とことん、とことん、考えて言う。

まいど。
今日も仕事だよーっと。寒さがハンパないね。

「考える」ことが行き過ぎると「考え過ぎる」ってことらしいが。
自分はまあ、とにかく「頭が動いてる」タイプの人間だと思う。
毎日毎秒考えている訳ではないけれど。

とにかく頭が回っている。これは体質。
その時に仕事もでもプライベートでも、題材を何かとりあげては。
考えたりするし、悩んだりしてる感じ。

考える、ということを積み重ねて行けばいいんだけど。
悩む、ということに頭の運動能力が捕らわれてしまうと、余り良くないんだろう。
論理的な進展はないし、感情は消費するし。

結果として情緒不安定な行動や表現が多くなるんだよね。
妙に明るかったり、ぎゃくに言葉がでなかったり。
そうして結局「疲れる」
その疲れが次の日も残る。

冷静にシンプルに整理整頓して「悩む」よりも「考える」ことが大事だと思う。
みんなが「考える」にどれくらい執着するのかはわからんけども。

本質的に自分は「考える」をしたい人間。
でも体の癖は「頭を回すこと」。

「考える」ってことではない。

だからいかに一日「考える」に集中させるか、そのハンドリングが未だにダメダメな感じだ。
甘えが多いっていう。

ずーっと頭をつかってたり、考えてるのはよくないって言うけど。
それはホントその通りだと思う。
けどさ、例えば自営業をやると決めたら、やっぱり人並み以上に考えなければ「(サービスを)あたえる側」にはなれないんじゃないの?とも思うんだよね。
考えないでその立場に立とうとしたら、それこそ甘い了見だと俺は思ってしまうんさ。

「考える」その犠牲は仕方のない事だろう、と。
ただその犠牲をいかに「心身ともに被害が及ばない程度に、大きくしないか」
ここがスキル、技術なんだよね。
「休憩」がものすごく大事な事を踏まえた上でも「休憩」をベースに人生考えるのは、俺はちょっと違うね。

とはいえ。
ここで自分でも整理しておくのは「休まないといけない」ということ。
「休憩」をしなければ人間は死んでしまうけど、「考える」をしなくたって人間は死なないからね。
まあ、むしろ健康になったりして。ははは。

いろいろぐだぐだ久し振りに書いてみてるけど、客観性を有る程度排除すれば自分の物言いはこんなもんなので。
多少の分析癖。
頭が回転しちゃうから、その材料をあちこち探す。
どうせ回ってしまうんなら、もう少し建設的な使い方をしましょうよ、みたいな感じ。


第三者になにかを表現するときには出来るだけ「シンプルに」と心がけてきたけど。
その結果、自分の思考の手法まで「シンプル」にしすぎてしまったのかな?
というのは先日の日記に書いたとおり。
考える事が、それにならって「段々とあっさりしすぎてしまったかな」という思いはある。

なので、先祖返りではないけど。
もう少し考えるの工程を増やしたいなと思って増やしているのだが。
これが評判が良くないケースもある。ははは。

まあ、「考える」をするならば。
考えて、考えて、考えて。(ここに「悩む」を大きく挟まないのが難しい)
その結果の結論。
これはたいていシンプルになっているので、それをはじめて口外するのがいいかと思う。

考えてる途中は、場合の数も情報もいろいろごちゃごちゃになっている時だから。
それをしゃべっても相手にとっては「まだ嬉しくない状態」って感じなんだと思う。
その時って、一番辛いときだし、頑張ってる時でもあるんだよね。
よわっちい俺はそれを口にしちゃうんだよねー。
はは。聞かされる相手は笑えないか。

考えていることをつらつらtwitterに流せば「言葉が足りない」とかなるしね。
それも疲れたし。渾沌としたまま反応を参考にしたいときもあるんだけど。
twitterも気軽でなくなったし、世の中ではtwitter=公の場、らしいから。

そもそも「何でもない思った事をつぶやいてみよう」だったと思うんだけどね、twitter。
でもそれは性善説なんだろうね。
ユーザが増えれば性善説は立ち行かなくなるものだから。
まあ、そこはこっちがそれに従うのが筋だと思う。

ま、そうこう考えてみると。

・時間も量も好きなだけ
・誰にも横やりを入れられずに書き切れる

ブログってのはなんとも贅沢なものだと思う。
こんなこと10年も前から何も変わらない価値だったのに。
いろんな「便利(でせわしないもの)」が出てきて、改めてその価値に俺は気付いた感じだ。

「インターネットもずいぶん住みにくくなったもんだな」なんてふざけて言ってみたけど。
ネットにそういう歴史ができはじめたってことは、まあ俺にとっては静かな驚きかな。

なんにしても。
「シンプルな表現」ってのは「あっさり」とは違うよ。
「シンプルな表現」は軽くいものでもなければ、草食系でもない。
「シンプル」にいきつくまできっちり、考えて考えて、考え抜く。
エネルギーを「悩む」に消化されないように(悩むは感情的で熱が入る)淡々と。

集中という良質な孤独の中で、丁寧に考えること。
その考えるがどんどん繊細に、詳細になっていくこと。
これがいまのところの俺が考える「最高」だと思う。

まあ、こういうもの言いになるのは、今談志師匠のCDを聞いてる影響も十分あるのだけれど。
でもやっぱり師匠にしても、師匠が大好きだった松浦さんにしても。
考える、考え抜く人だったなぁ。って、ふと思い出してね。

やっぱりそれに近づきたいし、あこがれのカタチだし。
そして当時。20歳過ぎの自分にそういう素養があったから、きっと松浦さんの目に留まったのかな。
そんな風にふと思ったので、こんな日記を書いてみた。

仕事もさぼって(笑)

ま、そんな感じです。
書いてすっきりしたので仕事する。
あとほんと「考えたい」のであって「悩みたい」ではないので。

そこらへん、松浦さんはほんと「さっそう」としてたと思う。
そうなりたいなぁ。


更新 2011月12日23 17時35分

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勝又孝幸

株式会社データファーム

FileMakerシステム制作を中心とする「株式会社データファーム」という小さな会社の代表です。2007年から趣味で書いている日記を個人ブログとして現在も続けています。

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