも今の社会、これからの社会ってのは「個」をいかに組織に吸収していくか、ってのが生き残るポイントなんだと思う。そしてそういうことを分かってらっしゃる経営者の方も多いと思う。
 しかしね、体質というのはなかなか抜け切らないもの。時代が個の台頭を求めるから、能力のある人や危機感のある人が組織のなかで発言する。でも、それらは擦り切れていく。その擦り切れかげんが組織に対する失望感となる、気がする。めんどくさいよ。ほんと。

 やっぱり個よりも組織のほうがいろいろと大きい仕事ができる。だから組織が悪いといっているわけではないんだ。今までの組織ってのが癌なわけ。組織ってのはうまく行けば人数以上の仕事ができる可能性があるわけだから。それは当たり前のことで。

 人生のなかで冒険するってのが、ちょっと犯罪っぽく考えられてしまうけれど、そうかね。実際は必要なものだと思うよ。もはや安定した、豊かな社会ではないんだから、何かを得るにはリスクをおうべきだと思うよ。冒険が無謀になるかどうかは人次第で、冒険自体は誰の人生にも必要ではないかね。冒険って言うか、決断っていうか。

 蟹江きんさんが亡くなって、また人が死んでいくんだなぁ、と思った。世紀末でとにかく昭和の偉人が死んでいくなぁ、と感じ入っていたんだけど、なんのことはない。これが高齢化社会だと気がついた。
 ってことは、これからのニュースはさらに訃報が増えるってことか。ああ、そう考えてはじめて高齢化社会を実感するこの頃。人が増えるのも大変だけど、つまんないよ、やっぱじじいばかりってのは。


 まさやん、まあ、焦っても仕方ないし、タイミングを逃した時にじたばたしても仕方ないしね。
 じっくり自分の力をつけて、タイミングを探すしかないと、おれは思う。
 問題は、毎日。持続して実力をのばす行動をつづけられるだけの、モチベーションが問題。
 ま、これは俺のことだな。
 お互いあせらずやりましょうよ、ま。






2000.1.18
インスタントメッセージ

 書かなきゃ、って感じで書いていますが。
 競馬の話。僕はずっとフジキセキという馬が好きだったのですが、そのこどものダイタクリーヴァがかなりお父さんに似た強さを持っているので、期待しています。ただ、この馬の勝ったシンザン記念、クラシック勝ち馬がいません。なんとかこのジンクスをやぶってもらいたいものです。ああ、今年ももうからない馬券を買うのかな。

 音楽はacoのアルバムがかなり良かったです。最近の俺のヘビーチューンですから。女の人のアルバムってほとんど聞かなかったんだけれど、最近よく聞くな。なんでだろう。

 あと、一部で話題の「サイレントラブ」ですが、すでに指摘された恥ずかしさでタイトル変更を思案中。っていうかそれは決定。でもまだ何も書いていない。アホか。
 ファイルメーカーでつくる便利な住所録の作成、それによる新規ページの立ち上げ、農業学校、上記エッセイ、applescriptの習得。やるべきことが多すぎて、ああめんどくさ。時間と集中力と持続力が足りない・・・。ダメじゃん。

 祝、義妹出産。規雄君おめでとう、かんさんおめでとう。つい先日赤ん坊の顔を見せてもらいに帰郷しました。うーん、兄としては実感はないけど、弟も幸せそうだなと、電話の声で感じました。やりたいことも軌道に乗りはじめたようだし、がんばってね。っていうか、俺も負けないようにがんばらないと。結果出さないと。

 という朝。


 さ、会社。






2000.1.5
あけましておめでとう

 あけましておめでとうございます。

 最近、このページの更新がかなりまれになっていますが、いろいろ今年はやりたいので、どうしても時間がさけません。
 あと、ちょっとしたストーリーを現在作成準備中です。すべてを書ききってから掲載しようかと思っています。タイトルは「サイレント・ラブ」が現在の候補です。


 というわけで、今年もがんばりましょう。
 人生不平等