サービス力の衰退
地域の神社の氏子をしているのだが、今年餅つきを主催するかどうか悩んでいた。
主たるメンバーの都合が怪しい。そのメンバーの一人は僕だが、中学生になる次男の部活によっては土日の稼働がわからないのだ。
当日の大人の手が足りないのも問題だ。
蒸したお米を運ぶ大人。餅を返す大人。餅を丸める工程を仕切る大人。
この「大人」が自発的に集まるシチュエーションが、本当に難しいのだ。
餅を楽しみに集まる子供も、大人も。ありがたいことに多い。
しかし、それだけ人数が集まっても。進んで「サービスの担い手」になる人は、ほぼいないのが実情だ。
皆「サービスの受け手」にはなりたい。物価高騰の中、振る舞い餅が無料であれば尚更だ。
それでも、手を差し伸べてくれる人は少ない。
お金の心配はいらない。けれど、人の気持ちや時間、アイデアや手が集まらない。
「お金があればなんとかなる」では解決できない問題だ。
これは、地域活動の話だけでなく、今後の僕らの生活のいたるところに生まれて、増えていくと思う。
一人一人のサービス力が低下して、自助力の交換ができなくなると。
いろんな不便が増えて、それが放置されて。いよいよ物騒になってしまう。
そういう不穏を予防するため、ではなく。
「楽しいからやってみよう」というポジティブな方向で、動ける社会ができないものか。
小さな社会の、まずは餅つきについて。そんなふうに解決できれば、と悩んでいる。
