運と平等

「最終的に運が強い人が一番強い」と思っていたけれど。コロナが社会や経済をガタガタにするにつれ、運について考えてしまう。生鮮販売店と飲食店。同じ食べ物を扱う業種でも、景気の行方はだいぶ違う。陸運と空輸。同じ運送業でも四半期の成績は天と地ほどの差。たまたま隣にいなかったら弾に当たらずにすんだようなもの。結果の違いに理由や原因なんてないと思う。

もう少し前には、平等についても考えていた。平等とは「チャンスは誰に対しても平等であるべき」ということだと思う。結果が平等であるべきではない。努力した人、そうでない人。経過が違えば結果が違って当然で、結果の違いを「不平等」とするのは間違っている。結果を均等にしようとする行為こそが、平等ではないと思う。

その「平等」をも、今回運が全てさらってしまったような気がする。当面、最終的には個人(世帯)の経済保護を考えることになると思う。それはシンプルに「ある人のお金をない人に渡す」ということだ。「結果を均等にする行為」は平等を犯す行為だが、今回は仕方がないと思う。生きていくためのことだ。ただし「経済全体が(世界全体で)下がっている」中でそれがどこまでできるだろうか。経済の総量が減少してゆけば、無い袖は触れない。「ある人」を「ない人」にする経済搾取もまた不平等だ。

大きな下り坂を全員で駆け下りることになれば、貧富や優劣さのはより濃く生まれると思う。それぞれの人が不本意な場所に振り分けられることになるかもしれないが、もしそうなったとしたら。個々に原因があるわけでもなく、ただ運の問題でしかないと思う。本当に今回ばかりは。

個人の境遇が大きく変わる未来が来ても。それにより差別が図られるべきではない。そういう状況にならないことが、一番良いのだけれど。自分ができることはあまりに小さいし、自分自身にも危機はある。できることは、自分のことをやるだけ。やるしかない。本当にそれだけしかない。


更新 2020月08日04 21時13分

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勝又孝幸

株式会社データファーム

FileMakerシステム制作を中心とする「株式会社データファーム」という小さな会社の代表です。2007年から趣味で書いている日記を個人ブログとして現在も続けています。

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