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99.1.26
プリズム

 こめかみのあたりがどうにもつぱっている。歩きながら気になって仕方がない。ぐりぐりと指でおしてみる。そして気がついたのが今日。頭に血がのぼるってこういうことなのか。
 ストレス。その原因がイマイチ分からないんだけれども、コンピューターの画面を見つづけている事や、細かい事をすごく気にする性格が原因なんだってさ。あと肩こりも。そんなこんながごちゃごちゃとめまいをひき起こしている。幾分はよくなっているが、めまいがする度に一気にやる気がなくなる。注意力が散漫になるのは事実だ。嫌になる。

 だけれどもこの体ともこの心ともずっとつきあっていかなければならない訳で、ないものねだりもしていられない。今日明日でよくなる訳ではない症状だからじっくりやるしかない。けれど健康程大事なものもない訳で、やっぱりだからこそ症状が出るとがっかりする。一足飛びでなおってくれないものかと大雑把な視力でものを見てしまい、そういう自分に嫌気がさしてストレスはたまっている。それがこめかみをつりあげる。

 わずかながら東京に雨が降った。埃っぽかった空気が一気につややかになった。冬の凛とした空気。女の子や子供たちのピンク色の頬が、吐いた吐息の白の向こう側にうっすらとあらわれる。こういう冬はいい。色っぽい季節になったものだ。

 「冬はつまらないものを全て凍らせる。そして生き残ったものだけが春を迎えるのさ」といっていたのは家栽の人のマンガの中だったか。確かにそんな気がする。ボクはクリスマスの冷たい夜空に、大事なものだけが残ってほしいと思った。つまらないものや、心の泥を削ぎ落としてほしいと思った。冷たさが鋭くつるつるした薄い平刀のように、心の何かを削りだしてくれると信じたかった。「仏像を彫るのではなく、木から削り出すのです。」

 なんにもできなかったけれど何かできると思っていた幼き日々を笑うことを覚えたけれど、あの頃は自分の歩幅に何も疑問を持たなかった。それは自分の歩幅に自信がないなんてことはなかったってこと。今は?何ができるのか分からなくなった上に、何をやりたいのか分からなくなった。昔よりもだいぶ立派な歩幅で毎日を渡り歩いているつもりだけど、その歩幅に不安ばかりを感じている。もっと大股に、もっと早く。そうやって下を見る日々が毎日で、そしてボクはどこに向かってあるいているのか分からなくなった。

 みんな昔の事は覚えているものさ。クラブが楽しかったこと。好きな女の子がいたこと。夏の日が眩しかったこと。でも古い事は忘れてしまったのさ。机の傷。かくした飴の場所。時間がたつにつれ僕らはつまりこうさ。昔の事が減って、古い事が増えた。つまりそうやって僕らは昔の大事なことを忘れていく。昔は夢見て胸はっていた事をボクはまだ覚えていたけど、それはもう少しで古い事になってボクの中からは消えてしまうところだった。そう思うよ。

 子供の頃の夢ってのは無邪気だけれど残酷な事が多いのさ。簡単にいえば「スターになりたい。」「成功したい。」それはつまり敗者にならないってことだ。でも実際は・・・人生の大半は負ける事だ。そのストレスにどうやって立ち向かうのか。背負うのか。人生の悩みごとは意外にこんなこと。だからこそ無邪気に夢見れない事情ってのは自分でも分かっている。だけれどそうやって人生をつまらなくして、さてどうしよう。体の事も、心の事も、結局は自分でどうやりたいかってことだ。具体的になれるのかな?他人を踏みにじらずに成功できるかな?幸せになれるかな?共有できるかな?
 それはつまり新しい事であって、それを生み出すためにはイマジネーションが必要だし、実行するには前例がないから強い信念が必要だ。勝つにはそういう要素が必要だし、それが疲れるとか難しいんだったら、極端にいって負けるしかない。あとはいかにプライドを傷つけずにまけるかってことが問題になる。
 俺は、まだ負ける事なんて考えたくない。というかそういっている日々事態が負けつづけの日々なんだけど、「如何にダメージを少なく、恥ずかしくなく、無難に負けるか」なんてことを考える気にはさらさらならない。

 プリズムというのは面白いもので光を当てると虹を屈折して返す。きれいなものだけれど、何の役にもたたない。役に立たない石に意味はないかもしれないが、僕の人生は光がどこにも逃げられない。屈折すらしないくもりガラスのようなものかもしれない。そのくもりはいったいどこからやってきたのだろうか。そういう疑問がずっとある。

 ただ一つ。ボクは少し時計の針を戻してやろうかと思う。手持ちを不安になるな。見限るな。あきらめるな。止めるな。
 最初っからぼくの手のひらには何もなかったし、今もないはずだ。
 手にとれるものは沢山あるのに、手をのばさないだけだ。

 自信をもって疑問を持たなかった頃の自分でまだまだ向かうべき明日はいくらでもある。

 


 気軽な幸せなんてない。






99.1.21
べっとりとした泥

 足早にとにかく急いで足を運んでいるのは、早く着替えたいからだ。早く風呂に入りたいからだ。早く眠りたいからだ。ゆっくりと家路を眺める余裕がない。前に人がいると抜きたくなる。でもコンビニには無性によりたい。でも買い物の用事はない。
 同じ雑誌を何度も立ち読みする。テレビのチャンネルを何度も回している。同じページを何度もくり返しりロードする。時間をだいぶ無駄にしているのに、さっきから部屋が汚くて気になってしょうがないのに、一向に自分は掃除をしようとしない。

 体が透けているようなまん中の心臓のような心に、べっとりと汚い泥がなすり付けられている。それがどうしても気になって気になって仕方ない。僕はそれを拭き取ろうと両手で上から下にこすリおろすように、手のひらで泥を削ぎ落とそうとする。なのにまた泥がくっ付いている。

 真っ白な僕の手のひら。何ができる訳でもない僕の手のひら。
 ただの手のひらなのに、僕の心を触る時だけ嫌な力が宿っている。

 僕の一部なのに、僕の一番嫌いな汚れをなすりつける。


 振り返るとほんとカリカリしているこの頃。
 でも、そういったすべてを喰っちまうぞ!このヤロウって気持ちもあふれる程ある。
 あと、最近心に残る一言を書いてないんで、またかこうっと。
 そのためのget soul






99.1.20
間があきました。

 ちょっと調子が悪くて病院いったらストレスだそうです。びっくり。
 精神安定剤みたいなものまでもらってしまいました。屈辱。
 ほかにやることもあるので、一月はあんまり更新しません。

 ちなみに、精神安定剤もらいましたけど、全然私は普通ですんで、誤解のないよう。

 でも、薬もらった事くらい、カミングアウトしますよ。別に。
 カミングアウトっていう程の事でもないが。

 あと、調子が悪いというのはめまいです。
 このところ一日一回おきていましたが、このところは全然平気です。
 ともあれ、現状報告でした。

 厄年を満喫してます。俺。靴のエア抜けたし。
 はああ。






99.1.12
そらに

 僕らはある意味似た者同志だったんだ。
 他人がきらいで、わがままばっかで、どこにも飛び出せなかった。
 だからいつも誰もとなりにいなくて、そしてその必然が寂しい事に気がついた。
 そんなふたりがつきあいだしたのはおかしな話だけど、別れは案外当然だとも思っているよ。

 僕も君も満足に自分を扱えなかった。自分を否定するのが苦手なだけでなく、ほめる事もできなかった。でも心は正直で、ほめてもらいたいんだよね。
 君といる時間もあまりそれはできなかったな。お互い自分達の間違いをほめ上げて、ごまかす事は沢山したけどね。

 でもそんなだから、お互いを否定することはしなかった。されたらムカつくし、したくもなかったしね。でも、怒れない、喜べないということは、日々が移ろいだとて結局つまらない無意味な仲。
 結局面白くなくて、でも否定もせずはなれた。

 あれからまたいつもの日々が面白くもなく続いている。ただ、つまらないといったふたりの日々が今又たのしくて、そのことをずっと考えてる。

 ふたりの日々を孝えることで僕はこんなに変わった。
 はたして君はどうだろうか。
 似た者同志、同じように思っていてくれると嬉しいのだが。

 少なくとも、心まで一人にならないで欲しいのだが。


 ちょっと前にかいたものが、newtonに眠っていたのでおろしました。
 らくちん。
 あと、フィクションね。これ。






99.1.11
ライム

 ジンというお酒をびんで買った時に、「さて困った」と思った。
 ジンと言うお酒は、何ともじじくさい匂いがする酒である。一口、口に含んだ時、俺は死んだじいさんの匂いと顔を思い出した。顔より先に匂いを思い出した。それくらいジンというのは強烈なのだ。
 ジントニック、というカクテルがある。まあこれに限らずジンバックにせよなににせよジンと言ったら「ライム」が必要不可欠になる。で、ジンに絞ったライムをたらして液体を口に含む。

 こいつが、非常にうまい。

 ジンにはジンの味があり、ライムにはライムの味がある。けれどジンとライムを足してやると、まったく違った味と香りをかもし出すのだ。こいつはもうじいさんの匂いではない。これぞ「ジン」だ!というのは酒を飲めない男の言い分である。

 ジンはじじいの匂いがすると言ったが、ならばライムはさしずめおばあちゃんの立場だろうか。うちのお婆ちゃんは今も健在だが、話を聞くに確かにライムであった。
 おじいちゃんは手がかかったらしい。お婆ちゃんはけっこう苦労したらしい。でもおばあちゃんはおじいちゃんをたてて、色々と話をしてくれる。非常に健気だ。よく考えると。まったく自分の手柄を主張しないんだもん。

 思うに、バーで「ジンを」という客はいても「ライムを」といって酒を頼む輩はいないだろう。

 でもこれが結婚なのかなぁ、と最近遠離ったジンを思い出しては思う。
 二人ならではの味があって、でも、お互いはまったく別物で、ライムなしではジンはないのに、世間向けにはジンが表にたつという・・・。

 俺的には、深い。


 ジンと言えば、「beefeater(ビーフィーター)」
 牛肉を食べる人って意味ですね。






99.1.6
現在地?

 年下のスターだけでなく年下の一流が目につくようになりました。僕はもう、あんまり迷う時間はないと感じています。あるいは、言い訳する過去はこれ以上もてない。未来のために無駄にできる時間はもうないのです。
 僕は「職種」を求める人間ではありません。「いい仕事をしたい人間」です。だから「いい」という評価を他人から受けたいのであり、従って一人で仕事は出来ません。仲間といかにして「いい仕事」をするか。そのための「職種」を常に求め歩き続けています。
 失敗してもかまわないが後悔したくない。まずそう思います。その上で失敗はしたくはない。だからこそ考えつづけ少しでもよい日々を過ごしていきたい。
 つまり最善を尽くす日々が自分の求めるものであり、それを最良の結果に仕上げたい、という日々が連続するのです。


 酒を飲むと目が充血する。
 それが泣いているように見える。






99.1.4
ナイフとフォーク

 人間というものはなかなかに一途なもので、一生懸命頭を柔らかく考えても、他人から見ると頭が固かったりするものです。だいたいおいて、必要なものは二つ。僕らはそのどっちかしか考えられないことがしばしば。
 頭を柔らかく考えるというのは、つまりはナイフとフォークをどちらの手でも使えるようにすることに似ている。右手にナイフを持って、左手にフォークを持って食事をする。その時僕らはどちらの道具も使えている。頭のことに置き換えれば、たしかに二つの思考を扱っているように見える。
 では、右手にフォーク、左手にナイフをもってみよう。思うよりも快適でない食事が待っているはずだ。これも置き換えてみて初めて分かる。ああ、僕の頭は固いんだなぁと。
 ナイフとフォークという道具を知ると言う事は、誰にでもできる。ある程度使う事も、誰にでもできる。でも満足に使うということは、ナイフとフォークを知ることとは全く別問題だ。
 フォークを改善するのでなく、ナイフを改善するのでなく、まず自分自信をひっくりかえして、やり直すこと。

 自分以外の知識を知ってみて、使ってみて、ぐるりぐるりと回ってはじめて出発点の意味が分かる事は多々あります。


書けない・・・。でも分かっていただけたでしょうか?
あけおめ〜、ことよろ〜。
正月太りが、やっぱありますね。一キロほど増えてます。
ガーーーーーーーーン。(でも多分すぐ戻ると思う。例年どおり)







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