最後に置かれた言葉に、僕はモヤモヤする。
この日記は月曜日に予約で書いているものなので、水曜日の今日また動きがあるだろうか。
山下達郎のサンデーソングブックでの、松尾潔さん業務提携終了についてのコメント。これがどうもモヤモヤしている。
どちらが正しいとか、そういうのは置いておく。それについて何も思わないといったら嘘になる。
ただ、それよりもなによりも。話を聞いて、書き起こしの文章を読んで。
「ここがもやっとするなぁ」と感じるのは、全く別のことだからだ。そしてついさっき、その原因がわかった。
書き起こしから一文を引用させていただく。
「このような私の姿勢をですね。忖度あるいは長いものに巻かれていると、そのように解釈されるのであれば、それでも構いません。えー、きっとそういう方々には私の音楽は不要でしょう。」
これが
「えー、きっとそういう方々には私の音楽は不要でしょう。このような私の姿勢をですね。忖度あるいは長いものに巻かれていると、そのように解釈されるのであれば、それでも構いません。」
だったら。多分自分はそこまでモヤモヤしなかったと思う。
文法的になんだかもったいないと言うか、きついと言うか。最後の1文、それがモヤモヤの原因だ。
結局、最後に来るのが「その人の意見」なのだ。
「あいつはどうしようもないけど、いいやつだ」と、「あいつはいいやつだけど、どうしようもない」
同じ要素が並んでいても、中身が違う。自分だったら前者でありたいし、後者のようには言われたくない。
そうやって考えた時に。「きっとそういう方々には私の音楽は不要でしょう。」という、ちょっとショッキングな、誰かを突き放すようなが強い言葉で終わってしまうのは。本人の意図がどこにあるかわからないが、どうしてもモヤモヤしてしまう。
この言葉の置き方は、アンチではなくファンに対して、果たして思いやりのある言葉の置き方なのだろうか。
その辺もふくめて、色々とモヤモヤしてしまっているのだ。