手前の目的、奥の目的。産業家と発明家。
まいど。
ちょっと日記を2本書きたいので、さっくり書いてしまう。
■仕事がないっていうけど
そもそも人間の歴史を想像でたどっていくと。
まずは生きる死ぬの話であって。
生活することが命題でそのまま仕事だったわけだ。
その中でどんどん生産率が上がっていって、豊かになった。
衣食住のベースができてきた中で仕事って生まれたような気がするのです。
なので人間の本質てきな生活(っていうか生きること)の目線で見れば、仕事なんてモノはそもそもない、のかもしらん。
■ないものを作ってきた
となるとまあ、仕事いうのは常に人間の生命や文化の中で生み出されてきた訳で。
商品や仕事には常に「寿命」てものがあって、それがぐるぐる回ってきたわけですよ。食物連鎖のように。
で、その「仕事」って部分でふと思うのは、つい最近までそれは大変に高度化してきたってこと。
高度化されるとどうなるか。それは「成果が安定する」のかなーと。
成果が安定するとどうなるか、雇用が安定するわけですよ。それが「給料」とか「終身雇用」って形になって、それで世の中が順調に動いてたんだと思う。
「この仕事はお金になるかもしれないし、ならないかもしれない。」
「これだけお金を得るには、この仕事をすればいい」
この二つは全然違うよね。
今は明らかに前者の仕事が増えてきたと思う。可能性とも言えるし、正直だいぶつらいとも思う。
■発明から無駄を省くと産業になる
でもってね。いろんな仕事は常に発明からはじまってきた。
それって輝きだけど無駄も多い。
それらを磨いていくとシンプルになる。シンプルになると生産がたやすくなり、ラインになる。
仕事は常に発明家から生まれて、産業家によって大衆の「工程」に落とし込まれていくんだと思う。
工程を振り分ける事がいわゆる一般的な「仕事」なのかな、と。
工程を担当すると「仕事=対価」
発明にかけると「仕事≒対価」
仕事と給料の関係性ってまったく違うんだよね。
■手前の目標でなくて、奥の目標で動くためには
最後に個人的な感想と造語。
今までの日本は対価がかなり確実に約束されてきた。
なので「これがもらえるから、この仕事をする」っていう式で動いてきたんだと部分、多くないかな。
となるとね、対価が怪しいものには動けなくなってるんだよね。まあ当たり前か。
でもさ、結局今は色んな価値観や商品、新しいものをとにかく発明、発見するかない時代なのだと思う。
それって発明家の仕事。そうなると対価への信用はリスキー。
となると「そんなあいまいなことはできない」ってなるよね。
そして何もできなくなっちゃう。これが日本のかかえる動脈硬化の一つな気がする。
補償される対価(手前の目標)でなくて、未知の対価(奥の目標)を取りに行くためには。
そのチャレンジをいかに続けられる環境や体質を作れるのか?ってところが問題になる。
それを解決するには、
これをやりたいから、やる。っていうひどく単純な式。
これで動けるようにならないと、どうにもならんのだど思う。
Jobsは言ったよね。
stay hungry stay foolishって。
この一年から二年くらいで考えてることを、早足でちょっと書いてみました。
スティーブ・ジョブズの感動スピーチ(翻訳)
http://sago.livedoor.biz/archives/50251034.html
さてもう一本かけるかな?
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更新 2010月04日11 23時30分