聞きたくなる話を書けるようになりたい
自分の趣味で好き勝手に書いている文章だけど、自分なりに悩みや迷うところもある。
もう少しライトに気軽に読みやすく。文章を変えたいなと思うところもあるのだ。もうちょっといいねがもらえたら、そういう欲も、もちろんある。
けれど、それが自分の最終目標かというとそうではなくて。文章が良くなったから、いいねが増えた。いいねはあくまで目標ではなく。文章が良くなったことの結果でありたい。
青い考えだろうか。もっと戦略が必要だろうか。
自分の書く文章について、二つのことを悩んできた。ひとつは「読者への問いかけを増やすべきか」もう一つは「もっと柔らかい話し言葉を増やすべきか」。
ああ、もうひとつあった。前の二つよりも小さいけれど「セリフを増やすこと」
セリフについては多少増えた。鉤括弧で文章が始まることも多くなったので、使い回しは前よりも増えている。
では、他はどうか。読者への問いかけ。これについては、うーん。くすぐったい。なんか恥ずかしい。嘘っぽい。そんな感触がどこか拭えない。
文章の中に、読む方に対しての「Let's」があるのは良いことだと思う。投げかけではない書き方でも、それはできる。とはいえ「どう思いますか?」「こう思いませんか?」自分の文章があまりに先導的になってしまうのは避けたい。
もう一つ「柔らかい話し言葉」これは昔使っていた。ひどく昔の日記は「柔らかくすることを目的」に話し言葉中心だ。
さすがに10年以上前の文章で、今読み返すのも恥ずかしい。それでも読み返してみると「その当時のテンションが思った以上に新鮮に蘇る」という驚きがあった。ただこれは本人だからこそ思うのだろう。
他の方が読めば「文章量の割に密度が薄い、伝わりにくい文章」という感じがするのではないか。今の文章が変化した理由は、そもそも同じ文体に飽きたからなのだが。それでも今も話し言葉について悩んでいたのは事実だ。
問いかけも、話し言葉も。「そもそも自分の文章力が原因」という部分も、もちろんある。もっと技術があれば、僕が思っている課題は簡単に解決したかもしれない。
ブログブームが去った現代でも、いまだに自分の文章については悩んでいる。
そんなことを今日も考えていたら。
「読者が聞きやすいお話が書ければ」
という考えがふと浮かんできた。
コミュニケーションでは相手の話を聞くこと、相手に話をしてもらうことが重要だ。しかし、文章だけではそうはいかない。文章には、
「読んでいて気持ちが良いこと。読みやすいこと。お話が聞きやすく、その話が心地よいこと」
これが大事なのでは、とひらめいたのだ。問いかけも話し言葉も。技術や技法で、めざす目標ではない。
そう思ったら少し迷いが減った。ひらめきがあったからといって文章が急に変わったりいいねが増えることはない。けれど、自分の身の丈に合わない鎧を、無理して着なくても良いのだ、という安心感が生まれたことは大きい。
どちらにしても、大きなことを書く気はない。小さなことを必要なだけの文章で、丁寧に書きたい。そのこと自体が「ちょっと耳を傾けても良いかな」という文章になれば良いな、と思っている。