車輪の再発明だってしたほうがいい
ものを作るとか、開発をやるときに。よく「車輪の再発明をするな」と言われることがある。
何でも作れるのは良いのだけれど、その後のメンテナンスや運用を考えたら。
だんだんと、ツールの修正時間や手間が取れなくなって、全体が停滞してしまう。あるいは陳腐化してしまう。
仕事において、開発だけをしているわけではないのだ。
そういうリスクを避けるために。世の中にある便利なものは使え、そのツールをわざわざ作るな。そういう取捨選択が大事なのは事実だ。
けれど、それとは別の理由で。思いついたものはどんどん作ったらいいし、世の中にすぐにあるものでも、気にせずまずは作ったらいいと思う。
作る能力や発想力は「作る工程の中で生まれ、育てられる」と思う。作る数や時間が、その人の「ものを作る土台」になってくる。
メンタル的にも「作ってみたい!」という気持ちを、毎度毎度自分で消していると。作ることが億劫になったり、作らなくてもいいや、という気持ちに変化してくる。
人生は自分だけのものだから。湧いてきた気持ちをどんどん動かして、消化して。新たな気持ちにつなげていけたら、幸せだ。
あるいは、ツールを実際に作ることで。世の中に既にあるツールの良さや、設計の素晴らしさを再確認することにもつながる。
無駄な回り道をいっぱいして、無駄でなくなっていく。
天才は一握り。ほとんどの凡人はそうやって自分を強くしていくしかないと思う。
最も恐れているのは、作る気持ちがなくなって作れなくなってしまうこと、そして探すプロになってしまうことだ。
それはそれで、別の力が育っていると言えるから、全てが悪いわけではないけれど。
そもそも、作りたかった人に別のことをやらせても、最終的には意味がないように思う。
あるいは、実際に作ってみたら「こんなに大変だったら、もう作らなくていいかな」という底つき感に出会えるかもしれない。
更新 2025月02日27 10時48分