楽しんでおいで

小学生の子供を二人、朝送り出ししている。「気をつけてね」と声をかけ、その後に「楽しんでおいで」と言っている。誰でもきっと、楽しみのためには心も体も動かせる。でも「しっかり」とか「きちんと」や「まじめに」のために動くのは、どこかできっと息切れしてしまう。実際に自分がそうなったのが、1、2年前。

「しっかり」「きちんと」「まじめに」。自分の心にそれが何か、どう感じるかを問い合わせてみても。はっきりとした答えや感情の動きをみつけることは難しいと思う。でも「楽しい」は違う。素直に感じることができる。

「しっかり」「きちんと」「まじめに」は究極的には他者評価なんだと思う。誰かが「しっかりしてるね」と言ってくれて、その評価に自分が満足する。他人に自分の人生の評価を委ねた、他者依存。言い過ぎかもしれないが、きっとたぶんそう。そのサイクルが薄皮のように長い年月をかけてどんどん重なってゆくと、気がつかないうちに「他者の評価を自分の糧としていた」自分が出来上がっていく。実際に自分にそう言うところがあるのに、つい数ヶ月前に気がついて本当にびっくりした。それ以来「しっかり」「きちんと」「まじめに」やらないようにしている。この話の詳細はまた次の機会に。

「目標にむけてスケジュールを組み立てて行動する」も同じ。それそのものに価値はない。楽しいことがたくさんあるけど時間がたりない。上手に時間を使えば、もう一つプラスできる。時間をもう10分プラスで取れる。そのためにスケジュールを組み立てて行動する。そこに意味がある。時間の効率化のためだけに詳細なスケジュールを立て、自分自身がスケジュールに振り回されると、心がもたないというか、どこかで負担やストレスの温床になってしまう。「スケジュールを組み立てて行動する」ことが善だと思い込んでいると、そこからなかなか抜け出せず、疲弊はさらに進む。善だと思い込んでいるから、スケジューリングそのものが原因であることに気がつかない。

子供たちの朝。今日1日楽しいことがあるかどうかわからないが「楽しんでおいで」と言葉をかけることで、何もないところに少しでも楽しみをみつける習慣のきっけかけになればいいな。そう思って声をかけている。


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