「距離感と客観性」に戯れ戯れ
まいど。
凍えた指先で今日も誤字をタイプするよ!
寒いね。でも今日がある。
もういちど、チャレンジできるよ。
horn again。
ふと思ったんだけどさ。
色々な悩みとかって、「距離感」の問題じゃないのかなって思うよ。
例えば「太っている」って悩みがあったとして。
「その悩み=自分」でいたら、いつまでたっても解消しない気がする。
「じゃあどすうるか」って事を考えるならさ、その悩みを、
自分との関係性に落とし込まないといけないって思うの。
「太っている自分」
ではなく。
「自分-----------太っている」
って感じにね。
オブジェクトを二つに分けるんだよ。
そうすると、自分と自分以外って関係性になるよね。
そこで生まれるのが「客観性」ではないかなーって思う。
それができないと、悩んで慌てておしまい。
これは間違いないと思うなー。
この方式をなじませとくと、コミュ力の向上にもつながると思う。
だってさ
「自分-----------太っている」
を
「他人-----------太っている」
におきかえれば、そのまま参考資料や提案になると思うし。
常に距離感を。
それって悪い事ではないと思うな。
「仕事に集中できない自分」
「痩せれない自分」
「自信のない自分」
これって自分のバリエーションのようで、ただ複雑化させているだけかもよ。
それよりも
「自分-----------集中できない」
「自分-----------痩せれない」
「自分-----------自信のない」
のほうが、
自分ってものが炙り出されやすいって思うし。
もっといえば
「自分------ -----集中」
「自分------ -----痩身」
「自分------ -----自信」
ってことなんだと思う。
集中、痩身、自信ってものとの間の関係性がうまくいってないってこと。
だったら、集中ってなに?痩身ってなに?自信ってなに?って考えればいいし。
そうやってくことで自分ってものが暴れていくと思うし。
そしたら関係性をどうするかって、具体的に見えてこないかな?
最近の俺は
「自分-----------情報」
が悩みかな。
情報は多すぎて、早すぎて、自分に集中する時間をどんどん減らしていく気がする。
「自分情報」
位の距離すぎてね。
ちょっとまずいとおもう。感情もざわざわするしね。
なんでも距離が近いと。
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更新 2011月01日28 09時48分