退屈な日記にはしたくない。
日記を平日に毎日書いているのだけれど。この日記はあくまで自分のためのものだし、最初の読者は自分と決めてある。
そうは言っても、いいねボタンは設置してある。いいねがあれば嬉しいし、SNSでもいいねがつくともちろん嬉しい。自分のための、と言いながらも相反している部分もある。
そもそもが個人の感情をただ連ねているだけなのだ。他人にとって面白いはずもない。
それでも言葉はラジオのようなもので、言葉運びやテンポを工夫するだけでも、面白さが生まれたりする。制限された表現にいろんな工夫や仕草があって、それに飽きないのでこうやって文章を書いてる部分もある。
今だってそうだ「書いている部分もある」と書いたものを「書いてる部分」と直した。「い」を取り除いただけで、ちょっとしたスピード感が増して、その方がしっくりくるのだ。
自分がこうありたい、という部分と。他人にこうは思われたくない。という部分。これが一致しているのだろう。
退屈な日記にはしたくない。退屈な日記だとは思われたくない。
言葉にこだわりすぎても意味がない。みんなが知らない言葉を使っても、伝わらなければ意味がない。簡単な文章では味が薄いし、またどこかで聞いた話なら飽きてしまう。
そうは言っても。どこにでもいる人間だ。そんな人間の紡ぎ出す言葉が、少しでも退屈でなければいいな。面白みが含まれていればいいな。
なんとなくそんな風に、心のどこかで思っているのかな。と、日記を書いている自分について。今日ちょっとだけ思った。