松浦さんと立川さんと俺

まいど。

夜中によっぱらって松浦さんの思い出話を連投した。
(あの時はすいませんでした…。フォロワーのみなさん)
それが知り合いの談志師匠のファンの方に見つかったのだが、「ブログにまとめた方がいい」とおっしゃって頂いたので、まとめることにしました。

当初はtwitterの川に流して終わり、のつもりでしたが。
誤字だらけのtwitterをまとめられるよりは、自分でまとめたほうが責任の所在もはっきりしていますしね。
ということで、松浦さんと談志師匠の物語を少し。

私にとっては松浦さんのお話なのですが、師匠のファンの方には師匠のお話しかもしれません。
私の体験と伝聞によるものですが、すべてにおいて確実性があるとも限らないので(伝聞は特に) 

ノンフィクションのような「フィクション」
くらいに思って読んでいただけると幸いです。

では、いきます。



談志の落語に火をつける。

@junko_fujita 談志師匠の息子さんと、知り合いです。

@junko_fujita かたぎてw 今談志師匠のマネージャー。結婚披露宴にでたら、談志師匠が呼んでもないのにきたw

@junko_fujita 酔ってるんでその話、いまつぶやけるけど、知りたい?

俺は競馬雑誌に連載している松浦さんという人が気になっていて。ある日その方に会いにいった。そこは「大木」という洋食屋で、その主が松浦さんだった。洋食屋のオーナーにして競馬雑誌に連載。変わった人だった。

その洋食屋には競馬の人間が出入りしていたのだが、もう一つの集まりがあった。それは「立川流落語」の人たち。彼らのたまり場でもあった洋食屋は、とにかく松浦さんの人柄でまとまっていた。この人はオレの勝手な人生の師匠のひとり。

立川流の人間の中でも最も出入りしてたのが、談志師匠その人。俺がいたころは週に一度は顔を出していたのではないかな。売れない落語家が一時期毎日のように入り浸っても、いつかはいなくなっていく。談志師匠は昔から、大木に顔を出していたらしい

なんでこんな洋食屋の主人と談志師匠が懇意になっていったのか。そこには「笑福亭松鶴」の存在があったらしい。談志師匠が笑福亭松鶴をけなしたのか?あるいはその逆だったのか。とにかく二人は険悪な時期があったのだそうだ。それを悲しく思ったのが松浦さん。

松浦さんは笑福亭松鶴の芸に惚れていたし、一方若手の談志師匠の芸もみとめていたそうです。この二人がいがみあうのはもったいない。ということで、笑福亭松鶴さんには「若いが故の」と取り次ぎ、談志師匠にも「そういうな」と取り次いだって話。

その経緯があって二人は和解し、そこで談志師匠は松浦さんを知る事になる。談志師匠は松浦さんの人間性に惚れてしまったそうで、洋食屋に顔を出したんだとか。でも松浦さんはすぐには敷居をまたがせなかったって話。けじめなのかね。でもかわいいから外でこっそり会ってたそうな。

そのうち一年たったあたりから(?)大木ののれんをくぐれるようになったそう。それから国会議員になった時でも大木に顔を出していたらしい。だから大木に通っている一番は談志師匠。長くゆっくり丁寧に。ふたりは言葉や考えを重ねていったみたい。

松浦さんはだいぶ前に亡くなったけど、まだ部屋は残っていて、そこには談志師匠のいろんな写真が一見乱雑にふすまにはってある。談志師匠もそうだが、松浦さんもまた相手にぞっこんだったんだろうな、というのが伺える話。ふたりはいい兄貴と弟みたいだったのかな。

そこに自然と子供の頃から息子さんもいたのかなぁ?(これはわからんす)でもって俺が息子さんにあったのは、とっくに成人してフリーライターやってる頃だった。「談志師匠がきてますね」って話しかけた相手が、息子さんだった!みたいな。

当時自分も松浦さんの文章が好きだったし、文章を書く事が好きだったので、息子さんともそんな話をして。そんなこんなで気がついたら結婚披露宴によばれて、びっくりした。浅草の仲間の一人、という風に認識してもらったからだと思う。なので参加は浅草のおかげ。

披露宴は屋形船。限られた人数で行われたのだが、そこにしっかり呼んでないのに談志師匠がきた(笑)頼んでもいないのにくるのはさすがと言うか。座の真ん中に自分から座ったのは「談志師匠が末席にいても周りが気にするだろう」ということから。自分から進んで真ん中にいくのは師匠のきめ細やかさ。

談志師匠は「世間が見る談志」というものを分かっているし尊重もしていると思う。なので非常にファンサービスが適切というか。たとえ相手の想像力が至らなくても、きちんとそれに答えてくれる優しさがある。結果それが「破天荒」とかいわれるけど、あの人ほど繊細な人はいない。

その繊細な師匠に負けず劣らず繊細なのが、大木の松浦さん。なので二人は本当にフラットな関係だし、ある意味ライバルだし、本当に心からお互いの意見を交換、尊重できる相手だったと思う。なので松浦さんだけでもものすごい安心感があったのだが、そこに師匠あらわれれば。

師匠が来れば松浦さんは受け身にかわる。とにかくにこにこ、話を真摯にきいてくれる。うけとめた上で、ぼそっと返す。おれたちにもそうだったが、おれたちが真剣であればあるほど「馬鹿だねぇ」っていってた。それは「肩の力をまぁぬけよ」ってことだし、ある意味褒め言葉でもあった。

そういう空気を俺も他の人も談志師匠も、味わいに来ていたところもあると思う。そういう意味では松浦さんの前ではみんなが、弟みたいなもんだったと思う。その空気を共有できた事が、ちょっとした誇りだし、素の談志師匠を感じる事ができた要因でもある。

談志師匠は乱暴か。答えはNOだ。談志師匠が人を馬鹿にするか。これも答えはNOだ。師匠が大木に来ると、いつもの場所が決まっている。師匠が来ると電話がくると、その場所は誰でも空ける。一見さんがきても開ける。そうやって場をつくって、師匠をまっていると、車でやってくる。

車でくると、立川流の見習いは入り口で立ってまってる。寒い日でも暑い日でも絶対に中に入れない。そうやって師匠は豚カツとビールを飲む。「豚カツは薄いほういい」など、師匠のたくさんの筆は、いまも大木に数多く残っている。

師匠はくると、松浦さんと話しもするが、おれたち周りに演説をうつような形になる。師匠の場所から東西南北。あ、右は壁だな。いろんな人間に話しかける。質問をする。「これはどう思う?」と聞いてくる。「これは分かるか?」と聞いてくる。俺も何度かだけど、これうけた。緊張するよ。

ここでね「分からない」といったとしてね。まあ、緊張で答えられない俺もいるのだが。決して相手をけなす事はないよ。「じゃあ質問を変えるか」とかね。師匠だから主張は強いけど、相手に対してとにかく噛み砕くし、立場をおりてきてくれる。とにかくサービス精神が旺盛で優しい。

世間で乱暴者みたいにいわれる師匠がね。一人一人の顔をみて、きちんと質問する。ぐるぐる体を動かしながら、常に人と真正面に話をするし、かみ砕いてくれる。仕事じゃない、こんな時間にそれができる。これはこの人の優しさであり、立川談志としての業でもあると俺は思う。

そういう師匠を嬉しそうに見ているのが松浦さんだった。そんな空気や俺たちに対して「馬鹿だねぇ」とささやくのは、これ以上ない褒め言葉。それにおれたちはしっぽをふっていたんだと思う。そういう意味で師匠もおれたちも同義であった、というのが大木での奇跡だと思う。

俺が松浦さんにあこがれるように、師匠も松浦さんにあこがれていたと思うし、お互い許していたと思う。そういう関係を生で見れたのはとっても幸福で、松浦さんに会えたのは、自分にとっても幸福だった。談志師匠がものすごいのは百も承知だが、それでも松浦さんがオレの師匠なのはそんな訳。

さてまあ、これがオレと松浦さん、そして談志師匠と息子さんのなれそめ。さて、こっから松浦さんを語ろうか。それとも師匠を語ろうか。どっちがいいかな?情報的には談志師匠の方が少ないです。ってか読んでるヤツいるか?

談志師匠の芝浜、やっぱり良すぎる。(これを書きながら聞いていた)

ちなみに基本的に話に嘘はないです。基本的にってゆってるのは、俺が伝聞だったり、記憶がすこしあいまいだったり、酔っていたりする部分w

どっちにするか考え中。俺個人としては松浦さんを世に伝える義務があるのだが。さて。

よし、浅草談志の会のエピソードを書いて終わる。

俺は当時ずごくアホな事に落語に興味がなかった。

興味がなかったのだが、それでも談志師匠の落語が聞きたくなった。そこで松浦さんが主催している「浅草談志の会」という落語会のチケットがないか聞いた。すると「ないよ」と即答。まあそうだよな、と思ったら松浦さんからすぐ電話がかかってきた「スタッフやんなよ。そしたら入れる」

ということで俺はスタッフとして当日入った。息子さんと奥さんがチケットのところにいて俺は呼び込み。「こちらが談志の会ですー」みたいなことをゴロゴロ会館の前で声だししたっけ。静岡から出てきた小僧が浅草で声だし。妙な話だがそれも縁なのだろう。浅草の仲間と用が済むとあとは落語を待つだけ。

そんなこんなで200余りの席に、談志師匠の登場。あとで考えれば平気で2000位の席でやる人を200人の席で見れるのは幸運だ。談志師匠から見ればこれは「金にならない」ともいえる。それでもやる。それはなぜか。松浦さんとの約束だから。ここが浅草だから。

松浦さんの文章 http://bit.ly/beXPzS

師匠の第一声。すこしだけざわついた中で、ぼそっ。あれ?という感じの声に一同が声を潜めて師匠の声を聴こうとする。会場が静まって師匠の話がはじまる。このつかみから既に師匠の計算なのだと後で誰かに教えてもらった。「うるせぇ」なんて言わないでこの一つで場をつかむ。これが談志師匠。

こういう繊細さが談志師匠であり、松浦さんが共感して好むものであったと思う。大きな声で嫌いなものを嫌いというのは、好みじゃないのだ。それが松浦さんであり、談志師匠の本音。そういわずにすむ、やさしいやり方、万人に届く表現。師匠の「イリュージョン」はそういう意味もあると思う。

とまあ、そんなこんなで師匠の落語がおわる。実はこのときの話はまったく覚えていない。ただただ最初のやりとりだけが頭に残り、そのあとはあまりに普通に流れた記憶がある。落語に暗い、鈍感な俺には、高度で情報が多すぎたのだろうと思う。

ここで終わるところだが、蛇足がひとつあるので、それを書いて今日はおしまい。俺が静岡に戻ったあとの話を少し。

おきてるか?>all

暗闇に向かって話しかける趣味はないけど、もうちょっとだけしゃべるかな…。

談志師匠の落語がすごいって話をするが、ききたい人ー?

じゃあこれでおしまいってことで、もう一段落。これは個人的な話と感触ってことで。

俺はそのあと静岡にかえって、富士の代理店で仕事をしていた。富士の公共事業とかホールに出入りする事があって、ふとした話で落語の話になった。文化事業だからね。そこで「談志師匠とかは駄目ですか?」と聞いたらOKとのこと。

そこで当時師匠のマネージャーをやってた息子さんに久々電話をしてみた。「師匠って来てくれますかね?」「普通に申し込んでくれれば大丈夫だよ」ってことで事務所に電話。ギャラの相場を聞いて、それをホールの役員さんに電話番号と一緒に伝えた。そしたら師匠が来る事になった。

知らないところで話が進んで、俺としては役に立てて嬉しかった。窓口に席をとりにいったら、窓口の担当さんが「談志がくるんですよ」って自信満々にゆってらっしゃった。やー、それ、俺もかすってます。みたいな感じで、ちょっとくすぐったいような感じだった。当然大ホール。当日席は埋まった。

会場はいろんな人がいたが、うしろに品の良いおばさんと娘さんがいた。「あなたにはいいものを聞かせたいから」とおっしゃっていたが、師匠、でっかい声で「オ●ンコーーー!」ってぉぃw。こういうキャラをかますところが、地方での談志像を律義に踏まえているとも言えるし、恥ずかしがり屋ともいえる。

演目は「らくだ」だった。これの話しはなんとなく聞いた事がある。談志師匠のらくだはそれはそれで師匠らしかったが、実はこのときにあんまり深く印象に残るものが無かった。話がおわりわれんばかりの拍手。師匠「こんな富士の田舎にも俺の話をわかるのが大勢いたとは。煙が目に染みる……」

ここでいう煙と言うのは、紙の町富士にある「工場にあるえんとつの煙」にひっかけた師匠ならではのジョークであった。これに気付いた人が何人いたかなー(ってか本人ネタばらししたから、俺が知ってるんだっけ?)スモークオンザウオーターともいった気がした。このあたりの連想はきっと師匠はお手の物。

さて。

さらに一年は経ったころ。落語の熱がまた上がった俺は、iTunesで売られたばかりの落語を買った。それは志ん生の「らくだ」あの時談志師匠の「らくだ」を生できいたので、聞き比べてみよう、くらいのつもりで購入して聞いてみたのだ。

一通り志ん生師匠の落語が終わり、俺が思った感想。それは「ああ、あの時の談志師匠のらくだ。あれはものすごくうまかったんだ」というまさかの感想。一年たって、師匠のすごさが急に生で感じられたのだ。

これはほんとうにびっくりしたし、正直震えた。あのときどれがと印象に残っていなかったらくだが、急に色めきたって、あの時のすごさをよみがえらせたのだ。本物は自分の心の中に勝手に忍び込んでいて、何かをきっかえに蘇った。その事実が芯から驚く体験だった。

すごみ、本物というのは、こうも淡々としているのか。そして魔物なのか、と思った。志ん生の落語が俺にあわなかっただけかもしれないが。それでもこんなふうに現れるなんて。他のどれをもっても今まで一度もなかったことだ。こうして俺は「立川談志」という天才に出会ったのだ。

………やっぱ俺の体験の話よりも、談志師匠と松浦さんの伝聞の方が面白いなってことが、なんとなくわかったぞ(笑)でもね。談志師匠はこうやって目や耳や空気を通じて。色んな人に「本物」っていう時限爆弾を埋め込んでいるのだろう。そう考えると立川談志という人は、実に恐ろしいとも思うのだ。

ぉぃまぃ

みすったwおしまぃ

質疑応答がなければ、俺ねるぞー。

特に質疑応答がないようなので。またいつか。もう少し松浦さんと師匠の話があるので、またどこかで。twitterは川に言葉を流すようなものなんで、まあ話しても松浦さんがゆるしてくれるでしょう。(……といいつつ、自分の責任でブログにしました)

最後に写真な。ほらよっ。https://emptyhouse.jp/nikki/entry-124.html

じゃ、ねます。オレもいまから読みかえして、誤字を探します。あはははは。起きれなかったら、みんなのせいだ!ありがとー。

ばーい



タグ【松浦さんと立川さん】


更新 2011月11日23 16時10分

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勝又孝幸

株式会社データファーム

FileMakerシステム制作を中心とする「株式会社データファーム」という小さな会社の代表です。2007年から趣味で書いている日記を個人ブログとして現在も続けています。

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