すべてはiPad
まいど。
今日は朝から複雑な気分だった。
スティーブジョブズの死。
最初は不思議なほどあっけらかんとしていたのだが、やっぱり時間が経つと寂しい気持ちが湧き上がってきた。
不思議だ。一度も会ったこともないのに。
大なり小なり、ジョブズについて考えたり感じたりする人が世界中にたくさんいるのだろう。
今日世界はスティーブを少しづつ持ち寄って繋がっている。
そんな日なんだろう。
奥さんがiPadを使っている。
出た頃iPadは「PCに劣るタブレット」という感じだった。
実際Macを使っている自分にとってもそれは同じで、なかなか使い道のないデバイスだった。
だけど結婚してリビングにiPadを置くようになって。
俺もそうだけど、奥さんがよくiPadを使っている。
その使い方を見ていると、iPadはパソコンの劣化版なのではなく
「パソコンのいいところと、iPhoneの良いところ。両方の美味しいところを持ったデバイスだな」
って感じた。本当に贅沢なマシンだな、と。
パソコンで見るようにインターネットの情報をみる。
その時は手で触れる気軽なパソコンだ。
そのあと、おもむろにつみねこをやったり、ZOOKEEPERをやったりしている。
これはすべてiPhoneアプリで、Macでは楽しむ事ができないものだ。
この二つを、使いたい人の気の向くままに、いったりきたりしている。
「ほんとiPadって贅沢なマシンだなぁ」
って思ったりしてます。
でもって。Macの側面とiPhoneの側面をもってる。
それって、スティーブのつくりあげたもの「全部入り」なのかなって思った。
彼の発明としては多分iPadが最新で最後……なのかな?
そんなプロダクトにすべてが詰っている、と思うとなんか不思議な感じがしました。