理屈の言葉を変えたい。
最近いろいろあって思ったことは「年をとると、理屈が聞いてられなくなる」ということだ。
僕は理屈っぽいと言われることが多い。そんな僕であっても、理屈を聞く力は衰えてくる。
衰えてくると「理屈を聞くことが不快」になるのだ。不快になると、感情が動く。
論理的思考を、ある程度のストレス強度の中でも続けられる。多分。これが自分の強みだと思う。
「いやいや、自分を良い風に言ってるだけだよ」
そうかもしれないけれど。もうちょっと続けさせて欲しい。
論理が「できるだけ短く端的な言葉」で、伝わるように。このブログでこの数年取り組んでいたことは、まさにこれだ。
500単語前後で、何かしらのテーマや納得、小さな発見や心の動きを、読み終わりに作ること。密かなテーマだった。
そのテーマをさらに動かさないといけないのかな、というのが最近の感想。不思議なことを言うけれど
「論理を、感情を動かす言葉で伝える」なのだ、と思っている。
年をとると、感情が快適な言葉ほど聞きやすくなる。そういう言葉なんだけど、聞いてると論理が伝わる。
むずい。むりやろ。でもこのアイディアを閃いた時
「なるほど」
と思ったのも事実だ。
同時に気がついたのだが、これ。「ほぼ詐欺師の手法」でもあるのだ。感情の言葉で、理不尽な論理も納得させてしまう。
そういう手法を一から身につけて、正しく使いたい。ぼんやりとした話だが、割と真面目にそう思っている。
更新 2026月08日11 09時27分
