001-自他境界とビールの泡
まいど。
足がぱんぱん。
■人生のエネルギーってどこからくるんだろうね。
疲れてぼーっとしてふと思ったんだが、こんなゆらゆらした人間がそれでも60年とか80年とか生きることができるわけで。
それってたいしたもんだ。すげーなぁ、って思ったり。
俺にしてみれば子供の頃の記憶なんてほとんどないに等しい訳で。
そういう意味では既に自分のキャパシティ以上の人生の時間を過ごしているのかもしれん。
コップからあふれて流れ出してしまった、記憶や感情はどこにいくんだろうか。
そいつらの行く先。
そんな深い溝をいくつもこの世界は持っているんだろうなぁ。
なんにしても。
たったこれっぽっちの体で、何十年も生きる力がある人間て不思議だ。
んでもってそのエネルギーは、絶対に自分一人からだけでは産まれてこないんだろうなぁ、と想ったり。
あちこちで頑張ってる人をみるにつけ、感じるにつけ。
この頃ますますそう思うわ。
■「捨てる」なんて幻想かもしれないね。
人の姿を見る度に。
がんばってる人の姿を見る度に。
負けてられんなーーって思ったり。
そんでもって自分をひるがえって見た時に。
いろいろ凝り固まった自分がいたりして。
あるいは立場や人間関係やらなんやら……。ものごとのいろいろ。
それらを「かなぐり捨てて」やんないとな、と思う時もいっぱいある。
でもまあほんとは「捨てる」なんて気持ちいらないのかもよ。
っていうかそもそも自分に「ある」「もってる」っていう感覚自体に嘘がある、幻想なのかもね。
身の回りの人間関係のありがたみを感じるからこそ。
ふと「それらが離れていったら」なんて危ない想像をする。
そう考えた時に感じる不安や孤独。
それで浮き出る「自分」って存在。
そいつが何をするのか、何が出来るか。何をやろうとしているのか。
それが基本であり、それが全てなのでは?
そんな思いになることもあります。
環境に感謝しながらも、環境に左右されないところに、ぽつんといる自分。
そいつは何を求めてるんだろう。
んでもって、そいつは何を捨てる必要があるよ?
清志郎のイマジンの中にある言葉が、ぐっとくる。
これって「人は基本的に一人だ」ってゆってるんだと思う。
でも「ひとりぼっちってことじゃないんだ」って言ってるのかな?と。
日本橋ヨヲコの漫画にも似たような台詞があったなぁ。
人は、一人一人だ。
でもひとりぼっちじゃない。
■他人からエネルギーをもらってる。じゃあ自他の区別って何よ
ってのはこの前のWCAN懇親会で、高橋、戸嶋、勝又の三者会談で出た話題。
(マニアックですいません・笑。そういう話題好きなの)
そんなかで色々話がでて、俺的にはおもしろくてさ。
話をしていく中で「でも新しい考える軸がありそう」的な話をしたり。
自分と他人を区別するものかぁ〜ってのは最近ふわふわと思う課題。
でもってふと思いついたのはコップに注がれたビール。
コップの下側に輝くビール。上側にボリューム厚く乗る泡。
ビールが自分で、泡が他人。
あるいは泡が自分で、ビールが他人。
自他の区別の差なんて、そんなあいまいなもんなのかなーなんてひらめきに似た思いがあった。
結局同じビールってことでね。現象が異なるだけなのかもね。
なんっていう、かなり読みにくい、何書いてるか分からない日記で失礼。
たまにはね。
まあ、いつも「何書いてある日記かわかんねーー」って感じだけどね。わはは。
ってことで、Shibuya Deep Aみよ〜。
だらだらファイルメーカーでもさわるか。
明日は避妊を終えた二頭の犬が戻ってきます。
迎えにいくか〜。
タグ【超がつくほど戯れ言】
ほーら。今夜も何度も見てる。
忌野清志郎 IMAGINE
足がぱんぱん。
■人生のエネルギーってどこからくるんだろうね。
疲れてぼーっとしてふと思ったんだが、こんなゆらゆらした人間がそれでも60年とか80年とか生きることができるわけで。
それってたいしたもんだ。すげーなぁ、って思ったり。
俺にしてみれば子供の頃の記憶なんてほとんどないに等しい訳で。
そういう意味では既に自分のキャパシティ以上の人生の時間を過ごしているのかもしれん。
コップからあふれて流れ出してしまった、記憶や感情はどこにいくんだろうか。
そいつらの行く先。
そんな深い溝をいくつもこの世界は持っているんだろうなぁ。
なんにしても。
たったこれっぽっちの体で、何十年も生きる力がある人間て不思議だ。
んでもってそのエネルギーは、絶対に自分一人からだけでは産まれてこないんだろうなぁ、と想ったり。
あちこちで頑張ってる人をみるにつけ、感じるにつけ。
この頃ますますそう思うわ。
■「捨てる」なんて幻想かもしれないね。
人の姿を見る度に。
がんばってる人の姿を見る度に。
負けてられんなーーって思ったり。
そんでもって自分をひるがえって見た時に。
いろいろ凝り固まった自分がいたりして。
あるいは立場や人間関係やらなんやら……。ものごとのいろいろ。
それらを「かなぐり捨てて」やんないとな、と思う時もいっぱいある。
でもまあほんとは「捨てる」なんて気持ちいらないのかもよ。
っていうかそもそも自分に「ある」「もってる」っていう感覚自体に嘘がある、幻想なのかもね。
身の回りの人間関係のありがたみを感じるからこそ。
ふと「それらが離れていったら」なんて危ない想像をする。
そう考えた時に感じる不安や孤独。
それで浮き出る「自分」って存在。
そいつが何をするのか、何が出来るか。何をやろうとしているのか。
それが基本であり、それが全てなのでは?
そんな思いになることもあります。
環境に感謝しながらも、環境に左右されないところに、ぽつんといる自分。
そいつは何を求めてるんだろう。
んでもって、そいつは何を捨てる必要があるよ?
清志郎のイマジンの中にある言葉が、ぐっとくる。
君はひとりじゃない。違う、ひとりぼっちじゃないこの歌詞いいね。
これって「人は基本的に一人だ」ってゆってるんだと思う。
でも「ひとりぼっちってことじゃないんだ」って言ってるのかな?と。
日本橋ヨヲコの漫画にも似たような台詞があったなぁ。
人は、一人一人だ。
でもひとりぼっちじゃない。
■他人からエネルギーをもらってる。じゃあ自他の区別って何よ
ってのはこの前のWCAN懇親会で、高橋、戸嶋、勝又の三者会談で出た話題。
(マニアックですいません・笑。そういう話題好きなの)
そんなかで色々話がでて、俺的にはおもしろくてさ。
話をしていく中で「でも新しい考える軸がありそう」的な話をしたり。
自分と他人を区別するものかぁ〜ってのは最近ふわふわと思う課題。
でもってふと思いついたのはコップに注がれたビール。
コップの下側に輝くビール。上側にボリューム厚く乗る泡。
ビールが自分で、泡が他人。
あるいは泡が自分で、ビールが他人。
自他の区別の差なんて、そんなあいまいなもんなのかなーなんてひらめきに似た思いがあった。
結局同じビールってことでね。現象が異なるだけなのかもね。
なんっていう、かなり読みにくい、何書いてるか分からない日記で失礼。
たまにはね。
まあ、いつも「何書いてある日記かわかんねーー」って感じだけどね。わはは。
ってことで、Shibuya Deep Aみよ〜。
だらだらファイルメーカーでもさわるか。
明日は避妊を終えた二頭の犬が戻ってきます。
迎えにいくか〜。
タグ【超がつくほど戯れ言】
ほーら。今夜も何度も見てる。
忌野清志郎 IMAGINE