001-「周りに評価されるための自分」をつくるのではなくて…。

まいど。
おはようございます。久しぶりに浮かんだので書いておく。

■周りに評価されるための自分をつくる事の、ある意味での「無意味」

仕事なんかは特に当たり前だけど、他人が必要としてくれて始めて仕事として成り立つ。
だから相手のことを観察するし、想像するし相手のニーズに対してサービスを作って、投げる。
これは当然の事。

そこに意味があれば「利益」っていう対価を貰えるし、なければ次がない。
そしてその意味の「大きさ」がそのまま「利益の大きさ」になるんだと思う。

これは揺るがない事実だ。
でもこれを追って追っていけば究極に近づくのかっていうと、このごろ非常に違う気がする。
なんつーか、これは黄金の法則でもあるんだけど、一つの入り口に過ぎないのかな、って。

■「がんばって」を自分自身に100回唱えてみたら…。

話しは急に飛ぶが。
自分自身に頑張れって100回ゆってみよう。きっと軽く疲れる(笑)
そうなんだよね。
自分だけで「自分を律する」のって難しいって俺は思う。

なのでね。
自分だけで自分を律し続けて、相手に評価されうる自分になるってのは、とっても大変だと思う。
言い方を変えれば「コストがかかる」
そしてもう一つ重大なことがある。それは必然的に
他人の評価に依存している事
他人に評価される自分ってのはすごく大事だけど、その他人だって人間だ。
人間だから感情もあるし、環境もかわる。

きっとこれを作って見せたら、喜んでくれるだろう。
きっとこれを見せたら驚いてくれるだろう。
…そう思って実際に見せても撃沈する事もある訳だ。

ここには色んな理由があるけど、例えば相手の事情が変わったとか。あるいは自分の読みが違った、とかね。
なんにしても自分が期待した評価を常に他人がしてくれる訳では無い(当たり前)
そういう「不安定なもの」を基準に、積み重ねる、頑張る。
それは、それだけではどこか頼りない、というもの事実だと思う。

人の心の習性というか弱さもあるしね。
人は他人に評価されたら気持ちいい生き物だから。

■ハイブリッドなもう一つの(多分根本的な)軸?

でもってさっきの「がんばって」の話しに急きょ戻る。
自分自身に「がんばって」を繰り返したら疲れるけど、これが100人に一回ずつ言われたらどうだろう。
ちょっと励みになる気がする。

そして一気に言われるのではなくて、いいタイミングでいわれたらどうだろう。
すごく勇気になる気がする。

最近思うのは自分一人で頑張らなくてすむ「環境作りの大切さ」
別に努力を放棄するって訳では無いよ。みんなが頑張っているから俺も頑張る、みたいな環境ね。
「がんばろーぜ」って誰となしに言って響く感じというのか。
twitterでこのところ「おはようございます」っていう書き込みが朝あるけど、ほんとそんなもの。
それが凄く大事だと思う。

物事の勉強とか習得って「がんばること<続けること」だったりするしね。
ある時間でがっつりがんばるのも大事だけど、何も考えなくてもそれを続けるていうルーティンワークのほうが身になったりする。
そうなるとやっぱ「いかに自分を追い込まずに継続できる環境作り」ってのは、上手に作れたら素敵だと思う。

その上で「他人に評価される自分をつくる」のではなくて。
というか、まずは「自分に評価される自分をつくる」ってことが大事かと。
最低一人、まずは自分が評価して納得できる、自分を経営していく事。
これができれば最悪周からの評価が一切なくても「あ、でも俺は納得してるし」って心が折れなくてすむ。
そういった部分って、俺はすごく大事だと思う。

その上でね。
それが出来てる上で「その自分の納得が、他人にも評価される、喜ばれる」ってのがベストではないのかな?

なので最近思うのは
「自分に評価されるための周り(環境)をつくる」
っていうことがすごく大事では無いのかな?って思う。まあわがまま言いたい放題って言えるのかも知れないけど(笑)
でもさ、このお話ってシンプルに
やりたいことをやる方法
って事なんだと思うんだ。

それって実は今の社会で一番不足している力では無いかな、と思ったりしてます。

……頭で「おっ」って思って浮かんだ事を書いたんだけど、うまく書けてない!(笑)
まあ、しょうがない。いいや。
いっぱいの誤解を残しながら、まあ今日も頑張れ俺、ってことで。

さ、やるぞ。

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勝又孝幸

株式会社データファーム

FileMakerシステム制作を中心とする「株式会社データファーム」という小さな会社の代表です。2007年から趣味で書いている日記を個人ブログとして現在も続けています。

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