ファームの終わり
まいど。
ちょっと忙しいけど日記だけ、どうしても書かせてもらう。
今、梨畑を更地に戻す作業をしていて、それが今週いっぱいで終わりそうだ。
月曜日に開始したと思うんだが、あっと言う間でびっくりしている。
自分が農家を継がなかったので、いつか畑はなくなるし、実際去年で両親は農家を廃業していた。
なのでいつまでも畑がそのままであるわけではない、と思っていたが。
いざそうなってみると、なんともいえない不思議な気分だ。
子供の頃から家は自営業で農家だったわけで。
梨畑というのは、父の職場でもあり遊び場でもあり、手伝いの場所でもあった。
友達もバイトで手伝ってくれたし、自分を食わせて成長させてくれた場所なのは間違いなく。
子供の頃の原風景がいよいよ、そしてあっと言う間になくなっていくのは、なんとも言葉がない。
悲しくないといったら嘘になるが、ショックもほぼないのは「そうなる」という心の準備ができていたからだろう。
とはいえ「平気か」と言えばそんなこともなく、心の中を薄い悲しみみたいなものがふわっと膜をはっているようなのも事実だ。
とはいえ。
妻にも話をしたのだが、一個人事業主として、きちんと終わりまで自分で面倒をみきれるというのは、本当に幸せな事だと思う。
無事だから、倒産しなかったから終わる事ができるわけで。
そう考えるとこの更地に戻すという作業は、とっても幸せな行為ではあると思う。
小さい頃から農家になりかったし、そういうつもりで勝手に育ってきたし。
実際に継ぐ継がないで両親と多少もめた事もあるが。
家業のおかげで、データベースをつくるきかっけができて、それが今の自分の仕事のきっかけになっているのだから、ほんといろんなことに感謝をしなければならないな、と思う。
周りや環境に感謝しなければ、と。
あと、俺がもし結婚をしていなかったら。
あるいは、子供が産まれていなかったら。
感じ方はまた違ったものになっただろうとも強く思う。
結婚や出産を体験する事で。
うまく言えないけど「ああ、一つ仕事が終わって、一つ仕事がふえて、一つ人生の駒が進んだな。うん、死に近くなったな」みたいな、なんとも言葉にしずらい感情、思考があったのだが。
結局は「始まり」が「終わり」に繋がっていて、そのベルトコンベアの上をいろんな人生が流れているんだと思う。
梨畑がなくなる「終わり」ということに、なんとなくだけど納得がいっている、という自分がいて。
その意味や理由が、自分の中になんとなくある、繋がっているって感じです。
まあ、まだ自宅で食べる分くらいの畑は依然あるしね。
それだけでもけっこう手がかかるので、両親には引き続きそっちでがんばって、楽しんでもらえればな、と思います。
という日でしたよ。ってことで。
家業を継げなかったなーというとこもあり、せめてそのクオリティをこの業種で達成できるようにっておもって「ファーム(畑)」の名前を何となく入れたのだけど。
今はいれてよかったなー、と思っています。
「ファーム」は言葉だけだけど、残ったし、受け継がれてるのかなーっておもって。
でもそう思うと引き締まるね。
がんばんないと。
更新 2012月04日25 17時41分