権利の中身

コロナで色々と世の中がごちゃごちゃになっているので、辛いこともそこで初めて見えてきたこともある。 最近だと権利を平等にっていうのが一つのテーマになっていると思うんだけど、その「権利」が「自分が何かほどこしをうける事実」みたいな取り扱いがされているのが個人的には気になる。 その方向性って「競争がなくても結果は等しく」みたいな考えにつながっていないだろうか。それはない。その考え方をしているのは人間だけで、その甘えは人間の都合良さが生み出すものだと思う。

権利は少しだけ噛み砕くと「自分が行動をおこす権利」だと思う。それが平等である分には全く問題ないし、そうあるべきだと思う。結果が等しくはおかしい。きっかけや行動をおこす権利は平等であるべきで、それが歪みのない競争に繋がって、切磋琢磨して結果が順番に出揃う。そこに忖度があっちゃいけない。

ほんと言葉は簡単で「こうするべきだ」「こうします」ということは、はっきり言えば誰でもできる。大きな約束は簡単に誰でもすることができるし、見栄えがいい。そこに最近のSNSが加わると、いろんな賞賛も加わるのかもしれない。これがよくない。なぜか。「出来もしない約束」を自分に対してすることになるし、それが「できなかった」という結果をほとんどにおいて生み出し、失敗体験の積み重ねになるからだ。自分で大風呂敷をひろげて、自分で勝手に傷つくのはほんとに馬鹿馬鹿しい。でもそういう「理想」の部分が「あるべき現実」のように称賛されてしまうのは、自分としてはかなり怖い。最終的にそれができなくて傷つくのは自分だからだ。

言葉は簡単で行動は難しい。偉そうなことを言ってる自分も今日ヨガをやる予定だったけど、寝不足や気分がのらないのを理由にサボっている。口にするのは1、行動するのは10くらい、エネルギーに差がある。ヨガでもそのくらいなのだから、壮大な目標で自分の人生を傷だらけにするのはほんとに容易いと思う。

次男が「ステゴ(ぬいぐるみ・ステゴザウルス)と一緒に今日は仕事をしたら」とぬいぐるみをあずけて、さらにはパソコンまで作ってくれた。



更新 2021月04日14 17時32分

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勝又孝幸

株式会社データファーム

FileMakerシステム制作を中心とする「株式会社データファーム」という小さな会社の代表です。2007年から趣味で書いている日記を個人ブログとして現在も続けています。

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