できれば見出しのない文章を書きたい

一時期日記のタイトルに「ざれざれ日記」とつけていたことがある。取り立てるような出来事もなく、それでも日々のあれこれを、読むに堪える日記にできれば。そんな自分の願望の色がうっすらとついたもの。そんなタイトルだったと思う。

めぐりめぐってその気持ちは今もある。というよりも、最近自分のその気持ちに改めて気づいた。ブログを改めて書き出して。書きやすいように、読みやすいようにと見出しを使った文書をしばらく書いて。仕事の文章には見出しは必要だと強く思うが、さて自分のよしなしごとを書き綴るのに見出しは必要だろうか。というより、見出しが本当に適当だろうか、と思う。

文章へのこだわりは20代にお世話になった競馬雑誌の連載。憧れの滑るような文章を書くその人は、浅草とんかつ屋の主人だというから驚いた。上京して一度は本人にご挨拶をしたいと緊張して訪問したら、何が引っかかったのか自分の一番の師匠と言える繋がりを頂いてしまった。

そのとんかつ屋も今は閉店している。googleのストリートビューで見ると建物は今もあるが、中に人は住んでいるのだろうか。主人亡き後、お店を継いだ宗さんも高齢だった。今更浅草を訪れても。どれだけ気持ちが懐かしくあっても、愛おしくあっても。今は訪れる場所もないのだ。

20代で出会って、さらにそこからもう一往復しそうな年齢にさしかかり。人生は有限で46歳はここを人生の往復地点と言うには少し時間が行き過ぎている、とそんな年月の今日この頃に。ひとまず思うのは、もうちょっと文章が上手くなりたいということだ。

イズムも何もなく。大ごとであれこれを飾るよりも、細かな日常でやるべきこともやりたいこともある。そういった日常の中身を、味が鈍ったふわふわとした、かたちばっかり大きいみかんのような味わいにしないために。実の締まった、きりっとした甘みと酸味の濃い味わいにするために。あくまで自分ごととして。見出しのない文章で、もうちょっと読めるような。少しだけ欲を出すなら、わずかでも人に読ませるような文章が書けるようになりたい。


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