消費が落ちてるんじゃなくて、所有が落ちてるんだと思う。
まいど。
京都でお知り合いになった竹林さんのtweetで「シェア」について面白い発言が多々あった。
これから書くのはそれに触発されたことなど。
■消費が落ちてるのではなく「所有にひもづく消費が落ちている」
最近これをものずごく感じます。
所得って贅沢な行為なんだけど、その贅沢は「無駄」から成り立つことも多いよね。
特に嗜好品、高級品であれば、日常で使われる事が少ないから。
それでも購入されるのは「自分のもの」という征服感、所有感、達成感。
こういったものも含めて「商品」だったからだと思う。
そういうものを身の回りにどんどん集めていくことが「所有からくる消費」でした。
その競争こそが豊か、というのが社会のトレンドでもあった、と。
■若い世代のバーチャル(=リアルから手を出すもの)は、ほとんどがシェア
バーチャルって言葉が死後なんだけど。
まあ、バーチャルっていうかサービスだよね。
今の若い人達が「おお!」って感動するのも、興味があるもの。
ほとんどは「シェア」型のサービスです。
SNS、youtube、mailその他なんでも。
CSMなんかまさにいまその岐路にたってるんだと思うけど。
自前でサービス(商品)を持つ(購入する)より、シェアした方が、そのユーザになってサービスを受けたほうが効率的じゃん。
そういうムードが、若い人達の基礎だと思います。
つまりは「これからの社会」の基礎になっていくんだろう、と。
■シェアする人達は、馬鹿ではない
「消費して経済を回さない、若い人達はダメだ」ってセリフ。
これって「経済をみんなで回さなきゃダメ、それが解らないなんて馬鹿じゃない?」って意味も含まれていると思う。
でも彼らは馬鹿じゃない。
さっき出てきた「所有の無駄」これが分かっているし、耐えられない。
「だってそれ不効率じゃない」
って意識がものすごくあるんだと思う。なんていうか「板についてる」っていう。
逆に所有世代の人はそのあたりのアンテナが低い。っていうか、自分の常識じゃないので「よく解らない」のかな、と。
なんにしてもシェアする人達は馬鹿ではないし、効率的だ。
無駄がない分エコだし、彼らにフィットする社会をつくっていくのは、どのみち次の目標だと思う。
情報も物も流通が発達して、いろんなものの価値が下がっている。
それはそこそこのコストで、いろんなものが手に入る、ということ。
であれば「所有(贅沢)のコスト」に手が伸びにくいのは仕方がないことだと思う。
その価値感が今は「万人に」尊重されにくい。
■「シェアにひもづく消費」をどうやって増やしていくか
でもって、彼らの豊さを想像して。
それと経済をいかに結びつけて行くか。
このあたりが次の、というか「今の」課題だと思う。
シェアについて、色々妄想をする。
シェアする媒体を増やす。
バーチャル(情報サービス)を増やす。
情報サービスだけでなく、リアル(本来所有するもの)をシェアに置き換える。
考えるべきところはいろいろあると思う。
んでもって、そのシェアする媒体が、
詳細なカテゴリ、変えのきかないカテゴリであればあるほど。
サービスとしての魅力や、シェアにひもづく消費の可能性は高いのではないかなーって思います。
その時に「web制作」っていう「制作」って言葉。
これをどうとらえたらいんだろうか、と思ったりしました。
電波が余りに悪い場所にいるので、思い切ってブログなど。
さて、いこう。=