「自分のこと」が見当たらない
冷たい、つまらない言い方などしたくはないのだ。
けど、正直。最近SNSを見なくていいかなと思っている。
それでも、ちょっとした事件があったり、あるいは自分の興味のあることが調べたければ。
その時はSNSでキーワード検索。それで事足りる。
インターネットから、SNSへの出会い。それは20代の僕にとっては可能性の塊だった。
最初のワクワクや感触は、今でもどこかに残っているのだろう。
けれど、今のSNSは、全くその頃の期待とは違う。
注目や、いいねを稼ぐための言葉。AIによって作られた、もはや自分で考えてもいない言葉。世界のどこに行っても見つからない、画像や動画。
それらを「嘘をつくためのツール」として使われてしまうと。
自分が見ているタイムラインは「一体、何の集合体なのかな?」と、思うようになった。
いや、本当は。ここまで書いてきたことが。ジジイの言い草みたくて、嫌なんだけど。
でも本当に「自分の限りある人生で、これを見てる時間て意味あるのかなぁ」みたいに感じがどんどん増えているのは事実だ。
タバコやお酒のように、どうしても見てしまう魔力がSNSにはある。
だから、意識して離れる工夫や時間を作らないと。どんどん吸い取られてしまう。
今書いてる日記もそう。隔離のための意識した行動のひとつ。
時代、なのか。盛者必衰、後の祭りのようなつまらなさを、今、SNSに感じている気がする。