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99.7.26
誰もが幸せになるために一生懸命頑張っている

 弟の結婚に伴い、実家に帰郷した。
 結納というものに出たのだが、なんというか居場所のない、自分の置き場所が見あたらない行事だった。弟も両親も、そして幸いに相手方皆々様も、非常ににこやかで喜ばしいこと。でも、なんかそこで小さな家族の囲いが出来上がってしまったようで、身内ながらもやはり他人事というのか・・・。まあ、写真をガンガン撮って、食べ物を沢山食べて、それなりに過ごしてきました。
 弟は実家をでて二人暮らしを始めるのですが、弟も、そして弟の嫁さんも家から出て一人暮らしをしたことがない。やるべき事が整理できずに、そうしても鈍くさくなってしまいます。初めてながらに頑張っているのですが、それでも俺にいわせると「ぬるい」部分があったりもして。
 色々頭で考えて二人で悩むのも結構。でもな、具体的な金額をもっともっと詰めないと・・・。と、夢のない兄ちゃんはそう思ったりしました。頑張っているのになぁ。弟よ、スマン。
 にしても、俺がぬるいって感じたのは、やっぱり「誰もが幸せになるために一生懸命頑張っている」と感じたからでしょう。白鳥の水面下ではないけれど、あれやこれや動きっぱなしの世の中だから。
 一人暮らしが長い自分としては、そういう部分からのギャップってものがすごく感じられた、ということです。

 で、みんな一生懸命になにをやっているのか・・・。浅草でケン坊さんと談話していて口にしたんだけど、「みんな一生懸命に『サイコロ』を振っている」んじゃないんですかね。

 一回振って6が出る人もいれば、6回連続で1が出る人もいたりする。
 あげくのあては面のないサイコロを振っていたり・・・。

 頑張るだけで成果が出るという世の中でもない。
 だからこそ、まずはサイコロを沢山振るようがんばるしか、ないんでしょうなぁ・・・。


 マジでこのページ読んでる人って、どんな人なんでしょうか。メールくれくれ!
 taka0205@fa2.so-net.ne.jpまで。
 喘息が出てくるようになったので、最近夜が不便です。






99.7.21
eMateの答えを出したiBook

 マックワールドエキスポ、ジョブスの講演が終わり、iMacのノートバージョンである「iBook」が発表された。
 これはeMateと非常によく似たマシンだが、更に改善されたマシンでもある。

・3kgという重さはどうか。
 体育にはいいだろう(笑)。それより大事なのは「powerbookにはハンドルがないがiBookにはハンドルがある」ということ。3kgという重さを何kgにするかは、あのハンドルにかかっている。

・AirPortはどうか?
 ワイヤレスでインターネットできるというAirPortは正確には「ワイヤレスネットワーキングシステム」ということ。うおお、ケーブル入らず?eMateで子供達が不満だったこと。
 「通信中にクラスメイトがまたぐと通信がとぎれてしまう!」
 「いっぺんに多くの友達にファイルをコピーしたいよ!」ということ。
 これらに対する回答、それがAirPortだ。

・買いか
 欲しい人は買いでしょう。僕は年末のボーナスで何とかやっつけようかと考えています。値下がりが期待されるiMacにも目が離せませんね。

 決して100点満点の回答とは言えないiBook。(重さはなんとかしてほしかった。)しかし、数字では表現できない新しい可能性を持っているマシンである。
 新しい地平へ。まずはおめでとう。

 そして、Say Hello To iBook!


http://www.apple.com/ibook/






99.7.15
祭りを忘れた日本人

 会社で新しい機械を購入することになりました。私は印刷業なのですが、主にWinWordでの印刷を担当しています。Winは印刷には不向きといわれています。それは様々な要因からなるのですが、一つに印刷でよく使われるPostscriptFontがない事が原因に上げられます。これが原因でWinでは家庭の普通紙に出力した上で、それを印刷用の台紙に張り付けていきます。一枚一枚これをおこなっていくのですが、Winは社内文書や研究書など枚数が非常に多いです。従ってここに人手が大量に発生します。ちなみにMacでは、ここは機械で作業される部分です。新しい機械は、この作業を人手ではなく機械で「おこなえるかも」という期待を含んでいます。

 まったく別の話ですが、ボーナスが無事支給されました。全体としては去年の9割ということです。これがどういう数字なのかは個々に感想はあると思いますが、いざボーナスを受け取れたという事実を確認するなら、世間一般よりもいいのかな、と思っています。不況ですから。

 で、「来年はもっとボーナスがほしいなぁ、景気が良くならないかなぁ」と考えていたのですが、そう考えると最初に出てきた新しい機械は、非常に有効的なのです。いままで大量の人と時間が掛かっていたところに機械が入れる。そうなるとフローと作業時間が減少しますし、人手というコストがかかりません。今までの価格でも利幅を大きくすることができるのです。また、納品までの総作業時間も圧縮され、受注できる最大仕事数が増加します。

 こう考えるといいことづくめなのですが、実はそうでもありません。私はリストラやコストカットが直接景気を回復させる物ではない、と以前から思っています。今回も、いままでこれから機械に変わる作業をしていた「人」が問題になります。彼等はそのままでは自分たちの仕事がありません。そうなれば何か新しい仕事に従事するか、あるいは会社を去るしかありません。仕事がなくなれば余剰人員であり、コストです。それはそのままリストラの対象になって当然でしょう。

 結局コストカットはリストラを歓迎する性質の物です。それだけが進めば、社会的には失業者が大量に発生します。社会的に見て失業者は優秀な消費者にはなり得ません。それは会社側からみれば、消費者の損失となるわけです。消費者を獲得するためにも、あるいは会社が新しい利益を獲得するためにも、「新しい分野での職業の創造」が必要になってきます。余剰人員に新しい職をあてがってあげること。「経営の工夫」というよりも「創造の努力・才能」が最終的に求められるものだと思っています。

 そう考えるとつくづく日本人の足りないところを感じます。例えが変かもしれませんが、今日本の中に世界が注目する業界があるでしょうか。熱狂する世界があるでしょうか。野球はメジャー、サッカーはワールドカップ。半導体は日本を追い越しそうな韓国。発明はアメリカ、発明を大衆化するのが日本。なんというか、「日本オリジナル」で、世界が目を向ける、注目する、熱狂する世界がみつからないのです。

 確かに沢山の外国人が日本にやってきます。でも「京都・鎌倉・浅草」じゃないですか。そんなもの、とっくの昔の話です。過去しか注目されるものがないというなら、それは本当の致命傷です。別に、世界の中心に躍り出たいと言っている訳ではありません。しかしそれらは「購入する」ものではなく「作られる」ものだと思うのです。「創造の努力・才能」があるところに生まれるものなのです。それをふまえて逆から日本を覗いてみると、そういった「熱狂の世界」が最近は殆どありません。また、あったとしてもメジャーではないのです。

 最近の日本は「祭」の数が減っていると思います。あれは不思議な物で、誰が企画して実行しているのでしょうか。私はずっと参加者で企画者になったことはありません。日本人というのは祭りに「いく」が、祭りを「おこす」のが苦手な人種だと思います。というか昔は得意だったのに苦手になってきたと思います。

 祭りの熱狂とは普段の世間一般とは異質の物です。そういう特別な「楽しみ・快感」をゼロから作り上げて演出していくのは、世間離れした完成の部分がないと、具体的にイメージできない物です。こういうとビッグマウスになってしまいますが、結構革命に近い物だと思います。イメージが沸かない人間にとって、祭りをおこすことはどのように映るのでしょうか。それは「現実味のない白けた話」でしかないのです。

 新しいもの・ゼロからのものに対して「白けている」というのが、今の日本人の結局の欠陥でしょう。楽しいことを、祭りをさんざんおこすのではなく「購入」してきたバブル期を終えて、日本人が興奮することをイメージできなくなった。創造できなくなったというのが、結局不景気の原因である。それが私の最近の結論となっています。

 今まで馬鹿にしてきた、白けてきた情熱に、今こそ体当たりで馬鹿みたく向き合う時期だと思うのです。

 それをずっと持ち続けていくためにも。






99.7.8
手のひら

 子供の頃の手のひらって、握っていましたか?開いていましたか?
 僕は子供の手のひらって、きつく握りしめている思い出が強い。
 かくれんぼの暗闇で、建物の裏側で。何かを見つけては、何か小さな宝物をみつけては、それを握りしめていた気がする。
 昆虫、キン消し、50円。
 形のある、小さな小さな物。それを鳥の雛のように、大事に大事にしていたあの頃。

 大人になって、(とはいっても大人とはなんなのか分からないけれど)その手のひらはどうなったのでしょう。子供の頃、その手のひらにはもっともっと大きな宝物が握りしめられている。そう夢描いていた。それ自体は無邪気で、そしてまったく正しいことだった。
 でも現実は、夢見たようなものは、ない。
 少なくとも僕は。

 この手のひらはどうしたらいいんだろうか。きっとそういう事を誰もが一度は悩んだことがあるだろう。子供だった頃と明らかに違う手のひら。そしてそれが捕まえているものも違う。そのギャップが「いかに間違っていないか」という説明を、いくつもいくつも自分にしたのではないだろうか。

 僕についていえば、子供の頃とは求める物が明らかに違ってきた。子供の頃はファミコンが買ってもらえなかったから、長いことファミコンが欲しかった。でも今はそういう具体的なものではなく「良い仕事」とか「幸せな生活」という、目に見えない、握りしめられないものを求めるようになった。手のひらではうまく握りしめられないものを、常に頭におくようになった。

 それはそれ。自然なことで、正しいことではある。
 ただ、子供の頃は小さな宝物は手のひらに。つまりそういう小さな世界で完結していた物語が、いまは膨れ上がって天井知らずに大きくなって、このてのひらには手に負えなくなった。そんな気もしている。
 そしてそういう葛藤はこれからも続くとして、いつの日か、手のひらではもうあふれてしまうような望むべき宝物を、この手に握りしめる日がくるのだろうか。

 いま50円を手に余らせ握りしめても、まったくうきうきもどきどきもない。
 それはただ、時間が過ぎ去って二度とは戻らないことだけを語っているのだと思う。


 エルコン勝ったね。花ちゃん。でも新聞とかでっかくのらんかったね。

 書けない。






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