iPadがうちにきた。
まいど。
腰が本格的に痛い。
■iPadがきました。
ヤー、午後に。
で、とりあえずまずはまっさらな状態で使ってみたのですが。
ちょういいね。これ。あらためて、すごく快適。
インターネットも紙の雑誌を見ているみたいに、するする見れる。
地図も拡大縮小が瞬間的にできる。
薄くてきれいなディスプレイにYouTubeのHD画像が、まるでそこに人がいるかのように見れる。
そしてそれをその場の人と共有できる。
iPadってでかいiPhone以外のなにものでもないのだけど。
その「でかさ」の持っている魅力がいっぱいあるね。
あと、本当に高速に動きます。さくさく、を超えて、ぬるぬる。
はっきり言ってこの快適さを失うならflash、俺はいらない。
iPadは種類がいろいろ出てますけど、とりあえず16GBでいいと思うよ。
iPhone持っている人は3Gもいらんべ。
■ホームを両親用に改造してみた
ってことで画像を添付。
積極的に使いたいものを、できるだけすぐ使えるようにしてみた。
まずはインターネット。
safariをやめて、yahooのショートカットをおいた。
クリックでいきなりyahooがみれる。これでだいたい事足りる。
次にお天気。
ウェザーニュースは立ち上げたときに「この場所の天気を観る」みたいなメニューがある。
なのでそれを教えた。もうばっちり。
そしてマップ。これはおとんのくいつきがよかった。
なので最初はドックに置いていなかったが、さっきおいた。
とにかくスムーズに移動拡大できる地図の驚きがあるみたい。経路検索も覚えた。
あとは爪でなくて指の腹で操作できればOK。
iHD文庫はこういうのもあるよ、っていう程度。
積極的に読むものが、現状ない。
最後に写真。これもおとんがヒット。
パソコンに写真をとりこむのが、いろいろ手数が多くて大変だった。
(というか、なんでこれだけのために、あれこれやるんだろうって感じだったと思う。)
それがこのiPadの取り込みのシンプルさが、気にいった様子。
いれたらすぐにみれて、そのまま相手にむければ、写真を見せられるのも気にいった見たい。
ってことで、うちの両親は比較的IT大丈夫なんだけど。
でもほんとシンプルに、このマシンをうけいれてくれました。
■高齢者の知的欲求は高い
今回両親につかってもらってみて、特におかんの言葉が印象的だった。
それは
パソコンと全く同じ事が、こういう機械でもできるなんて、すごいねっていう言葉。
これってすごく深いと思う。
ってのはパソコンで実際自分もできる、できてた、ってことじゃんね。
特に新しい事をしている訳ではないってゆっちゃってる。
でもiPadには夢中だ。言葉を聞いていると難しさを感じていない。
ってことは結果としてパソコンってのは「めんどくさかった」わけだ。
だから投げ出した(距離が遠くなった)んだろうなって思う。
投げ出さずにすむ、いやむしろ楽しい。簡単。
それがiPadなんだろう。iPadはDSとかと同じ「たやすさ」の位置にいる。
その上で「できる」とわかると、本当にオーラが違うね。前向き。
知的欲求ってのが高齢者(といっても来年60ですが)はすごく高いってのが、今回わかった。
そしてそれをツールがなかなか満たす事ができなかったんだと思う。
そう、今までは。
それを一瞬にして塗り替えてしまったのがiPadの衝撃だなーーって、今日思いました。
産業革命は大きな機会とともに、一度やってきましたが。
こんどはこんな小さなツールとしてやってきたのか、って感じを、ひしひしとうけました。
さ、なにができるだろう。
あ、あと50音キーボードほしいね。別にローマ字入力じゃなくていい、これ。
まあそのうちでるだろう。iPhoneがそうだったから。
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更新 2010月05日28 23時29分