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2000.12.20
ひさびさ

めっさ久しぶりに更新。
とにかく忙しいというより、疲れた。

「お前は挫折したことがないから、今まさに挫折の道を歩いていることに気付いていない」

という言葉の響きに、感じることは多い。

単純に物事を考えられる才能ってやつは、いいぜ。

最近150mmのレンズで写真とってるんだけど、重い!
絶対手ぶれしてるよ。こんちくしょう。






2000.12.13
愛する対象の前に

 「愛する対象」というタイトルで愛情とか、人生の事とかを書こうかと思った。けれどうまくまとまらないので、どうにもかけないでいる。仕事が忙しいのもある。
 まだ上手く言葉にならないから、しばらくは頭の中でずっとアイディアを回らせたままにしておく。未熟な言葉はかえって混乱するだけだから。
 とはいえ、世の中の「ラブ イズ オール」なオールオッケイ思想はどうだろうかと思う。「これが愛だ」とどの行為を誰でも名付けることができる。でも、愛ってなんだろうか。
 愛という名の元になら、なんでも許されるのだろうかと思う。殺人だとか、分かりやすいものなら、どんな状況下でもその行いの是非を判断しやすい。けれどそうでないこともある。
 人は「愛しているから」とか「愛だから」という名目に酔う。自分を肯定する言い訳につかう。それがどうして起こるのか。あるいはそういうスレスレの間違いみたいなものから、どうやれば回避されるのか。
 そんなことがなんとなく浮かんでいて、「愛する対象」というタイトルがまず頭のなかに浮かんだのだ。
 これは、自分が長年つきあった彼女にふられたこととか、両親がすっかり孫を溺愛している様とかに影響されて浮かんだアイディアであることは確信できる。
 僕にとって他人という対象を愛することはわりかし簡単だった。
 それでは愛する対象が自分となると、どうだろうか。



 知り合いが「人生は映画のようなものだ」といっていた。知り合いといってももう50。歳の離れた友人である。彼はいう。「人生には縁がある。」そして頑張ればその縁が上がり、なまければ下がるのだそうだ。
 頑張れば叶う、というのではない。よくなる。
 答えが決まっているもう出来上がった映画。主人公である自分だけがその先をしらないようなもの、だという。
 「思い通りにならないの?」とも思った。けれどこの謙虚な思想が、僕は最近好きで好きでたまらないでいる。
 「愛する対象の前に」書きたかったことは、これだけ。


 自分が結婚不適齢期だと実感する。
 多分俺はあの話に出てくる花嫁と同じだ。






2000.12.11
あんちゃん

 取りあえず写真のっけたいので。
 「愛する対象」ってタイトルで文章書きたかったのだが。
 それはまた夜に書ければ。






2000.12.9


 写真の現像があがりました。
 フィルム500円。リバーサル現像代が1000円弱(36枚)
 安いね。
 撮ったのは会社の通勤途中の空です。

 他にもいいのかるかもしれないけど、会社でスキャンだ。取急ぎ。
 家に帰ってゆっくりライトテーブルでみます。


どうよ?花ちゃん!






2000.12.8
カー

いろいろ車も考えているけど、結局ジムニーほしいよ。なんだかんだいって。
それで富士五湖とか富士山の深い所いって、写真撮るんだもん!


みなさんはボーナスどうでした?






2000.12.5
価値観は人それぞれ。

「俺から見たらお前が何をやりたいのかが、分からない」

って、言われてそれがひっかかってひっかかってどしようもない朝。ちなみに、それを言ったのは普段は陽気な49才。まったく難しいことは言わないタイプ。

で、それ聞いた俺の感想。
「そう言われるのは分かる。実際俺もそう感じているから。」
「でも、そういわれりゃぁ、素直にすっげー悔しい。」

その人には「まあ、今はまだ暗中模索だな」って言われて、それはまったくその通り。
だけど、まだ見つかっていないってのがなんかキューに悔しくって悔しくって悔しくって。
なんか「楽しそうじゃない」って言われてるみたいで…。

がー!うがぁー!

「まあ、俺はお前のすべてをみている訳じゃないけどな」っている前提でいろいろ話を聞いて、まあそうなんだけど。
って、いうかその人俺は大好きで、楽しそうで、よく勉強している人でさぁ。
それだけに、なーんか悔しい、のかなぁ。

お腹の鍋が弱火でぐつぐつぐつぐつぐつぐつぐつぐつ…。
しばらくずーーーーーっと言っている感じ。

がぁぁぁ!

でもな、冷静に見て前の自分よりも今の自分の方が、漠然としていなくて、ずっと整理された中を探しているって感じ。確実に「何か」に近付いている確信はばっちりある。昔の自分より今の自分の方が間違いなく好き、DA!。

おりゃぁ、自分自身をあきらめていませんぜぇぇえぇ。
俺の人生の愉しみ。それは一生表現にたずさわること。だから、絵でも写真でも音楽でも文章でも、せっそうなく手をだしていきまっせぇぇぇぇぇぇ。

それはなんだかんだいって、純粋に楽しいんだもん。
一生器用貧乏で生きちゃる。

あとは、いかに馬鹿になるかなんだろうな。
ってそう考えてる時点で、馬鹿になれない、考え過ぎだ…(唖然)。


 まあ、誰かれこの道を迷っているよな。
 価値観は人それぞれだねぇ、ほんと。






2000.11.30
Sight

 ちょっとスケジュールに余裕ができた。今日明日は自分の時間は少しゆっくりしよう。静かにコーヒーでも飲もうか。ラジオを寝ながらきこうか。
 昨日今日と、朝の景色がすばらしい。
 昨日は、建物とその後ろにある風景のアンバランスさが、絶妙だった。まだ日が浅く影のある建物。その暗がりの後ろに、嘘のように明るい、複雑な雲をまき散らした空。油絵のような空だった。明るいけど色は複雑雑多。
 ホント、ジオラマの町の後ろに、ゴッホの油絵を置いたような景色だった。

 今日はね、富士山が抜群だった。きりっとしていてかっこよかった。日が昇るまでは、くっくりとした紺色。深い青色が正面に立っていた。その上に白。りりしかった。

 こうした風景も日が昇るにつれ、いつもの景色、いつもの色になっていく。
 いつもの色がつまらないっ訳じゃ、決してない。
 けど、朝の色達はどれもいい。冬だからってのもあるだろう。
 とにかく特別なんだ。


 rizeかっちった。まあまあかな?






2000.11.28
うー一息つかせてくれ。

 うー一息つかせてくれ。

 今週は忙しい!
 って感じだもんで、かえってimodeで遊んでしまう。ちょっと遊ぶにはいいんだ。でも、でも、くだらねー!分かってんのに、なんだか寂しがりやになってしまって、みっともないぜ、俺。そこら辺が恥ずかしいままの昨日今日。うー、スマヌ。
(でもこういうコミュニケーションって新しいし、形を変えて定着はしていくんだろうね、日常に。どうして人は電話で癒されるんだろうね。)
 なんて、自分しか分からない話はいいか。で、聴いてなかったcoilのアルバムを聴いた。よかった。かなりいい。音はね、昔のグレイプバインのような、荒っぽいteenageのような…。柏木君が好きそうな音だ(って、ほとんどの人がわかんねぇか。)曲もアレンジもよくって、こう、濃密につまっているアルバム。それだけに、マニアックというかこじんまりという印象にもなる。coilってバンドサウンドいいねぇ。音楽通な音だすね。杏子のアルバムに半分以上曲を提供しているって話だけど、こりゃよさそうだ。杏子が歌えば、もっと歌謡曲チックになるだろうから、曲の良さが引き出されるだろうね。
 って、最近ここアルバム批評になってるなぁ。

 前に勤めていた会社の現状を聞いて、当然とも思ったしびっくりもした。当然と感じたのはさておき、びっくりしたのは変化が急だったから。変更内容自体は、まあ、財形は銀行の指導だから動かしようがないとして、備品に関しては...やり方が貧しいと感じた。仮にも印刷なんだから。そんなにあからさまなやり方でなくとも、もう少しあるのでは。
 客観的に見て財形の変更はどう考えても銀行の指導でしょう。銀行からそういう指導が入ったということは、それだけ銀行が厳しいと言うことか、あるいは、その会社が斜陽にある、ということ。財形のことだけではなんとも言えないけど、業種が印刷ということを考えれば、「斜陽」であることはさけられないでしょうね。
 決して印刷がなくなるとは思いませんし、そういうことはあり得ません。でも印刷物の正体を考えるに、それは「情報を物質化」したものなのです。問題なんは「物質化」の部分。
 インターネットを考えれば分かるように、今後は「情報」と「物質」は別の道を通るようになります。とりわけ情報は「電子の道」を通りまくりです。ゴキンゴキンに。
 そうなると印刷会社は印刷と言うより情報産業になっていくんだと思います。そうでなければ「本(印刷物)」という芸術を作る職人になるべきです。
 「早くて安い」という印刷は印刷社会自体がずっと求めてきた道ですし、そこには大日本とか凸版とか、すでにビックネームが占拠しています。わざわざ勝ち目のない仕事をする理由がありませんし、もうできないでしょう。成熟したんです。
 情報産業にはまだまだ隙間があります。インフラ、情報加工、+αのサービス。情報産業には技術が必要ですが、それらは結局サービスを提供するための手段でしかありません。ですから情報産業は最終的にはサービス業です。
 情報産業にはまだまだ隙間が...とは言っても、yahooを始め沢山の会社が参入しています。これでは隙間も糞もないようなきもしますが、やぱり隙間があるからこれだけ参入するんだと思います。会社と会社の間にあるいは都市と地方の間に、本当に隙間はこれからできてくるのではないでしょうか。
 そこにまだないサービスを提供できるかどうか、そしてそのサービスの質がよければ、その隙間の範囲をこえて、業績はのびるのではないか、僕はそう思っています。

 で、卓上の理論はこれくらいにして(長ぇな)それに飛び込む勇気と行動力があるかどうか、ということです。
 前の話でいえばこの話は会社に対してのものですが、話の言わんとする所は僕も含めて、個人にも常にあてはまる内容だと思います。

 就職についてはやりたい気持ちと別に、「どうせなら伸びる職種に」ってのはありますよね。


今週のタスク
・ある会社の見学(予定)
・あるお店のセール用ハガキデザイン
・あるお店のデータベース仮納品
さらに通常業務もびっしり!だぁぁぁ。寝れねぇ。(1to6)






2000.11.24
アルバム2枚

 仕事中で、しかも忙しい!
 にもかかわらず、ページ更新だ!遊び過ぎか?

 最近アルバムを2枚かった。一枚はbirdの「mindtravel」もう一枚はアナム&マキの「イキって生きろ!」二枚とも結構イイ。
 birdは一曲目「マインドトラベル」で間違いなく歌唱力が成長したのが伺える。リズムの端切れがよくなっていて、細かいところがすごく上手になった。リズムの前後でのメロディの処理がうまくなった。
 前の「bird」ってアルバムに「realize」ってラップナンバーがあるんだけど、それが結構もっさいんだ。(といってもかっこいいぞ。言っておくとな。)彼女の声は凄く素敵。ただ、コラボレイトしている他の男性二人がバリバリラッパー。それだけに細かいリズム上での音の取り方、そのもっさいのがすごく目立っていた。
 けど、今回は違う。twiggyとまたラップのコラボレートがあるけど、カッコイイぞ!
 birdはとにかく歌詞がすき。「9月の想い」は前作の「約束」にも似てる。切ない。言葉がうまいね。「これが私の優しさです」で『やさしさは愛ではないから』と歌うことにドキッとした。
 CMでは変な踊りしているけど、間違いなくシンガーとして成長してるね。「soul jazz」というカテゴリーだけの人ではなくなった。いいことだ。

 で「イキって生きろ」だが、問題作だ。すげーよ、この女達。イキってるぜ!「暴れろ、関西ぃぃぃぃ」ってな感じだ。1曲目、「バーカ!」。いきってるぜ!俺的には、攻撃的なギターの演奏方法がすごく勉強になった。いい。真似したくなった。アコギ欲しい熱が再び沸騰してきた。
 うーん、これは聴くしかないよ。音のよさはどうしても聴かないとね、わかんない。
 で、このアルバムを毎朝ききながら、俺はテンションを上げています。とはいってもね「春」 という曲に切なくなり、「戦え!野良犬 」でぶるったりしてます。うーん、いいよ。
 とにかく、へこんでいる女の子とか、不満がたまっている女の子は、うだうだ言わないで聴くべし、だ!

 とにかく上の二枚のアルバムは僕の歌唱方法と、ギターの演奏方法に風穴をあけてくれています。
 そういう収穫が嬉しい。






2000.11.20
morning

今日は朝から雨だ。最近は大分冷えてきた。
こんな日は何を聴こうか。m-floじゃないな。そうだ、山崎のアルバムをかけよう。
ギターの音と、雨の音が重なる。
ワイパーのリズムも、音楽に足並みがそろっていく。

さっき自販機でかったコーヒーが暖かい。
東京じゃあんまりダイドーは飲まなかったのに、今じゃすっかり朝の定番だ。
ダイドーのheaven。
ジョンレノンはつくづく愛の象徴だ。

踏み切りにさしかかって、傘をさしてあるいているおじいさんに目が行く。
田舎じゃみんな車で、道路は歩道も狭いから、歩いている人も少ない。
朝から、歳ながら…。そう考えると歩いているだけのそのおじいさんを尊敬してしまう。
俺も歩くのは好き。

道すがら、かかっているのは「6月の手紙」。野菜ジュースのあの曲だ。
たんたんと、ありがちな生活が歌われている。
そこに人の心がからめば、何か暖かいものになる。

手紙は…最近はメールだが、とにかくたくさん書いている。
正直、そういう自分をどうかとも思うのだが。
もう静岡にいるんだぜ。会社にいるんだぜ。そっちはどうよ?コミュニケーションは、どうよ?って。

新しいコミュニケーションは、ゆっくりと確実に進行系。
出来上がっているコミュニティに入るのは、やっぱ難しい。でももう全然職場には慣れた。
これからもっと自然体だし、これからもっと濃密にいろいろあるんだろうなぁ…。

「ラーメン食べたい」って曲で
「くたびれる毎日、話がしたいから。思いきり大きな字の手紙、読んでね」って歌ってる。
手紙って、ほんとその通りだと思う。

友達となぜか繋がりたがる最近。それは何故なんだろう。

雨の日なのに自転車で走っているやつもいる。たいしたもんだ。
マウンテンバイクで、うぉ、こいつデュアルサスだ。
あっというまに、サスペンションつき自転車はやってるなぁ。
うーん、俺も慣れれば自転車通勤してみたいんだけどなぁ。

自転車っていえば、東京〜名古屋まで走った。
あの時は色々つらかったし、終わった後はもうやりたくないと思った。
でも今は、「来年の夏休みは名古屋から広島ぐらいまで‥」とか思っている。
5年くらいかけて全国縦断したい。
時間がたつのは、ホント不思議だ。

前の車に習って、同じように後ろをついていく。
様々に考えて、音楽はなんとなく流れている。
慣れなかった道も、今やいつもの通り道。

同じ道をくり返しながら、この先どの道を俺は通りたいのかなぁっていつも考えている。

「どうなるのかなぁ」って思ってた昨日。
「どうなしたいのかなぁ」って思っている今日。

どうなっているのだろうか、明日は。

同じ毎日でも、人は同じ毎日を過ごしているわけではない。
それは、同じ道を走っている人が、同じ場所に辿り着かないことと同じだろう。

見たい景色。
辿り着いてしまう場所。

後者はどうにもならないが、前者は自分次第。どうにでもなる。

朝の記憶を書き起こしたんだけど、すっかり今の自分の思考になってる。
そんなもんだよね。文章。


日曜の競馬は2着4着。
買ってたのは、

1 ヤマカツスズラン
2 エイシンプレストン
4 ダイタクヤマト   
5 マイネルマックス      
11 ダイタクリーヴァ

のボックスを馬連、ワイドともに。
5000円つかって、あっというまに残金はあと半分です。くやしい。

あと、坊さんがまた聞きで教えてくれたんだけど、
普通は「過去があり、今があり、未来がある」なんですが、そうではなく「過去があり、未来があり、今がある」なんだと。
そう考えて毎日を暮らしていきたいものです、といっていたけど、その通りだと思う。
今の結果で未来があるんだけど、こういう未来にしたいと思って今を生きれば、すごく大切な今になると思う。
だからこそ未来を思うことが大事だし、そのためには「想像力」って絶対にかかせないんだと思う。
まったくないものを想像するにしても、今あるものをどう組み合わせていくかって考えるにしても、なんにしても。






2000.11.15
一週間前からこれだって言ってたんです!

ずばり!



古い話ですけど。
これで銀行口座が10000円まで回復。やっとまともに勝負できる。
(ちなみに、上の馬券かった時点でのこり600円)






2000.11.14
PT

 さささっと文章を書こう。(in会社)

 最近、家族で俺に「車買え!」コールが起きている。
 今家で借りているのは、キューブ。普通の車だ。
 がんがん、こすっている。
 で、弟が良いと言っていて、花ちゃんも良いといっていて、俺も実はいいなぁ、と思っている車がある。

 それは、クライスラーのPTクルーザーだ。
 ここ
 ここも

 本体価格で300。込み込みで400位。
 たけーよ。
 でもスタイリングは、そそる。
 実物を一回見てーなぁ。

 個人的には街乗り4WDを、弟が「意味ねぇー」といっても欲しい気がするのです。というのもちょっと海や山にいったりしたいから。
 でもなぁ、変な車変な価格で買ってもしょうがないし。

 ジムニーのプロも身近にいることだし、安く海山用のジムニー買って、PTも買っちゃおうかな。なんてな。
 んなことしたら維持費地獄、ローン地獄だ。

 でも、多分よさそうなんだよなぁ、PT。


 書きたいことがあっても、あんまり更新できないんだ。
 どっちかっていうと、忙しい。






2000.11.6
仕事の合間に、どうよ?

 って感じで書いてますけど、忙しくてあんまり更新できてない。ま、カウントは全然ないからいいんだけど。
 10代は、体が別物のように変化したけど、
 20代は、心が10代を裏切るように変化している。
 なんていうか、最近は現実的になってきているんだと思う。

 でもね、よい風にかわってもいるよ。
 昔は、夢見て「あー叶えてぇー」って願望だったけど、最近は、「どうやって叶えよう」って具体的にいつも考えてる。叶うって現実に少しでも近付けようとしてる。
 いいことだ。
 でも、どうやっていいかは分からないんだけどね。
 自分の芯も、どこかたよりなげでぐらぐらしてるし。

 喉元すぎればあつさ忘れるってやつだと思うんだけど、過去は夢のようだし、現実は夢よりすごかったりもする。ジェットコースターだ。その場所に目をやってみればね。
 そんな感じ。濃くて複雑で面白いと思うよ。

 シンプルなものがシンボルのように風になびいて、揺れているよ。

 まあいい。最近サニデがなんか好き。
 あと、スガシカオのアルバムは癖がつよい。

 休日疲れ、みなさん、どぉ?
 ともだちにはどんどんメールしよう!


もうかえりますけどね。






2000.10.27
最近きいた音

最近きいた音
・us/マリマリリズムキラーマシンガン
・Live Beautiful Song
・orange aand blue/coil

 とくにおすすめなのが、「Live Beautiful Songs」大貫妙子、奥田民生、鈴木慶一、宮沢和史、矢野顕子らによるライブ。伝説と帯にうたっているけど本当に伝説。Beautiful Beautiful songsは、糸井さんの歌詞に五人がそれぞれ曲をつけたという、実験的な内容。これは成功しており、すばらしい。
 どれもいいのだが(本当に)印象にのこったものは、

・二人のハーモニー(宮沢和史、矢野顕子)
・ピーターラビットと私(大貫妙子、奥田民生、鈴木慶一、宮沢和史、矢野顕子)
・ラーメン食べたい(奥田民生)
・すばらしい日々(矢野顕子)
・さすらい(大貫妙子、奥田民生、鈴木慶一、宮沢和史、矢野顕子)
・それだけでうれしい(大貫妙子、奥田民生、鈴木慶一、宮沢和史、矢野顕子)

 奥田民生が、他の人の曲をうたってもいいし、彼の曲を他の人がうたってもすばらしくて、結構びっくりした。(この面子の中で立つと言うのは凄い)。
 あと、矢野顕子のボーカルも凄い。パワーから何から凄い。この人、いくつだっけ?
 歳を考えればこれだけ歌えるのはなお凄い。エモーショナルだ。

 マリマリリズムキラーマシンガンは、最初フィッシュマンズを期待して聞いてしまったので、「あ、フィッシュマンズじゃないや。」とがっかりしてしまった。けど、そういう先入観をなくしてきいたら、なかなか心地よいアルバムで気に入っています。
 とにかく声が素敵だ。
 そしてマリマリは、フィッシュマンズのボーカルで亡くなった佐藤君の恋人だったんだね。好きだった、一緒にずっといたかった。それが叶わなかった。それを乗り越えたのか、まだその途中なのか。分からないけれど、そんなマリマリが出したアルバムという現実。最後の、たったひとりのフィッシュマンズのメンバー、きんちゃんと。
 最後に「you don't have to call me」とだけ歌い、それがループし、リフレインする。
 すべての終わりとはじまり。と、続き。

 coilは...まだ聞いてない。

 聞いた二枚のアルバムからたまたま閃いたんだけど、やっぱ歌は深い。
 例えば奥田民生の声は決してきれいじゃない。でも、歌はすばらしい。
 彼は声はたいしたことないけど、かわりにエモーションがあるし、勢いがある。歌い方がうまいのだと思う。
 矢野さんは両方がすごい。
 マリマリは、技法は上記の二人程はないかなって思う。でも、声は矢野さんより味があると思う。

 結局それぞれの声にあった歌い方があるし、なにより「伝えたい気持ち」があって、それを乗せる技法があるということかしら。少なくとも声だけで歌は決まらないし、感情のない技法は、何ものせるものがない大型トラックのように、意味がない。感情があふれるほどあっても、小さな車にはたくさんのらないように、技法がなければ伝わらない。
 そして伝わるなら素敵な声の方がいい。

 ま、特にLive Beautiful Songsには勇気とかそういうものをもらっています。
 うた歌いにはmustなアイテム。


 仕事の合間に。
 週末は帳じり合わせの為にあるのかもよ。






2000.10.23
デザインベタ

 デザインは苦手だ。
 特に苦手なのが色だ。昔ッから色塗るのは苦手。
 薄い色を出すのに、絵の具にたくさん水を足していた。本人は透明感をだすつもりだった。
 結果はこうなった。画用紙ははがれて薄くなり、反り返った。
 乾いたら飴湯のようにうっすらとだけ、かすかな色らしきものが引っ付いていた。
 どうも、ダメ。色を塗るのが下手。選ぶのが苦手。

 でも、写真は好き。
 俺は色々考え過ぎるくらい考える人間だけど、ファインダーをのぞいている時だけは何にも考えない。集中している。
 色についても、塗る必要はない。世の中にある素敵な色を探せばいい。選べばいい。
 何もないところから選ばなくていい。
 最近は金遣いがあらく、デジカメ、APS、一眼レフと一揃えしてしまった。撮り味はやっぱ一眼がいいかな。ファインダーをのぞいて、マニュアルでピントをあわせる。その流れからポジが出るまでが好き。でも、色々手間があるのも事実。
 その点デジカメはいい。バシバシ撮れる。色は正直まだイマイチかな。でも構図だったらいくらでも遊べる。でも基本的にデジカメはファインダーをのぞかない。液晶画面を見る。これは集中力は落ちるね。でも、デジカメも4、5枚撮っていると楽しくなってくる。我を忘れる。とった写真をすぐに自画自賛する。便利な性格かも知れない。

 でも、デザインとなると話は別。
 最近資料を作ることが多くなった。もっというとそれが武器であり仕事であるような環境になった。そういうわけで、結構色々勉強をしなければならなくて、まあ楽しくも辛くもある。
 苦手だけど、できないとも実は思っていない。俺、そんなにセンスがなくもないと思う。だから、こういうことに真剣に取り組まざるを得ない状況は、実は嬉しかったりするのである。

 写真をやりはじめて一つ変わったのは、色に対しての自分。
 あきらかに、色に敏感になった。「いい色」を探すようになったし、感動するようになった。
 俺はあるものから素敵なものを見つけたいタイプ。頭の中のもをの、現実をこねくりまわして作りたくないタイプです。
 例えば公園。あそこに人がいなければ、とは思わないタイプ。どくまで待たないタイプ。
 せっかく神様の偶然でそこにいる人。俺はがんがん写真にそれを入れたいタイプです。

 あるものをきりとる。じゃあ俺はどうやって切り取る?
 俺の写真はしばらくはそれだけ。

 後は腕がついてくるかどうか、だ。

 そんなこんなで、デザインベタが、最近地道なことやってます。
 いつか機会があったら写真をのせますね。それの。
 その時まで続いていたらね。


 まじめに、一生懸命やっていれば、他人に認めてもらえる。
 しかし、自分で自分を認めることには、その100倍の価値がある。
 そして、
 自分で自分を認める確実な方法はまだ発見されていない。
 (マークトゥエィン)

 彼は本当に最高。わずかな言葉が持てるだけのもの以上に語る。天才。






2000.10.19
寝る前のざれごと

 疲れながら電話して、さー、ねるかと思ったら目が冴えた。
 うーい、でもあくびも出たぞ。どっちだ。
 今日は特にテーマもなくだな。
 今の仕事はお客さんのところに行ったりもありそうで、色々経験させてもらえそう。感謝。
 一番下だし、違う環境、違う社会、違う考え方を一生懸命吸収したい。
 まったく謙虚という言葉を忘れていたので、そっからやりたいぜ。マジ。

 あー、またあくび。

 でもホント、電話の話は、なんだかんだで大変だったけどホントよかったと思うし。
 旅日記の感想送れーなんて偉そうなこといっちゃったけど、あんな駄文がなんかの足しになったなら、こっちこそマジサンキューだ。でもほんと、あの旅日記にどういう感想もたれたかは気になるなぁ。
 明日は提案書類かかなきゃ。今日は疲れた。ホントはもうその明日の時間なんだけど、日付けは今日で買いてる。寝るまでが今日、起きたら明日だってなんかの本でよんだっけ。

 ひとりより、ふたり。ってのは確かにそうなんだと思うよ。ステキ、ウラヤマシイゼ!と思ってしまう。しょうがねえよな、いいことなんだから。くうぅ。世の中loveだ。
 まあ、悲喜こもごも。何があるのか分からないのが世の中だ。人は変わる。
 どうやったって自分はひとりだ。面白いのは、人に与えているからってじゃあその人が一人自信満々かっていったらそうでもない。
 与える程に余裕なんじゃなくて、そういう価値観なんだね。相手にそういう行為で甘えてたりするんだ。いいとかわるいとかいいたいんじゃないけどね。こういうのって癖があるから。気付かないと落とし穴。

 あー、もっと考えてないこと書きたい。
 今日はあれをしました。これをしました。それもしました。以上。じゃあ、ねる。みたいな。
 もう、事象だけ、なんてのを、ひとつ…。

 でもまあ、会社との往復の今日だったけど、仕事ではけっこ色々やっている。
 決して考え過ぎだけじゃなくて、体もうごいとるね。発見も多い。そういう意味では頭よりも動いているね。体。

 まあまあ、今日も電話が引き金で更新作業。そんなきっかけ。
 夜はくれていくので、みなさん寝ましょうね。

 僕らが意識をなくす頃、夜空は僕らを見てる。
 言われなければ気付かないけど、そんな現実をもう何十億年。


 確かに考えすぎてるのは、俺とスガシカオくらいかもね。
 スガシカオ、アルバムそろそろ。

 そして、確かに義務だわな。甘えとったね。自分。






2000.10.17
これだけ書き写したくて

 今日は更新するようなもの。
 年をとるって色々な時に感じる。では、大人になった時は?
 最近おれが思うに、
 「あの時はあの出来事にああ思ったけど、今思い返すにこうだったと思う」
 というふうに感じたなら、ひとつ年をとったし、大人になったと思う。


 20代でなにをするべきかなんて、人は問うてこない。自分の心の中で「クエスチョンしたことがあるか」ということなんですよね。
 それでこれが、あとでモノを言うんだな。ナンパとか、合コンとか言ってるのと、”面白い仕事があった”っていうのと。だから、矢沢が昔言ったじゃない。「20代頑張ったヤツしかパスポートもらえないぞ」って。「30代のキミはもう…」って、そこに来るわけですよ。
 (矢沢永吉)
http://www.1101.com/yazawa/index.html






2000.10.16
しっかりってなんだろうか?

 メールで「しっかり」ってなんなのってあって。
 うーんって考えたんだよね。たまたま同じマンガを読んでいたので(イマジン)そこからしっかりのイメージを拾った。言葉で上手く言えない。だから伝わらない。自分の表現ではうまくいえないから、他人の表現を借りたんだね。そういう方法を、表現を俺は選んだ。
 その後も、ちょこちょこ考えるんだよね。しっかりを。で、世間様のイメージするしっかりってのは「真面目で」っていう感じがすごくする。しっかりしているは「落ち着きのある」に近い。しっかりしている人は動かざること山のごとし。決してあわてものではないし、ちょろちょろしない。
 でも、人生をしっかりするためだけ過ごしても、なんら意味はないと思うンだ。
 あ、しっかりって「きちんと」にも似ているかも。きちんと大学に行って、きちんと就職して、きちんと結婚して…。
 形は一般的で一番安心でも、その実、目的はっきりしないもの。
 「しっかりしなさい」とだけ言われたら、なんて無責任な言葉を投げ付けるんだろうって、ひねくれものの俺は思うかもね。目的のないものをいくらやったって、そんなの身につかないし、楽しめないよ。
 部屋が汚いのに耐えられない人が、部屋を綺麗にしたくて掃除をする。これは凄く普通だし、しっかりしている。
 でも、部屋の掃除くらいできなければ、しっかりしてないからって部屋の掃除をするのはどうかね。それは「しっかり」の為だけに掃除しているよね。そもそも掃除をしたいわけじゃない。

 しっかりの先になにか幸せやきちんとしたものがある。「しっかりしなさい」にはなんかそんな願望があるような気がする。しっかりしよう。あたりまえになろう。そうすれば楽しめる、幸せになれる。そんな風に俺には聞こえたりする。
 でも自分に楽しいものがあることと、みんながいう「しっかりすること」。これはまったく関係ないよ。楽しいってのは自分に興味がないと見つからないし、他人を羨ましがっても得られない。出会いの運命もあるけれど、楽しもうと思わなければみつからないよ。
 テストの点数の良いやつが必ず幸せになるとは限らないように、しっかりだけで一生を過ごせる程人生は退屈じゃない。そしてしっかりだけで楽しめる人は、逆に退屈だ。

 俺にはしっかりってのはよくわからないんだけど、一つ言えるのは真剣さということ。
 楽しいことを真剣にやっていけば、勝手に「しっかり」なんて身につくと思う。
 結局しっかりやることは大事なんだけど、形だけでは何もない。ルールルールでしっかりすることよりも、そんなもん気にしないではみだして、楽しいことをまず見つける。
 そっちがなにより先かなぁって思うンだ。

 だから、部屋がとっちらかってても「しっかり楽しんでいる」って人はいるはずだぜ。きっと。


 寝不足。菊花賞はマッキーローマン注目だって。
 新しい生活なんだ、と日々実感します。
 都合のいい風に気持ちは変わってくれます。それは望もうと、望むまいと。
 片道一時間の通勤。半分歌ってます。






2000.10.11
こんなDJは嫌だ!

 というよりもし俺がDJになるなら「この名前だ!」という空想なり。
(案)
 ・DJパンダ
 ・DJフォアンフォアン
 ・DJトントン
 ・DJデドボール
 ・DJファウルチップ
 ・DJ寿楽
 ・DJハトヤ
 ・DJゴブリン
 ・DJ機関車トーマス
 ・DJフォークダンスDE成子坂

 うーん、つまんね。文字にしたならたいしたことなかった…。
 birdのライブがプレ予約でとれなかったなり。
 当日に賭けろ!


 他人は自分の写し鏡です。
 実感。

 仕事は慣れないしらない部分がたくさんあるけど、仕事を色々与えようとしてくれるので、胃が痛いながらも有り難くもあります。現場だぃ!






2000.10.09
連休は

 連休一日目は結婚式でした。
 全身タイツをきました。
 二日目はひいおばあちゃんの13回忌でした。
 3回忌ぐらいでいいだろ。どーも、ね。
 三日目は午前中は寝て、午後動いた。
 部屋はあんまり片付かず。

 行動範囲がせまいんでどうにも暇です。
 週末、かなり久しぶりに胃が痛くなりました。
 「あーあ、週末おわっちゃう」って。
 こんなナーバスなのは初めてだ。

 どーにも。


 この頃の富士山






2000.10.3
わがままを言える、叶えられるだけの自分なのかって問題

そのまま。
向き不向きやら適性やらもあろうけど、なにいってもまずわがままな俺。
だったら立身出世して身分相応になれっちゅうねん。
あー、ダメダメ自分。

こころに殻ばっかだ。


多分一ヶ月は、やることやりながら、覚えながらグチグチモード。
街に出よ。
うわー、弱音ばっかで全然たいしたこと書いてねぇ。
いつもだめだけど、しばらくどうだろ?

うーん、なんか創作かけたらなぁ。

「落葉を 音にかえてく 足下の
 空高くを知る その小ささよ」

句までしょぼい!






2000.10.2
慣れるまではそれだけで疲れる。

 そういうことです。
 うーん、人生自転車操業。


 三国志読めてないなぁ。






2000.10.1
明日は初出勤

 明日から仕事です。頑張ります。
 こっちでの蓄積は何もないんで、実家とはいえちと寂しいです。
 会社での人間関係もないし、実績もない。
 やっぱいい人間関係はもっともっと欲しいし、会社で仕事をしている人間として認めてもらえる様に、実績も欲しい。
 できると思って頑張りますし、今はまだ何もない。まず冷静にこれを踏まえます。
 「ただ実家に帰ってきた」とか、「家の為に帰ってきた」訳ではないんで、荷物もまとまったらやりたいことにどんどん具体的に頑張って行きたいです。
 鍛練します。

 実家の友達はあんまりあってないかも。
 なんか、「酒のみの人数がひとり増えた」「マージャンの面子が一人増えた」みたいな言い方すごくされるんで、がっかりしています。普段みんな忙しいからそういう時に楽しみたいのだろうけど、なんかそれだけな言い方ってどうかね。俺の人間性に問題ありかね。
 間違いなく友達なんだけどこの温度差。
 都会と田舎の温度差をすごく感じます。

 飲むのもいいんだけどね。まあ、俺は自分の人生観でやることをやります。
 本も読むし、もっと書くし、ホームページもリニューアルするし(笑)、サーバも持つし、データベースも持つし、写真もとるし、楽器もひきます。うーん、もっとスポーツしたいし。
 しばらくひとりでこちょこちょしているかもね。

 身にならない遊びって、だんだん嫌になってきたのかもしれない。
 毎週飲みに行くよりは、釣りに行ったり、海に行ったり、山に行ったり、旅行にいきたいし。
 成功したお金で色々なところにいってみたいなぁ。

 俺が変わり者なのか、他人様と非常にずれを感じる今日この頃です。


 彼女にふられて、そうなったら寂しく一人で東京を離れると思っていました。
 なので、最後に飲みにいって色々沢山話してくれたり、俺のうるさい話を聞いてくれた会社の元同僚とか、浅草で色々話を聞いてくれてアドバイスをしてくれた年寄りの方とかに、ホントに感謝しています。どうもありがとう。
 不思議なもので、実家に帰ってきたのに東京のそういう人たちにふと頼ってしまいたくなるような、そんな心境です。
 でも、それではこっちで暮らしていくことには何にもならないんで。まあ、また東京には遊びにいきますけど、しばらくはこっちで仕事もそうでないことも築き上げていきます。

 始まりであり、まだ東京から静岡に戻ってきたある部分で過程なんで。
 また、なにか話があったらそれをはなせたらいいな、と思います。

 うーん、複雑だよ。なんだか。やっぱ東京の人になっちゃった部分もあるね。






2000.9.28
3:33

 「あ、今日は東京最後の特別な日なんだ。」
 そう思って携帯を覗き込んだらちょうど3時33分だった。

 引っ越しの待ち合わせを大学時代に住んでいた駅にしていた。
 いざいってみて驚いた。凄く感傷的な自分がそこにいたからだ。
 大学時代に住んでいた街。なんだか色々な思い出を蘇らせる。
 整理した気持ちが、最後の最後ですこし散らかった。

 初めて待ち合わせしたコンビニとか、お互いが一つになろうと決意して、相手をまっていた駅前だとか。バイト先はまだあって、過去を忍ぶ材料がいくらでもあった。
 過去がつらいと思ったことはあまりなかったけど、その時は思った。
 「あのころがずっと上手に繋がっていったらよかったのに。」
 無邪気だった過去が今は少し痛い。それから逃げたいっていう言葉だったのでしょうか。

 確かに挫折で、でも今には納得しているし、満足している。
 自然な形をゆがめること程、無駄で無理なことない。

 今はまだあの頃の面影をたくさん残している聖蹟桜ヶ丘の駅も、それでも新しいビルができたり、街の外見は変わってきた。もちろん、住んでいる人は常に変わり続けている。
 さらに時間が過ぎれば、さらに街はかわる。
 面影も残らないような街に変わっていく。
 それが当たり前の変化だ。

 僕も、前の彼女も、それは同じだ。顔を常に合わせていたから変化が分かりづらかっただけで、少しずつ少しずつ箇所を代えながら変化し、そして人間はだんだん変わっていく。
 そうやってお互いが変化して、その結果、破綻した。
 変化を認めなければ、それを無理矢理どこかに押し込んでしまえば、形は続いたかもしれない。でもそれだけだ。何の実りもない。
 自然な形をゆがめること程、無駄で無理なことない。

 自分自身を前にすすめるために、お互いの人生に正直に沿っていけば、今日の日のこの状態はすごく正常だと思う。
 そう思える自分がいるのだから、それでいい。
 一緒にいた過去に感謝している。そして今の向こうに対して信用できない部分を感じている自分がいる。

 荷物を整理していて、どうしても捨てられないものもあった。
 アルバムとかは「今ここで捨てていこう。」と思っていたんだけど、「ま、いつかどうでもよくなったその時でいいや」と思った。
 マフラーとかが困った。で、結局残した。
 別に未練があったり、まだ好きで相手を忍んでいる訳ではない。今の向こう、これからの向こうにそういう興味はない。
 ただ、過去の無邪気だった相手に対して、その思いに対して、申し訳ないと思ってしまった。
 過去になってしまったけど、その時の相手の気持ち。
 それを思うと、捨てることはできませんでした。変かね。

 過去に確かにいた彼女に、今日の文章は残すメッセージ。
 もちろん、過去にいた自分にも。
 まるでタイムカプセルのように、これを見たとしてその時の未来の彼女の中にいる、過去の彼女に届けるメッセージ。
 伝わらなかったことは、何も書いていないけど、伝わらなかったことの何かがこの文章にはあります。

 未来に、お互い笑っていたらいいな、という祈り。
 結局最後はそれだけです。それもそのうち過去になります。

 とにかく、俺は心機一転。
 これっからっす!

 「今はいいよ、mylife」


 最終的にモスバーガーでこの原稿しめたんですけど、「あなたのキスを数えましょう」やら「チェリー」やらがかかった。
 なんというタイミング。






2000.9.22
じじくさい話。

 この年になって思うンだけど、まあ今の社会の弊害っていうの?あると思うんだ。
 何が?って感じしょ?うーん、就職についてなんだけどね。
 「好きなものになる。なれる。それにチャレンジする。」
 っていう考え方?俺、今までそれって凄く指示してきたけど、今はそんなに指示できないかも。うーーん、じじくさいかもしれないけどさ。
 これって、すごく豊かな、経済的に余裕のある社会だからこそだと思うよ。失敗しても大丈夫な余裕がある社会だからこそ、まあ言える純粋な夢だよね。成功失敗ではなく、その過程が大事。確かにね、大事さ。
 でもね、結局花が咲かなかったらどうしようもないと思うんだ。
 失敗して食べれなくていいっていうんならいいよ。でも実際にそうなったとして「いい」ってことはないでしょ。よくないでしょ。いくら好きでも何かを為せなかったり、成功がなかったら、面白くないでしょ。
 いや、人の人生ってそれぞれだからいいんだけどさ。

 ここで一つ提案。
 「自分の秀でている部分を好きになる。」ってのはできないのかね。
 俺、人間の心ってそんなに柔軟性がないとは思わないんだ。決してはじめは興味のないことでも、好きになれると思うンだ。それにこれは仕事に関してだからいうけど、仕事ってやってみると面白いしね。やっぱ仕事はそういう奥深さがある。
 そういうものに、自分の力のある部分をぶつけていって、結果を出して、さらに自分を高める。それのほうがやみくもに好きなことよりよっぽど快適で楽しいと思うンだ。
 好きなことに対して、才能はないことの方が多い。また、確かにやってみなければわからない。もっといえば、好きになれること自体が才能だともいえる。だから、その時点でなにかしら才能がある、と言える。
 でもさ、才能を凌ぎあうのが社会だから。やっぱ、足りない才能はこぼれ落ちるからね。努力でカバーできるけど、でも努力も才能だよね。継続できる人はすごいし、継続ができる人間になれるまでに、意外に時間がかかったりする。
 なんていうか、あんまり夢ばかりにこだわり続けるのも、現実の生活を考えると「切迫感」がなさすぎると思うンだよね。(というか、俺はそういわれた。)

 そういう意味で、「なれる」と「なりたい」があまりに混同しすぎている社会には「?」だ。なりたいが破れた時、またなにがやりたいのか分からない時。自分の長所を見つめていって、それを好きになってみる。
 そうすれば色々素直に見えてくることがある。

 と、現在失業中の25才から、説教臭い話のなのさ。
 でもね、成功って結果が一番身につくよ。多分。
 一番教えてくれるのは失敗だとは思うンだけど。


 前回書いた内容で「笑顔」って出てきたけど、俺が注目の笑顔はサッカーガンバ大阪の吉原。
 俺が女だったら惚れるね。それくらい気持ちいい笑顔をする。注目。

 あと、ホームページのリニューアルですが、「やってます!」
 でもね、自動化をしようとapplescriptを勉強したり、filemakerいじったりしてると、なかなか進まないです。分からないことが多い!
 やっぱできるだけ更新作業を「書くこと」だけにしたいんで。






2000.9.19
柔ちゃんは偉い

 田村亮子選手がオリンピックで金メダルとりました。すごい。
 でも彼女は本当に偉いですね。いつでも勤めて笑顔でいる。すごく大事なことだと思います。
 彼女の若い頃はお世辞にも美人とはいえなかったと思うンです。実際大学で見た時もパッとしない印象でした。(僕は帝京大学で、彼女と大学は一緒。)でも最近はしっかり大人の女性として美しいと思いますよ。笑顔がやっぱいいですもん。様になっています。

 昔はあんまり努めて笑顔を意識することはなかったのですが、最近は自分自身意識するようになりました。別に自分の笑顔が暗いとは思いませんが、やっぱ笑顔が暗いのはやだな。明るい方がいいなぁと思うこの頃です。
 笑うと言うのは自然な仕種です。けど、大人になるにつれ、その笑顔をもっと生かす自分がいていいと思うようになりました。実際問題、笑えないと辛いことを乗り越えられない時もあります。笑顔が萎えてしまうような時は、気持ちも折れてしまう時が多いんです。
 辛いことも笑って乗り越えられるような自分にと思いますが、それは自分が強いから笑えるというより、笑ったからこそ乗り越えられる強い自分になれるのだ。そういう風に考えるようになりました。

 笑顔はまったく自分のための表情ですが、良い笑顔は他人を励ますこともできます。
 言葉のように、笑顔も表現の一つなんですね。そう気がつきました。

 田村選手が初めて福岡国際を優勝した時、インタビュアーに「好きな言葉は?」と聞かれました。その時は「歴史は勝者だけの記録」と答えたそうです。
 後でそのことを聞かれた田村選手は、「こんな自分でも表現できるんだという喜びにしがみついて、思い付いたことを表現したんだと思います。意味を分かって言っていたんでしょうか?」と笑い、そして「じゃあ、今好きな言葉は?」との質問にこう答えました。
 「『笑顔』ですね。どんな苦難も笑顔で乗り越えられる人になりたい。」と。

 柔道はもちろん、彼女の見せるこういった姿勢が、本物の一流を感じさせます。
 そういう表現を僕らにしてくれること。その喜びがある事実が、本当に嬉しいものですね。


 いやー今日は恥か書いた。一つはリサイクル屋に部屋まで来てもらったのに、まったく引き取ってもらう物がなかったこと。
 もう一つは、全く誤解でメール書いてたこと。

 うーん。まあそういう日もあります。
 超恥ずかしかったー!と書いてそれで終わりですけど。
 (m-floの新曲は楽しい!)






2000.9.14
自分を鍛え競馬に接する-「戸山為夫/鍛えて最強馬をつくる」より

 自分を鍛えるといっても、体力だけではない。鍛えるというのは意味が広い。知識を吸収することも、常識を養うことも、判断力を高めることも、すべて自分を鍛えることである。鍛えなければ、無知、非常識、馬鹿である。
 常識や判断力には、対人関係、話術、説得力というようなことも入る。言いたいことが相手に伝わらなければならないし、同じ意味のことを言っても、相手の心に訴えられなければなんにもならない。鍛えると簡単にいうけれども、これらを完璧にするには、やはり一生涯かかるだろう。常に鍛えていなければならないものだと思う。
 幸い馬とちがって人間は、読んだり書いたり、しゃべったりすることができる。知識や経験を記録し蓄積し、それを交換できる。自分では経験できないことも、いくらでも知識という形で取り込むことができる。これは他の動物にはない特権である。
 その特権を活用しないで、自分は職人だから経験したことで十分だとか、阿吽の呼吸でわかるだろうとか言うのは、半人前と言うべきだろう。人間である以上は、しゃべり、書き、人に理解され共感を得るようになるべきだと痛感する。


 「鍛えて最強馬をつくる」は、俺の記憶が確かなら、最近文庫になったはずです。
 一冊を選べと言われたら、迷わずこれを選びます。






2000.9.9
積み荷

 うろ覚えなんだけど、船と積み荷の関係が面白いなぁ、って。

 船って、積み荷がないと安定して運行できないんだって。
 積み荷のない船って一見早そうに思えるけど、その実安定していんだってさ。水面に浮き過ぎていて、波に弱い。確かにスピードはあるけど、あぶなっかしく転倒しやすいんだって。
 じゃあ、積み荷はあればあったほうがいいかっていうと、そんなことはない。
 船の搭載容量をこえた荷物をつんだら…沈むからね。
 結局船の大きさにあわせて、適切な積み荷の量ってのがあるってことさな。

 この積み荷と船の関係が、経験と人間の関係に似ている部分もあるな、って思ってさ。
 もちろん、積み荷が経験。船が人間って考えてさ。

 年をとるにつれ経験は増えるわな。「経験は大事」っていうから、経験はあればあるほどいいような錯覚をつい、してしまう。でも、船の話に例えれば、そんなこともないような、なんて思い直すんだ。
 人間のキャパシティに限界があるように、自分の持ち合わせる経験の総量みたいものにも限界がある。人生はよりよい経験だけを常に残して、自分の総量をもれたものはこぼれていくのかぁ、なんてね。

 結局ここでも量の差よりも質の差かなぁ、なんて考える。
 よりよい経験を自分にのこしていきたいし、そういう経験が自分という船を大きくしてくれるんだ、と。そしてそれがより多くの経験を自分に残すための呼び水になる。結局そういう循環なのだろうか、と適当に考えたりします。

 まあ、頭で考えてばかりでもしょうがないんだけどね。
 ただまあ、何ごとも「足るを知る」ではあるでしょうね。


 夢の種を大事にもっていよう。
 何かを現実にしようというときに、大事なのは夢。でも、夢だって簡単にはみつからない。
 だから、何かが少し気になった時、それを大事に忘れないようにしておこう。
 多分それが夢の種だからだ。
 結局ひとつの夢を選ぶ。しかも夢すらもまず夢になるまでがむずかしい。
 なかなか夢にまで育たないんだ。夢の種は。
 だから、夢の種はたくさん、よくばって持っていればいいと思う。でもそれははかない。通り過ぎたら、忘れたら、あっというまに夢の種は消えてしまう。
 今の現状や周りの意見や常識から、もろくはかない夢の種を守って持っていよう。

 叶った現実からみれば、夢だって現実へのはかない、もろい種なんだから。






2000.9.4
コトバの神様にだけなってもしょうがない

 コミュニケーションは大事。それは真実。
 でも、言葉上手だけではしょうがないのも事実だよ。
 言葉は伝えるけれど、具体的な何かを変えたり動かすことはできないからね。
 言葉が届くのは心だけだから。
 「動け!」といっても目の前のPCは動かないでしょう?

 人生をいろんな目的で人は生きる。自分の価値観以外で自分は生きることはできない。
 大切なひとと何かを共有する。共に手足のように助け合って生きていく。
 だからこそ現実的なモーションが大事。

 言葉上手になり過ぎると、現実で動けないことへの、うまい言い訳ばかりが上手になってしまうかもしれない。
 そうならなければいいだけなんだけど。
 言葉は行動ではないし、ある意味小手先になることがあるから。

 言葉は技術。
 コミュニケーションは技術。

 あなたが動くことが大切で、そのために言葉があなたの心を動かす、あなたの心を構築する。
 それが大事なんだと思う。というか、そう言い聞かせている。

 もっと具体的に。もっと具体的に。もっと具体的に。

 動ける凡人でなければいけない。まず、とにかく。
 それで、言葉がでるならいい。
 でも、コトバの神様にだけなっても、それは何の意味もない。

 言い訳上手が烏合の衆でしかないようにね。


 よっぱらってワープロ打ってます。fishmans最高!(バックで流れてる)
 友達の知り合いと話してたんだけど、静岡県の釣りは不調だって。原因は三宅島の噴火活動じゃないかっていってた。なるほど、そういう影響もあるんだなぁ、と思った。






2000.8.29
友情についてだ。コノヤロー

 流れにのって友情についてだ。コノヤロー!だぁー!
 これも電話での話から、まあ、ねたが出てきたんで、少し。

 友情を語る前に、同性の友情でも男対男、女対女で違うっていうのが前提。だって俺は男だけど、俺からみて女性は、男ならどうでもいいようなことで喧嘩する。正直そういう時もある。だから友情についてなんとかコトバを探すけど、まあ同性同志といっても男対男についてしゃべるって感じになる気がする。

 なんとかコトバを探すっていうくらいだから、基本的に友情なんてコトバにするもんじゃないと思う。この理屈っぽい男にして、「どっちかってーと理屈じゃない」ってもんだ。友情は。

 友情についてなにか言うのは、まあ、痒くなってくるな。

 俺の友人いわく(彼は北斗神拳の男)、
 「俺にもってないものを持っているから友達」
 っていうのにつきるのではないか。俺もそう思う。違うんだよ。あきらかに人間が違う。
 っていうか、違うところが突出しているっての?そういうのが友達に結構いる。というよりそれぐらい突出してないと面白くないかも、人間的に。

 でも、ウマがあうんだ。これが。違うはずなのにな。その不思議な部分が友情の一番エッセンスの部分、核心かもな。それはどうにもコトバにならん。あえているならそこに「似た者どうし」ってのがあるのかもしれない。

 まあ、そんなとこだ。以上。じゃ、足りないよな。

 でもホント、それだけよ。そして言えるのは、こういうのは努力して作るものとはなにか違うし、友情を構築するための式や方はないってことだよな。自分の人間性に結果ついてまわるもんだ。
 だから、友情は他人なしでは成り立たないにも関わらず、自分に求めていくものなんだよな。自分に求める、自分が自分を磨いていくことがやっぱり大事だと思う。

 ちょっと「情けは人のためならず」っていうことわざに似てるな。

 だから、まず自分が必要だし、やっぱり最低コミュニケーションが必要だろうな。愛し上手愛され上手も適当必要かもしれない。まあ、そうやって書いていくと友情もなんか限り無く愛情に似ているよな。
 「情」がつくものは何か共通のルールがあるのかね?

 友達、親友。ちょっと違ったニュアンスのこの存在。どちらも大いにこしたことはないけど、大事なのはまずそれらがあること。そう呼べる人たちがいることだよ思うよ。数は結果で多い少ないが大事なんじゃない。

 なかには他人には下さない。人は関係ない。友情は関係ないって人もいるかもしれない。本当に一人でもやっていけるっていう人。でも、それはどうかね、と思うよ。

 結局人間は客観的な視点が必要じゃん。本当の客観性を与えてくれるのが友人だと思うんだよね。


 親戚の人曰く
 「相手がこうだと勝手に想像するのは、想像したその人が悪い」とのこと。
 まあ、例えば恋人に優しくしてほしいと期待して腹をたてたとすると、勝手に期待して腹をたてたその人が悪いんだってさ。想像しないで言えばいい。言わない方が悪いって。
 俺、それ聞いて「はぁー」って思ったよ。うん。
 「勝手に期待して腹をたてたその人が悪い」って法律がいいなぁ、と思ったよ。
 俺的に画期的。

 あと、異性の友人いわく
 「理想の恋人ねぇ。『恋人で友人で理解者で…』ってだったらいいよね」と言ってました。
 ある意味恋を知らない子供のような意見ですが、その実凄く分かる内容だったりします。
 しばらく俺の中にはなかった発想です。

 あと、旅日記はぜんぜん入力してまっせーーーーーん(開き直り)
 入力したいんだけど、時間がない。家業が忙しいんです。
 さらにいえば気持ちがちょっと盛りかえしてくるんだって!

 ホームページのリニュも考え中だし(言うだけ)
 しばし待て!(しばしってどれくらい長いのかな…)






2000.8.25
男女間の友情について

 前の会社の方から「男と女の本当の友情みたいなものについてどう思うか」とメールをいただいたので、それについて少し。

 僕について言えば、女友達は数人います。小学校からの同級生。大学の友人。前の会社の女性にもそういう風に言える方がいるかもしれません。
 女友達がいる以上、僕は男女間の友情は「ある派」です。
 あるものをないとはいえませんからね。

 じゃあ、実際にどんなつきあいをしているのか。
 別に、ひっきりなしにあったりはしませんね。
 男の友達も同様ですが、たまにあっても話がある、通じ合うのが友情です。現に女の大学時代の友人には、大学卒業後あっていません。でも卒業後に電話だぁ、手紙のやり取りをしました。
 最近は俺のほうにかなりショックな出来事があって、それで手紙を書いたぐらいです。まあ女々しい手紙でした。でもそれに返事を出してくれて、しかも心のある内容でした。嬉しかったですね。

 地元によくあう女友達がひとりいます。店の売り子さんです。店のマスターとも知り合いになったので、暇な時によく話しはします。でもどこかに一緒に出かけたりは基本的にしません。
 困った時、お互いの得意分野を助け合ったり、あるいは相談にのったりはします。お互いの生活を話しにしたりもします。馬鹿言ったりもします。

 結局、女友達といっても友達です。
 ですから、基本的に男友達とのつきあいとさして変わりません。
 女友達をつくろうと思った訳ではないのですが、たまたま女の人とウマがあって、結果友情がうまれた。それだけなんですよね。

 女友達と男友達で違う部分があるか。
 あります。何か相談した時に、帰ってくるコトバが違います。
 男性は女性の視点にはたてませんから、女性から帰ってくる女性としての意見は、なにより参考になるときがあります。恋愛相談みたいなものは特に参考になります。
 性別が違えばこそ、新しい視点や価値を教わることは非常に多くあります。

 最後に愛情と友情の違いについて。
 僕が思うに友情は「ふたりだけのもの」を積み上げません。お互いにお互いの生活があって、それぞれがそれらを持ち寄って共感する、交換するものだと思います。
 愛情はそうではありません。二人の間に「ふたりだけのもの」を積み上げていきます。そしてそこに共感を求めていきます。
 デートやキスやらは、もっともわかりやすい「ふたりだけのもの」でしょう。
 お互いがそういう関係を持ってなおかつそれらを意識するのは、まさに二人に愛情があるからです。
 そして恋人は友達同志でもちあう生活の、そのまさに一部なのでしょう。

 基本的に恋人ができたら異性の友達とは疎遠になるようです。
 そもそも性別に限らず有人関係が疎遠になる傾向があるような気もします。
 お互いに友人への理解があれば、友人との時間を多く割くカップルもいるでしょう。
 でも、それでも異性の友人と時間をつくることまでは、どうでしょうかね。
 つくるとしても、「頻繁」は、ないんじゃないんでしょうか。

 「たまにあっても話がある、通じ合うのが友情」ですからねぇ。


 これが参考になったかしら?






2000.8.24
困った。

 今日面接にいってきました。静岡の会社です。
 9月からきてくれと言われました。で、仕事は製作と営業をかねるって感じです。しかも光通信系の販売です。ホスティングを売って、それとともにwebの仕事を受注するって感じです。その製作もやれるとい話に、気がつくと進んでいました。
 やっぱITわかる営業が少ない。具体的なwebコンテンツプランをたてられる営業はいないみたいです。そういう意味では製作あがりってのは、理系の新卒のように重宝がられます。

 しかしです。自分でまいた種とは言え、東京のいきたい会社ってのが面接が9月。それをうけなければ就職しようかって感じもするんですが…。東京の会社に面接行かなかったことが後悔にならなければいいのですが。今は就職うんぬんより、後悔するか、しないか。考え中です。

 結局チャンスに飛び込めればいいわけで。それができれば東京だろうが静岡だろうがパキスタンだろうがいいっすよ。だから東京にこだわり過ぎるな、とも思っています。ちょっと視点がどちらにも片寄りがち。

 とりあえず、もう一度今日受けた会社の長所・短所を考えてみます。
 あと、家の後のことも、いい機会だから考えてみたいと思います。


 とりあえず返答の有余を頂きました。
 来週の頭に返答をしようと考えております。






2000.8.20
就職活動中

 現在、就職活動中です。結構だるいです。
 毎日、履歴書を書いたり書かなかったり、幸い家の仕事が忙しいのでその手伝いをしながら実家にいます。
 梨はだいぶ取れていて、お陰様で仕事は忙しいです。選別をしたり箱を作ったり、箱詰めをしたりしています。そうやってなけなしの手伝いをして、一応食費の代わりにしてもらっています。

 仕事の方は、静岡にしようか東京にしようか考え中です。でもちょっと東京につかれたかなぁという気もします。正直、東京にいる理由があんまりなくなってしまった。それが事実かもしれません。
 自転車で旅行をして、静岡県のいいところもたくさん目につきました。伊豆、御前崎、富士山、富士五湖。他にもいろいろあるけれど、そう言った自然。そういうもの楽しみたくもなってきました。
 なかなか踏ん切りがつかず、でもとにかくやりたい仕事のあるところに住もう。それが基本になっています。会社をいろいろ見せてもらって、まあ見ただけではわからない部分の方が多いのですが、それもいいところがあれば就職したいです。

 呼び水という言葉がありますが、今ほとんどをやり直しする僕にとってまず就職が呼び水だと思います。就職をして仕事をして色んしきコミュニケーションの中に入っていって、その時新しくいろんなものがまたあると思います。

 まあ、有給休暇を消化中は焦っていた就職も今は正直ちょっと落ち着いてます。
 逆に度胸が座ってしまった感じです。
 とにかく多くの会社を受けにいこう。そう思いながら手伝いしたりゆっくりしています。

 だらだらモード。


この文書はすべてIBMのviavoiseというソフトで入力しました






2000.7.19
トマラルク

注)これは、ラジオ「サタディ・ウェイティング・バー」で流れたラジオ・ドラマを思い出して書き起こしたものです。

 男は、女と軽井沢へ向かう車中にいた。
 引き上げ式の窓をあけて、心地よい風を受けながら、そのスピードを感じていた。
 ガタン・ゴトン。列車は敷板を跨ぐ度に揺れていく。
 そのテンポに噛み合わせるように、二人の会話もはずんでいた。
 「あ、あれ見て!」
 スピードの奥で景色はゆっくりと流れている。
 「え?あはは、何あれ、うっわー、金の門構え?すげー趣味わっりー!」
 田舎の農家によくある大きな屋敷だったが、その門構えだけが趣味の悪い金色だった。
 「えっ、あぁ。ねー、そうねー」
 女は一瞬言葉を止め、そう呟いた。
 電車は加速し続けていた。


 女はバーで言った。
 「私達、別れましょう。」
 男は驚いた。
 「え、なんで?だってこの前だってあんなに楽しかったじゃないか!」
 女は続けた。
 「私達、ずっとうまくやってきて、同じものを同じようにずっと見てきた。私はそう思っていたの。でも、この前、あの軽井沢いきの電車の中でね、あ、本当はずっとお互い違うものを見ていたんじゃないか、ってそう思ったの。私は同じものをみて、喜んだり悲しんだりしたいの。それができないと思ったから、気付いたから、別れよう、そう思ったの。」
 男はまくしたてた。
 「え?軽井沢への電車・・・。ああ、あの金の門構えのこと?じゃあ、あの時君はもっと他のものを見ていたっていうのかい?そんな。じゃあ、あの時何が見えたのさ。僕が見落としたものがあるってことだろ?」
 「分かった、今からそれを確かめにいってくるよ。明日同じ時間の同じ列車にのって、君が見たものがなにか、この目で確かめてくる。だから、その間時間をくれないか。今日はもうダメだから。明日いく。明後日には戻るから、それまで時間をくれないか。」
 「明後日。必ず君が見たものと同じものをみてくるよ。それが何か必ず君に伝えるよ。だから別れるなんて言わないで、明後日までまっていてほしいんだ。」
 「今から帰って仕度するよ。じゃあまた、明後日。この場所で。」
 男は席をたち、そのままバーの扉の向こうに消えていった。

 扉の閉まる音を聞いて、彼女はつぶやいた。

 「行っても見えるはずないのに。だってあの時私が見たのは、空にかかる虹だったんだから…。」


 これ、すっごい印象深かったんで、書き起こしておきました。
 気持ちが一度離れたら、もうもどらないんでしょうか?お互いは寄り添えなくなるのでしょうか?

 あと、小板橋さんに伝言。
 僕の書いた文章をほめてくだすった方に「emptyhouseもよろしく」ということで、アドレスを宣伝していただけないでしょうか?
 ちなみに、なんとかこのページiモードで読めますね。びっくりしました。

 最近、積極的に布教活動注中(布教…。)です。
 んな感じで。