自分が好きなように叩いても、自分の好きなリズムは生まれない。人生もきっと一緒。


まいど。

ってことでお約束の二本目。
ってかまあ約束って誰に?って話だよね。
でも「約束は自分にするものだ」ってどっかの漫画でゆってたっけ。
だからこれは自分自身に対しての言葉だよ。

俺は多少ギターが弾けるが、ドラムはまったくできない。
適当に叩いて一人勝手に盛り上がったりもできるけど、それは自己満足の話。
バババ、ドドドと叩いてみたって、ブレブレのリズム。単純なパターン。
ギターでカッティングしている時もそうだけどね。
自分のやりたいようにやった時。気持ちはいいけど、ただそれだけなんだよね。

プレゼンするようになってから、自分を動画でとったり、音だけ録音して練習するすることが増えた。
一生懸命、熱くしゃべっても。それを見直すと、聞き直すと。駄目なところがよく分かる。
甘い部分はだいたいすぐ目につく。話と話の間をつなぐ「で~」とか「それで~」とか。
それらは話している瞬間の自分のリズムにはなるけれど。
聞く側のリズムにはならずに、むしろ不快感になっている。

これは自分のギターも同じこと。ドラミングもそうだけど、カッティングにもリズムがある。
このリズムってやつは非常に根源的で、直感的に伝わってしまう。
メロディのほうがまだごまかしが効くような気がする。
全てを支えるリズムについては、本当に「矯正」や「訓練」が必要なんだろう。
全く音楽は門外漢だけれど、それでもなんとなくの想像はつく。

人生においてちょっとめんどくさいのは、自分と言うのは「プレイヤー」でもあり「リスナー」でもあるということだ。
思いっきり自分の好き勝手にリズムを叩きたい、というのは誰もが描く夢ではある。
でもその音を聞いて「好きか」と聞かれれば、十中八九「何これ?」のレベルになるだろう。

ただ好きなようにリズムを叩くだけでは、駄目なんだ。
そういうことだと思う。

自分が好きなリズムを自分で叩くにはどうしたらいいんだろう。
主観と客観を同じテーブルにならべて、第三者として冷静に考えられること。
そこから「じゃあこうしよう」というセルフディレクションができること。
その積み重ねができること。

もし僕に夢があって、自分の人生を有限だと分かってしまったら。
それをする以外にないんだろうなって思う。まあ、今まさにしなさいよ、って話なんだが。

自分を客観的に見るにはどうしたらいいんだろうか。
自分への愛情とそれ以外への愛情を均等にしたらいいのかもしれない。
でもそれは正直俺も分からない。それでいいのかどうか。

ただ、若干のナルシシズムはあってもいいんだろうと思う。
自分のリズムをきいて「これいいねー」って言えるのは、自分を好きな人間だけだからだ。
でもナルシシズムを支える根拠はもちろん必要。
そこからは現実論なんだと思う。

そこをどうするか。
今、どうするか。そこだ。




話し変わるけど、自分のブログのはてぶをチェックしたら、自分の書いたラフにまではてぶがあって、びっくりした。
やー、伝わっているんだな。ありがたいな、と思った。精進します。

はてなブックマーク→新着ブックマーク→emptyhouse.jp



タグ【余談】


関連記事

この記事のハッシュタグに関連する記事が見つかりませんでした。

勝又孝幸

株式会社データファーム

FileMakerシステム制作を中心とする「株式会社データファーム」という小さな会社の代表です。2007年から趣味で書いている日記を個人ブログとして現在も続けています。

最新記事

カテゴリー

アーカイブ