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99.3.29
静かの海に魚は帰っていきました。
魚が水の中で産卵するのをテレビで見たことがある。一点から埃のように卵が吹き出され、まき散らされ、水に紛れ、そして散らばりふ化を待つのだ。駅に電車がたどり着いて、階段を下りて、改札に向かう帰宅する僕等。上から見たら、まったく同じ様に見えるだろうね。狭い改札から吹き出すように、僕等はそれぞれの家路に散らばっていく。
幸せの卵はふ化するのだろうか。
fishmansのボーカル佐藤伸治が33歳で人生を終えた。彼らの作り出す他に類のない音楽がここで止まってしまったと思うと、とっても悲しい。沢山の音楽家が若くして命を終えているが、それにしても彼は若すぎた。
fishmansの音楽はそのものでしか語ることができない。けれどあえて言葉にするならどんな音楽といえようか。彼らが歌っているのは「日常」である。それは僕等が見過ごしている日常。手のひらにあるのに気づけない日常。そして共感。でもそんな安っぽい言葉ではないのだ。やっぱり言葉にならないなぁ。fishmans、彼らは音楽そのものだ。
ただ今は彼らの音楽を耳に響かせるのみ、心に透き通らせるのみだ。いつかどこかで聞いてみてほしい。特におすすめは「oh! mountain!」「宇宙、日本、世田谷」「8月の現状」「空中キャンプ」かな。疲れてしまったとき、壊れてしまったとき、夜が冷たいとき、朝が嫌なとき、空が嫌いになったとき、何かが足りなくなったときに。
人間は、ささいな、大したことのない、かけがえのないもので出来ている。
byebye! you dive into the sea of the peace...
音楽が、柔らかな暖かいものだとするなら、まさに彼らはそのものだったなぁ。
「だったなぁ」っていう、過去形が悲しいなぁ。
99.3.23
100年
うちにはひい婆ちゃんがいたんだけど、それが101歳まで生きたっていう強者で、「一世紀と1歳」なんて考え直すと、まっこと大した者だと思う。
その100年の区切りというやつが、もう少しでやってくる。幸にしてその日まで生きながらえることができたら、俺はひい婆ちゃんの100歳の誕生日のつもりでいようかと思う。
最後の一、二年は寝たきりですごしたので、家族の手が掛かった。でもそれも今ではいい思い出だ。そういう経験があったからこそ、汗をかくバイトも躊躇なく選べたと思う。意識して初めて見た女性の裸がひいばあちゃんだったってのも、いい笑い話だ。(寝たきりだと風呂に自分で入れないからね。家族で吊って風呂場まで運んだのさ。)さすがに下の世話まではしたことはないが。それに近いことはしたのかな?
頭が良く、気の強い婆さんだったが、頑固でどうしようもない一面も持っていた。そういう裏表含めて、とっても尊敬している。ばばあは、全く歩けなくなってた100歳の誕生日に「俺は歩ける」とかいって、無理矢理歩いていたし、100まで生きてくれたらなんていう周囲の期待にも応えてくれた。なんというか、心底役者だったりもした。食べるもののうまいまずいは死ぬまでいってた。
弱気になったことがないというのが、うちのひい婆ちゃんの印象だな。まあ、実際は弱気になった事も多々あるのだろうが、口にした記憶が全くない。人世をそういう風にすごした、すごしきったというのが、今まだ人世を残す僕等にとって、光の射す方なのだと思う。
家族っていうのも大変なんだけどね。迷惑をかけてはいけないが、唯一迷惑をきいてくれるものだからね。そういうのって他にないから。大事にしたいけどね。
実家にはまだ婆ちゃんは健在。最近少しちいさくなっちゃってそれが悲しいのだけれど、でも針仕事したり、なんとか畑に出たりで、そういうのはやっぱ人世の後輩としてはすごい頼もしい。生きるために、生きるが故にやることがある。まだあるってことが。まだ光が、がんがんに射しているから。
「松島や
松島ななこや
松島や」
松島ななこがあまりにかわいくて、という意味の俳句です。(季語なし)
99.3.19
ものかき
物を書くのが趣味になったのは、まあ、このページを初めてからって言っていいと思う。でも、よく考えてみると、下地はもっと昔にある。
中学校の頃「進研ゼミ」というのをやっていたんだけど、そのなかで一番好きなのは「小論文」の添削だった。めずらしい中学生な気もするけれど、なんの蓄積も必要ないので(思ったこと書けばいい)、取っつきやすかった。
で、その小論文の添削で「あなたの小論文を参考テキストとして掲載してもいいですか?」とコメントいただいたことがある。確か98点ぐらいで、しかも内容も中学生にしてはまあまあだったと思う。まあまあだなんて自分で言うと自信満々だが、今でもその内容覚えている。だから、それなりの文章だったんだよね。多分。
書くことは「如何に発想するか」ということだ。昔は特にそれに長けていた気がする。発想の発明と証明。それが小論文、それが文章を書くこと、だと思う。
書くこととは、少しずつ積み重ねることができる、人生の予習であり復習である気がする。それを目的にして、ものを書いている訳では決してない。でも、一日が楽しくて、悲しくて、嬉しくて、寂しくて、つい文章を書いてみる。自分がそれを読み返したときに、はじめて自分が分かったりするし、他人のそういう文章で自分がきちんと分かったりする。文章の「伝える」と言う要素が、僕はとても好きだ。
幸いにしてインターネットができて、読むことにはだいぶ困らなくなった。あとは、如何にして何を書くかだ。読んで知ったつもりになったとて、じゃあ書けるかというと、書けない。仮想のネットワークで試行錯誤して、オフラインにある具体的な現実のステージを踏む。
そこでどうやって振る舞うか。その結果と考察だけしか僕は書くことができないのだが。
「幼少の頃、俺は10人と同時にチェスをしたものさ。」
「でも全て負けた。」
浅草で見た古いアメリカのコメディーから。
僕はこれがとても好きです。
99.3.18
いやいや。
ちいっす・・・。
ここんとこ、書くことないっていうか、書けないです。
まじで、emptyな最近のこのページ。
うーん。3月は何もないかも。
マスコミは、いつまでもかわらんのかなぁ。
99.3.9
スピード
ひさしぶり。
仕事の段取りが鈍くさい人間だもんで、なんだか自分で残業増やしてしまって、疲れてしまっているこの頃。皆さんは楽しいのかしら?
この頃すごい感じるんだけど、一生懸命学校いって、頑張っていい大学はいって、いい会社に就職して。そういうのが人生の勝利者なのかな?それだけが価値観なのかなって思う。
まあ、そんなことはなくて、もっと世の中には色々な暮らし方や価値観があるのは僕も分かってるんだけど、じゃあなんなんだろうね。ふと息が詰まるようなこの感じは。かすかな拭いきれない劣等感みたいな物は。むやみに突き抜けたい衝動は。どこかで誰かに笑われているような気分は。
時間は今しかなくて、急がなきゃいけないのかな、とか。何か動いていなければ置いて行かれるのかな、とか。すごくせわしない感じがずっと世間に充満している気がして。まるでマグロの群の中にいるみたいな。そういう場所にいることに安心感がある世の中なのかなぁ、って思う。向かう場所じゃなくて、スピードに人生の比重がある。みたいな、世の中なのかなぁ。
暴走列車がね、狭いレールを踏み外せずにね、分かっているのに破れたレールの先、渓谷にモクモクと煙を吐いて壊れながらつっこんでいく。そんなの連想しちゃうんだよね。
でもさ。人生ってのはさ、そんなに道幅が狭くて、いつも落っこちそうなくらい危うい物なのかな?そんなに懐が狭いものなのかな。僕等がたっているステージってのは、そんなに不自由な物なのかな。
それはとっくの昔から、踏み外していいものじゃなかったのかな。
「やれない」ことをずーっと言い訳してきたんじゃないのかな。
数字の区切りが、上手くそういう仕えから解放できるチャンスを与えてくれるんじゃないかな。
上に行く人、下に落ちる人。世紀末はどちらも目立ってくるだろうね。きっと。
99.3.1
金太郎より
今テレビでやっている「サラリーマン金太郎」
その原作よりとっても気に入っている部分を書き出しました。
「かつて日本経済は過剰生産の中でその労働力を養ってきたのだ。
しかしもはや物は行き渡り必要以上の生産は必要としない・・・。
過剰な生産によって養われてきた生産者が・・・
その職を失うのは必然である。
今、日本の産業において養える労働力は現在の6割であろう。
残る4割は余剰となる。
もう一度言う。
バブル崩壊によって始まった不況のせいではない。
根本的な産業構造の変化だ。
しかし飽食の時代が終わり、我慢の時代を迎えるにしても・・・・・・
4割の人間を飢え死にさせるわけにはいかない。
どうすべきか・・・・・・
生産製造業はその生産力をおとしたわけではない・・・・・・
50年前に比べ農業従事者は4分の1近くまで減っているが・・・・・・しかし、
農業生産力は落ち込んでいないのだ。
機械化・・・・・・
科学的農業によって効率良く少人数でその生産高を上げているからだ。
それとまったく同じ事が他の生産業にもあてはまる。
少人数で必要な生産を上げる事を今の先端技術は可能にしている。
少人数かされた生産で余剰人数を以前と同じく養えるだろう。
ならばその余剰人員はどこで何をするのか。
その職を作り出さなければならない。
つまり新しい雇用をどこに創設するかだ。
現在、この状況下で従来のサービス業は大打撃を受けている。
しかし新しいサービス業に新しい雇用がある・・・・・・
今、役所では2時間でできる仕事をデレデレと2時間もかけてやっていやがる。
国民の扶養家族、役人達を半分に減らそう。
役人は組合をタテに大反対をし暴動を起こす。
それはそれだけ楽で、安穏とした職場だからだろう。
しかし・・・・・・
必要のない人間は必要がないんだ。
・・・・・・
それは切るべきだ。
切るが・・・・・・
新しい仕事を作ればいい。例えば公的な老人介護だ。
役人の半分がそれに回ってもいいだろう。
それこそが新しい分野のサービス業だ。
さらに新しい実験的第一次産業たる農業、漁業、酪農
その他人間の未来に対する先行的実験部門・・・・・・
ここに大量の雇用を作る・・・・・・
ここに金を使えない様では未来はない。
もちろんそんな簡単にはいくわけはない。
しかし、最重要なのはやる意志だ。
それは一企業、ヤマト建設においても同じ事だ。
私は、ヤマト建設を生産部門、社内サービス部門、
そして未来に対する実験部門に発想を分離し前進する。
私は君たちを奴隷の如く使うことを宣言しておく」
デザイン作業でよくおこるのは、そもそも自分が起こした問題を解決するために、知らず知らずのうちにエネルギーを費やしてしまうことです。
(ジョナサン。アイブ/iMac Design)