なんでも話すことは「不躾」ということではない
僕は自分の仕事を、奥さんにも助けてもらっている。平日は10時から午後2時半までは、同じ事務所内で一緒に働いている。
仕事中も一緒、仕事が終わっても一緒、ということで。人からは「そんなにずっと一緒で、疲れることがないか」と聞かれることもある。
今のところ、そういう事は無いのだ。かといって、お互いに不満が全くないわけでもない。小さなことを我慢していて、それが積み重なってしまい。大きな議論になったことも何度かある。
それでも、ラッキーなことに。お互いの話を聞くことも、話すことも、そこにほとんどストレスは無いのだ。とにかく話しやすい、ということだ。
この前も、一緒に日用品を買いに行く車中で、そんなようなことを話していた。
「当たり前になりすぎて、ありがたみを忘れることもあるけれども。お互いにこれだけしゃべれることは、とってもラッキー。そういう夫婦はほとんどない」
「なので、この関係性を育てること、家族の意思疎通を良くすること。それらを、子供も親も成長の基盤にすること。それが人生の優先順位の一番最初」
と話した。大事だと思うことは、詳細に明確に。きちんと伝えようとする心がけは、本当に大事なことだと思う。
「多分そう思っているだろう」ではダメなのだ。
伝えやすくなれば、伝達量も増える。その分頭の処理は重くなるので、一つ一つをわかりやすくすることが大事だ。
仲が良いというのは、何でもコミュニケーションのルールなしに、お互いにぶつけ合うことではない。
相手があるからこそ相手に合った言葉遣いを検討するし、それに疲れすぎてしまわないことも大事。
小さな成功を一つ一つ積み重ねて、お互いに無理のないルールを増やしていくことは、歳を重ねた後になって大きく響いてくると思う。
更新 2025月03日17 08時53分