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99.4.29
競争
「人生は競争だ」とはよく言われることです。
私はそれだけが人生ではないと思っていますが(確信です)、それが真実であることもまた事実だと思っています。
では人生が競争なら自分以外は全て敵なのでしょうか。騙す相手であり、利用する相手なのでしょうか?その心構えによって生活態度が変わってきますよね。具体的に幸せになれるかどうか。僕が施すこと、受けること。その原点が問題なのです。
特に仕事は「利益が出た者勝ち」「得した者勝ち」というところがあります。そうなると「競争」的な部分は否めません。でも、「共争」という部分もあると思うのです。
仕事は一人ではできないし、一人で出来る仕事には限界があります。客があっての仕事でありますし、自分だけでは仕事が「回らない」んです。
仕事が忙しくなると思い通りに行かない部分がでてきます。そうなったときに思い通りにいかない現実に対して、自分勝手な行動でそのフラストレーションを解消しようとする人がいます。そしてそういう自分を正当化するために「人生は他人をけ落とす競争だ」という人がいます。でも、問題がすり替わってますよね。それが真実がどうかという前に、自分を甘えさせる言い訳をいってるだけです。
上手く言えませんが、人と争うことを行う前に、そういう人こそ「他人に自分を全て開いているかどうか」をもっと問題にして欲しいと言うことがよくあります。これは自分にとっても課題です。
人間ですから他人の好き嫌いはあります。でも、分け隔てなく自分の考えをきちんと伝えられるかどうか。言葉を逃がさず伝えられるかどうか。そういう勇気って、もてない者ですよね。なかなか。
競争だけでなく共争を得るためには、自分を分け隔てずに誰でも語れる勇気、それが必要なのだと最近よく感じます。
これは他人がどうあれ、まず自分の問題なのです。
書いてみました。けどもそもそした文章ですね。
ちょろちょろカウンターが上がっていますが、内訳をしりたいですね。
でもログ取るのもやだし。
99.4.16
Go! Go! Round This World
いつも自分だけが頼りなく見えて、他人は心から逞しく見えた。
「もっと誰かになりたくて」と追いかけ続ければ、世界は丸いから、最後は自分にたどリつく。
もういいよ。歩き出そうよ。
Go! Go! Round This World
自分に自信を持って
世界を変えようぜ。
99.4.11
東京は敵を作るのか
友達の美術展をみにくるために静岡に帰ってきたけれど、自分の気持ちが驚くほど冷めているのに気がついて驚いた。なんというか、実家に帰ってきたと言うよりはお客さんで来たって感じがすごくします。なんででしょう。やりがいはなんだかんだいって東京にあるからでしょうか?
問題は何でこんなに気持ちが冷めているのか自分でもわからないことです。ただ、一つ気がついたのが、自分の思うような町並みがここにはないこと。「なんでこんななんだろうか?」と疑問に思いながら車窓をのぞいてる自分に気づきます。でも、最終的な住処が東京かといえば、そういうのはナンセンスです。でも今の自分には静岡もナチュラルじゃないんです。東京にはいつまでも居る気はない。でも今は静岡には帰りたくない。なんとなく宙ぶらりんな、そして、故郷を自然に愛せないというのが、とっても寂しい気持ちです。
親元に帰ってくれば暮らしはきっと楽になるでしょう。自由なお金ももっともっと増えるでしょう。でも、そういうのは今の僕にはどっちでもいいんです。もともと夢より何より自立したくて東京で一人暮らしを続けた僕ですから、お金は目的にはならないんです。実家に帰ってくるための。
でも、いつまでも今の会社にいることとか、東京に住み続けることは、どうかんがえても僕の目的ではないんですね。じゃあ、実家なのかというと、今まではそう思っていたんですけれど、帰ってみればどうも答えが違う。つかみきれない感じで、自分でも自分の願望がよくわかりません。多分、静岡という場所は答えとしてあっているのでしょう。でも、あまりにもそこからがイメージできないんです。職業のことはいいんですが、そこで毎日暮らしていく僕というのが、今はどう想像しても不自然なんです。いっそのこと目先の損得でうごけるのなら決断も楽かも知れませんが・・・。
夏目漱石の坊ちゃんだったと思うのですが、故郷の父が東京に出た息子に向かって「東京に出ていって息子は敵になって帰ってきた」といったような記憶があります。その言葉はある意味ぼくのことかもしれません。父はそう思わずとも、故郷に感情があるなら、きっと寂しく恨めしくおもうでしょう。
しかし東京の経験というのは僕をよく変化させても、悪く変化させることはありませんでした。それは自信を持っていえる僕の事実です。
ここまで書いてきて感じたのですが、多分実家に帰ってきてからの生活というのは「ゼロ」からのやり直し、全ての蓄積をすてて生活をやり直すことだと思います。そして僕にはまだ、そういう生活を想像したり考える力はあるにしても、そういう勇気や覚悟がないのだと思うのです。これはその時がこなければ無理なもので、今そうでないことは特別不思議ではありません。意気地なしともおもわない。
ただ、不透明な気分、答えが出ない事というのは、なんとも気持ちの居所がわるいものです。
見た着物は、前よりはずっとよかったです。
でも、「存在の理由」は多分誰にも伝わらなかったと思うんです。
というか、知る必要性が誰にもないんです。
でも僕はスケールのでかい夢や創作物は好きです。
佐野泰はそういう男なのでそういうのはとっても好感が持てます。奴のいいところです。
でもほとんどの人間は、そういう人格には向き合うことなく着物を見るんです。
その時に、客はそれを知りたいのか、それを楽しめるのか。
そういう意味では、誰も着ていない着物よりも写真の方が楽しめました。わかりやすいから。
99.4.9
バイアグラ
なんだか国会でバイアグラが正式に認可されたらしいですね。まあ、話題自体はもはや過去のものなのですが・・・。
しかしながら、実際問題、どれくらいの人がバイアグラ欲しいんでスカね。僕ちんなんかまだ24で、問題ないっすからね、実感ないんですよ。例えばいつもよりもあれがでっかくなってくれるとかいうんだったら欲しくなるかもしれませんが、そういうものではないんでしょ?バイアグラ。
どれくらいの年齢層が欲するんだろうか。非常に興味があるんですよ。30台はさすがにないだろうと思っているのだけれど、どうかな?60歳ぐらいでもきくんですかね?なんとも言えないんですが。
にしても、「ちんちんの大きさをとりもどしたい」というのだったら僕は白けてしまうんですが、「若い頃の自分を一部分でもとりもどしたい」というんなら私もその欲望なんとなくわかるんですよ。それなりの年になってきたしね。でもねぇ、バイアグラでしょ?性欲が入り込むだけに、純粋に「若かったあの頃にもどりたい」なんて理由で買い求める人はいないんだろうなぁ。「いかせたい」とかさ。やっぱそうなるんだろうね。男なんて征服欲の生き物だからね。
そういえば女性のピルも認可されるんでしたっけ?セックス大解放ですね。個人的にはそういう気持ちよさとかを語るのって、男女問わず僕は好きじゃないです。なんというか笑い話でいっていても笑い話にならないところがね。どうも。人の話を聞いているのは楽しいんですが、自分で口開きたくはないですね。なんて、まあわがままですが。
なんか、性は性で真剣で大事なものなんですけれどね。それが社会の前面にでてくるのはどうもね。おおっぴらにすると味気ないなぁ、ってのが僕の気持ちなんですがね。純粋すぎますかね。世間知らずなのかな。
公開はしょっちゅうするんですけどね(今日も)。
なかなか大人になれませんね。僕は。
なんか、こんなことでも書けるので書きました。
このページも一周年です。いろんなことがありました。この一年。