子どもがギャン泣き(油断してた)
まいど。
つかれたちゃん。
5日ほど家を離れていたのですが。
しまったぜ。
なんか子どもの記憶から俺がちょっと消えてる。
ってことで夕方っていうか夜になると泣く。割と泣く。
風呂にはいったら盛大に泣く。まー、泣く。
俺は気にせずに子どもを洗うけど、泣く。
うーん。まさかこんな風になるとは。
パパあるある、らしいですが。
ちょっとなんか、わりと僕それでも育児は多少はしてるですよ。
毎日お風呂にいれてるし、他にもやるし。
え、当たり前?うーん、そうなんですけど。
育児してるぜっとか自慢したいのではなく(自慢になるほどしてないし)
それでも毎日触れ合ってる訳じゃないですか。
だから「ちょっと離れても」大丈夫っておもってた訳です。そしたら、まさかの。
やー、なんだろ。油断してたと言うか、ほんと勉強になりました。
ほっといちゃ駄目ね。ざっくり言えば。
「愛の条件」みたいなもんかもしれん。
子どもに泣かれるとショックと言うか(笑)
まあ、数日で良くなるとおもうけど。でもなんかおもった。おじちゃん。
これは純粋(ピュア)な愛情の条件なのかもなーって。
相手に「どんだけしてあげた」なんていう期間や量はあっという間に消え去ってしまってさ。
常に有る程度の頻度で「手をかけてあげる」感じで相手するっていうか「つきあう」
こういう手のかけかたが大事なんだろうなって。大人でも。
だって大人の中には、ぜったい子どもがいるもん。
根源的な部分になればなるほど、理屈と別で赤ちゃんみたいな要求があると思う。
ここに理屈は通じないよなってあらためて思った。教わった感じ。
原始的、アナログだけど、会話とか「手をかける」ってことが大事だし。
それしかないんだね、と思った。
まーあと、なんつーか。
普段の生活がひどく間違ってるわけでもないんだなーとも思ったりしました。
その分一応子どもに安心の積み上げが合ったわけですし。
ってことで残務やるよー。
わりと毎日ばたばた。うまくやらねば。
更新 2013月02日07 22時45分