2007年からの自分のブログを読み直している

内観の代わりではないけれど

最近ちょっとどうしても気分が盛り上がらない。力がもう一歩でない。何かが億劫だ、という。そういう状況でどうしたものかな?と考えてた。

内容的には体調よりもマインド、精神的な部分が大きいこともわかってきていて、負荷がかかっていたので精神的に疲れがだいぶ溜まって、その溜まったものがだいぶMP(精神余力)を減らしていたのだな、ってこともなんとなく把握ができた。

この精神力は特徴があって、数字がそのまま筋力のような使われ方になる感じ。キャパが300ある人でも100の人でも。50しかなかったら、50の重さしか動かせない。キャパが大きい人だから大丈夫というのではなく、いまあるその余力というのがそのまま力になるのだな、というのがわかった。

つまりは今の状態に謙虚にならなければいけない、ということだ。

なんとなくブログの過去記事を見て

どこまでいっても過去の自分の文章は恥ずかしく、読みたくないものだ。それでもなんとなく。自分の過去のブログを見てみたら、おもったよりもすんなり読める。そのまま読み続けてみることにした。当時の気持ちや考えしかないブログだけれど、思ったりもそれが今の自分に役に立つ。役に立つというよりは素直に読める。

2007年は2021年の14年前だ。32歳。だいぶ若い。結婚したいなと思いつつも結婚もしてないし、周りも若く自分だけの時間がたっぷりあった頃だ。その頃の自分からみれば、結婚もして子供できて仲良く夫婦生活も送れている。コミュニケーションのしがいのある相手もいて、すべてが楽しいわけではないけど悲喜交交含めて幸せだ。

それでも形容し難い疲れがふわふわと大きくなり、変なところで質量をもって大きな疲れになってくる。ぱっときえても結局は消えない。あり続けてよりメンタルを弱らせにくる。うーん、なんだこれ。という状況を32歳の自分はどう思うだろうか。幸せなのにもったいない。ありたがいことに叶っているのに、と思うのかな。

そんなことをふわふわとイメージしてみた。だからといって自分を傷つけることも恥じることもないのだけれど。すっかり別人のような過去の自分の物言いにすっかり興味が出てきたので、こつこつと読み進めることにした。コツコツは多少得意になった。ゴールはあるけれど締め切りはないのでいつになるかわからないけれど。とりあえず読み続けることにした。

読み始めて思ったこと。

読み始めて「わーーー」とか「あーーーー」とか当時の文書の書き方がうざいところも目につくが、まあそれはそれとして読むことはできた。 しばらく読んでいて、結構うんざりというかがっかりしている部分があった。

  • ホームページが中途半端なのでしっかりつくらなければ
  • ストレスがたまると食べたり飲んだりしてしまう
  • 体重をもう少し減らしたい

など。

14年経っても「しっかり作り切った」といえるホームページはつくられておらず。ストレスで食べるのはだいぶ減ってるんだけど、やはり自分にとってはそれが問題の要のままで。体重は少し減らしたけどまた戻ってしまったし。要は14年経ってもどれも解決できていない。というか「解決のために取り組む姿勢をとれていない」ことに改めてショックが大きくて。言葉が極端かもしれないけれど「14年締め切りを引き延ばしっぱなし」なのかな、と。

プロジェクト管理について、思えばどこかで習っていない

これはグチではないんだけれど。批判でもなく。本当に単純に気がついたことなのですが。

世の中に「あれをやったらいい」「これをやらないと」ということはたくさんあるけれど。「プロジェクトを決めて、それが解決するまでをしっかりと教えてくれる」教育ってはたしてあったのかな、と読みながらふと思って。

数学をしないといけない。英語をしないとこれからダメだ。勉強は必要だ。全てその通りなのだけれど、それがなんのためなのか。もっと言えばそのゴールはどこで、そのためにどういうプロセスを繰り返してゴールまで到達するのか。問題を解決した、と実感できる体験を作るのか。このあたりはまったくそのノウハウや理論を、どこかで明宅に学んでこなかったな、と。

そしてその考え方が自分の良くも悪くものところにあるのだな、とも感じて。「お金があればなんとななる」「時間があればなんとかなる」「これを身につければなんとかなる」など。実際はそこまで「それがあればなんとかなる」とは思っていないのですが。それでも。

「これ(新しいスタートや、追加の余裕)さえすれば、なんとかなる(だろう)」という思考の思い込みの深いところにやはりあって。

それを実行すれば安心してしまって、その後の継続があいまいになったり、途切れてしまって同じプロセスの繰り返しになっている。それが14年継続した結果が今の自分のなのかな…、と結構暗くなってしまう実感も、実はたしかにありました。

今の自分にとっての貴重な資料

続けることは良いことだと思ってブログを書き続けてきました。 過去ログは自分のためになる。そうでなくても検索などで誰かのためになるだろう、と思ったりして。理由は時々で色々あったけれど続けてきました。

続けている最中にちょっと読み返してみたのですが。そのときは「これは恥ずかしい、読み返すのも辛い」ということでまったく読まず。そのままSNSの時代が来て「そもそもブログって意味があるのかな?」と思って書き続けることからも遠ざかってしまっていたのです。

そんなこんなの資料が今になって「あ、読み返したい」と思える資料になっています。ブログは何一つ変わっていないのですが、自分が変わって興味の対象になりました。ありがたい助けになるだろうな、と少なくとも今は思っています。貴重な資料になりつつあります。

本を読むことも、文章を書くこともしないと、やっぱり駄目

同時に思ったのですが、やはり本は読まないとダメだし、文章は描かないとだめだな、と思いました。何がダメなのかというのは色々あるのですが、少なくとも本を読むことで集中して落ち着いた時間を確保できます。本と自分の間に何もない。SNSのような社会や他者の雑音が全くない状態で、楽しみだったり、未知の知識を積み上げていく行為は、メンタルにとっても非常に大事です。

あと文章。これはほんとそのままその人の力なんだな、ということを改めて実感しています。推敲力が特に鍛えられると思うのですが、この推敲力が精神的な力もスタミナも強くする大事なトレーニングです。SNSでつぶやくことは、多分どれだけ連投しても「言葉で話してる」にすぎません。書いて、推敲して、直して、自分の中身を外に出すことで軽くしていく。無駄を削ぎ落とし、自分を軽くして新しい何かが入る隙間を整理整頓で作り出す。そうした一連の流れとトレーニングには書くことにはあります。

なにより今回「古いブログを読み始めました」ということを最初はTwitterで呟こうかと思ったのですが。それ自体をブログにする方が過去の自分に筋を通す意味でも、新たにブログを書くという意味でも正しいかな、と思ってブログの新しい1ページにすることにしたいのです。

とおもって書き始めたら最初は色々書き出してしまいたいことがでできたし「書き出してしまいたい。書き出すことが今の自分にとって意味があるのかな」と。そう思ったので、ひとまずは書くことにしました。

今後もブログは書いていく(と思います)

今日以降も。こんなに長くはないですがブログは書いていこうかと思います。少なくとも過去のブログを読んで「こう思った」とかの感想は書けると思いますし。

ブログはa-blog cmsを使って書いていますがブログサービスでなく自分のドメイン・自分がわかる仕組みで書いていて良かったです。お金はかかりますが自分で管理できるし、サービスがなくなって消えてしまっていたら、こうやって読み返すこともなかったので。

SEO的には過去ログは純度を下げる負の要因もある(コンテンツの純度を常に最新に更新して、古かったり不要な情報は排除した方が良い)のですがそれはあくまでGoogleの基準であって。自分にとってはストックの意味がしっかりありました。それはそれ、これはこれの価値観だとおもいます。なのでデータやログに意味はあると信じて、今後もこの形で先を繋げていければと思います。

ということで。長くなりましたが。

今日からiA Writerを使って文章を書くことにしました。 これも出た当時使ってすぐに諦めてしまったのですが、今改めて使ってみてちょうど良い感じにフィットしてすごく感謝してます。書くのが楽だし、書くことが楽しい。

マークダウンの記法もショートカットで実行できるので、覚えたり気にする必要もないし。プレビューの文章はそのままコピペすればリッチテキスト化するのでそのあたりも汎用性があるな(FileMakerのリッチテキストエディタなどにも転用しやすいな)などと思いました。


更新 2021月10日25 11時39分

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勝又孝幸

株式会社データファーム

FileMakerシステム制作を中心とする「株式会社データファーム」という小さな会社の代表です。2007年から趣味で書いている日記を個人ブログとして現在も続けています。

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