思い出は、立場や役割のないところで
父が亡くなって「一番の思い出ってなんだろう」と考えてみた。葬儀前、もしかしたら何か喋る必要があるかも、と思っていたのだ。
自分がいくつの時だろうか。BB弾というプラスチックの玉を打てる銃を試すことになった。居間のテーブルに、ドミノのように的を立てて。それを撃ち合うのだ。
ところが、銃がおかしい。まっすぐ弾が飛びださずに、ポトッと落ちてしまう。
がっかりしたが、すぐさま「こぼれた弾をテーブルでバウンドさせて競おう」ということになった。アイディアを出したのは多分僕。
バウンドのタイミングがぴったりくると、的が倒れる。
弾の飛び出しもバウンドも予測不可能で、二人ともすっかり夢中になってしまった。予測できない父の弾筋を、的の先で僕がじっと見つめた。
最終的に、一番大きな的を当てたのは父だ。
不具合だらけの銃から、偶然一発だけまともに弾が出た。その弾は一直線に、的の先にある僕の顔、メガネの左レンズを粉砕したのだ。
その瞬間、父は我に戻った。幸い眼球に異常はなし。父は母に大層怒られていた。
そもそも銃口の先に顔を置いては危険だ。そんなことも忘れるくらい、二人とも夢中だった。
でも、なぜこのエピソードが一番なのだろう。
いろいろ考えていくうちに「親と子、大人と子供。役割も立場も忘れて、単なる二人として楽しめたことが、心に残っているのかな」と思った。
自分も親になって。大人として、親として、いろんな立ち回りをする。立場や役割と関係ない状態の、純粋な時間は、はたしてどれだけあるのだろう。
だからこそ。父とそういう時間があったことは、本当に嬉しい。
同じような時間が、自分の家族や子供達にも。できるだけ多くあればいいな、と思う。