日曜日は朝から草取り
先週の日曜日は、朝7時から地域の公園掃除。
こういうのが嫌な人、いるかもしれない。でも僕はあまりそういう気持ちにならない。子供二人と共に生垣の草とり。
木の隙間に生えてしまっている草を、抜いたり、切ったり、折ったり。
「これ、草?」
みたいな、幹が太い草もあって。
「これ本当に抜いてもいいやつなのかな」
などと一瞬迷いながらも、黙々と作業。子供は30分で飽きがきたようだ。
「今あるものを片付けて、帰っていいよ」
と伝えて仕事完了。元気な子供の作業は、大人以上に頼りになる。
ほとんど草ばかりだった生垣が、子供達の手のおかげでまた顔を出した。ありがたい。残り30分、まだ手付かずの生垣に手を突っ込んで、できる限りの草を取った。
こういう仕事全般について。
「区がお金を出して業者を雇ったらいい」
という意見もある。それはその人が「そのお金を出せる」のならば、言ってもOKだと僕は思う。
区のお金って、それは他人の財布じゃん。他人の財布に勝手にあれこれ言うのはどうかと思う。その上で、自分が気持ちよくそのお金を出せないのなら。
「お金でどうにかする」という手法は「空想」でしかない。違うかな。
その空想が正論みたいに独り歩きするのは、どうもね。あわよくばその空想で論破しちゃったりすると、いよいよその説に自信満々になったり。
そもそも、論破とは。ディベートの場にのみあり得るルールだ。ディベートというルールのあるゲームに「お互いが同意して参加」するから論破が機能する。
それを急に日常ではじめられても。ルール違反だしカッコ悪いと僕は思う。
最新のストリートファイターだって、街の相手に喧嘩をふっかけけるけど。お互いに「OK!」ってなってはじめてファイトが始まる。
それを、同意も得ずに、勝手に討論し始めたりするとしたら。相手に敬意も思いやりもない。
「身勝手な論破」は、思いやりのない証でしかない。本当に良くないし、かっこ悪いと僕は思う。
更新 2023月07日11 13時15分