10年後の社会を妄想する。「マネタイズ」から「ライフタイズ」へ
まいど。
今日はなんか心が重い。
珍しい…。ま、こういう日は乗り切ろう。
あと人と会おう。
2010年の今日の感じを、2000年の頃に予測できてただろうか?
そんなことを良く考える。
今イオンタウンが富士や富士宮にできて、小さな商店街みたくなっている。
そこにガッツリ人が流れている事実があるのだけれど、2000年の自分に今の状況を話したら信じるだろうか?
きっと笑い飛ばすだろう。
ということは、未来の予測はそれくらいでいい、ということだ。
あり得なくていい。
未来は予測と言うより、妄想に近い。
ということで、自分の思うままに2020年を予測してみる。
ちょっと長くなるけど、ごめん。
気持ちが重いので、吐き出さないとやれそうもない。
■仕事をしてない人が増える
と思う。正直消費は減るし。
仕事をしない罪悪感とかでなくて「仕事をしないのも当たり前」という空気もできると思う。
仕事がある人、ない人。どちらが優越とかではないけど、二極化はきっとする。
■すべての資産が二極化する
これも上に通じるけど。たぶん二極化する。
例えば土地。
あるからいい、ではなくて。
「この土地は価値があるけど」「この土地は価値がない(ゼロ)」というのがくっきりすると思う。
人と言う資産も同じ。
んでもって、お金っていう資産も同じくになるのかも。
「持ってるならこれだけ持ってないと意味がない」「これくらいなら、あってもなくても同じ」とか。
インフレ?でもそれはなさそうだからデフレかな。
そうなるとお金持ってる人と持ってない人っていう比率がひどくなってくるのかな…。
■電気自転車がはやる
俺これマジで思ってます。
保険が払えない、うかつに使えない。健康は自衛しないといけない。
車は維持費がかかる。目が悪くて乗れなくなる。
そうなったら自転車最強だと思うんだけど。
現時点で俺もそう思っていてそれなりに乗ってますが。
負荷をかける事よりも「間接を動かす、代謝をあげる」ことが重要になると思う。
そうなったらサポート機能がある電気自転車最高だと、実は今でも思う。
というか自転車のるなら、年齢早いほうがいい。
都市よりの骨折は生活に影響出るし。自転車上手にのれれば、それも回避。
■地域のお店や市場てきな商店街が復活
これも既存の商店街以外のところでありそうな。
車もつ人口が減ったり、さっきの電気自転車とかあったり。
移動コストもしゃれになれない、ってなったら「いける範囲の近所にぶらぶら遊びに行く」ことが日常のレジャーになると思う。
なので、お店側も半分、お客側も半分。
お互いが足を伸ばした場所として、小さな市場とかはやる気がする。
ここにどれだけの商店が生き残ってたどり着けるのかって感じでは?
んでもって「あっちの地域の市場は面白いらしいよ」っていう感じの交流、お出かけは増えるかも。
ヨーカドーも実際「小さいヨーカドー」出してきたみたいだしね。
■移動コストがとにかく高くなる
ちょっとまえの昭和じゃないけど、遠出するってのが本当にぜいたくなレジャーになる気がする。
たまに行く、でなくて「ぜいたくにいく」とかになりそうな気がするんだよなー。
それも理由があって。
というのも、多分通販はこれ以上ないくらいに栄えているはずだから。しかも送料無料で。
生活に必要なものがほとんど向こうからやってくるとなると、いよいよ車を持つコストも馬鹿らしくなるかもしれないし。
既に都市部は「車いいや」って流れがかなりあるけど。これは地方にも拡大するのでは?
■「マネタイズ」から「ライフタイズ」へ
ライフタイズは俺の造語。
経済が強かったころはお金を稼いでそれを衣食住に変えて生活してた。
それが今経済が弱くなって、お金が稼ぎにくい。なので衣食住が困っている。
そんな流れじゃんね。
どっかで、
だったら、衣食住のものを直接作ったほうが早いじゃんっていう革命?(笑)みたいのが来ると思う。
今は「お金→衣食住」っていう流れがほとんどだけど。
この「お金」の部分が多様化する気がしてます。
なんで、経済(お金)は落ちる。
けど生活できるっていう図式ができてくると思う。
兼業農家みたいなもんかね。
「午前中は食べるための仕事して、午後はお金のための仕事する」みたいな。
そんな感じはすごくありえるし。
正直俺はそういう生活がしたい。
とこんな感じ。
まだ妄想が足りないよね。甘い。突き抜けてないなー。
でも思うのはこんなところでね。
そういう気持ちがあるので「地域」ってのが見捨てらんないのかも。
あとはまあ、ほんと「ライフタイズ」っていうか。
地域福祉とかも含めて、お金の力よりも人の力がすごく必要になると思う。
お金で「あれする」「これする」っていうのは、ちょっと無理になってくると思うよ。経済も下がるし。
でもまあそれはそれで。
もうちょっとおだやかで、形の違った社会が待っている気がしなくもない。
ただそれやるには、自活力っていうか。
社会にやってもらうっていうんじゃなくて、
社会に躍り出るくらいのポジティブが必要かもね。
あとついでに。
俺は今までの社会の歴史って、
増産の歴史って思ってたんだよ。
まあ、それはたしかに一理も一理もある。
でもさ、例えば狩猟が濃厚になったり。
あるいは手作業が工場制手工業になったり。
これって
予測の歴史だったとも思うのさ。
計画性といってもいい。
いつくるかわからない獲物でなくて、しっかりと収穫が読める農耕への変化。
「未来を計算に入れられるようにしたい」っていう人々の希望が、変化を生んだのだろうなーと。
その「計算できる部分」をさらにマネタイズ化して、ここまで経済が大きくなってきた。
そういう流れが、一段落してくるのではないかな。これから。
「計算できる未来」の部分で衣食住したり、ぼーーっとしたり。
経済成長からみれば「ちょっとおちこぼれ」な社会だけど、なんとか回っている。
そんな世の中が来るような気がするんだけど。
まあ、来るっていうか「作る」だね。
自分で言うのもなんだが、つい先月に
「未来を計算に入れられるようにしたい」に気がついてから、ディレクションのことを更に大事に考えるようになりました。
でもまだできてないんだよね。
はーーー。
ってことで、ちょっと書き出した。
ふー。もっともっと懐の大きな人間になりたいなー。
そのためにはもっと自分に挑まないと。楽しまないと。
まだまだ、とはいいたくない。
うーーん、人生大盛りにできるように、自分って器を磨いたり伸ばしたりしないと、なのかな?
ってことで。
いろいろ休日のことをやるよ。
ラジオ聞くだけでちょっと落ち着く。
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【追記】
ちなみに、未来を妄想すると結構楽。
現実を変えるか、妄想(未来)の図を変えるか。
そのバランスをちょいちょいいじっていけば、けっこうなんとかなるから。
妄想の方がどーんと突き抜けた変え方。できるかな。
なんでこっち(妄想)を持っておくのは、俺の中で大事。
あとはまあ、ネガティブな話だけど。
「10年後を確かめたい」っていうのは、死なない理由の一つになるんだよ。
笑っちゃうけどね。人生気持ちが自分の想像以上に落ち込むこともあるので、そんなときのちょっとしたひっかかりには、なるんだ。こういうのが意外に。
ま、そんな感じ。
この10年後がどれだけ正解かしらないけど、俺は10年度も生き抜きたいし、自分を惨めに感じる自分でいたくもないので、気持ちも体もやるしかない、ぞ、と。
さて、どうやるか、だ。