老犬は天国に
木曜日に病院から引き取って、日曜日には天国に旅立っていきました。その間は日々変化があり、いろいろと人間の方も大変でした。犬の方も大変だったと思うので、泣き言は言えませんが、最期までしっかりと見ることができたので、私たちは納得しています。
外犬を家で面倒見るということ
老犬で状態的にも衰弱しているので、外犬とはいえ外に置いておくことはできません。狭い玄関先ですが、物を整理してサークルを置いて面倒を見ました。
犬も獣ですし、衰弱もしています。我が家は玄関がほぼ土間で、すぐリビングダイニング。犬に目が届きやすいのは良いことですが、匂いが日に日に強くなっていくのが大変でした。
犬も大変な時期です。臭いくらいで、という気持ちはこちらもあるのですが。衰弱が進むと犬のケアをするタイミングも格段に増え、人間が消耗します。弱った時こそ匂いのダメージが大きいのです。がんばっていればこそ。これは考え付かなかったことでした。
後からトイレの匂い消しみたいなスプレーも利用したりしたのですが。匂いについては我慢せず、いろいろな手段を前向きに試すことで、人間もしっかり頑張れるな、と思いました。
理想はあるけど限界もある
うちの場合は膵臓肝臓が悪くなっていたせいか、多分ですが衰弱のスピードがかなり速かったです。健康状態が半日単位で悪くなり、振り返ってみると状態が行ったり来たりすることはありませんでした。
日中はだけでなく、夜中に吠えたり、動いたり。水を飲ませてみたり飲まなかったり。痙攣などが起きた場合は、名前を呼んで触っておさまるまで対応するものの。改善する症状ではないため「手を尽くすにも、できることに限りがある」という現実がありました。
できるだけ側にいてあげたいと思ってはいるのですが、何日も徹夜することはできません。夫婦で交代で起きたりしたのですが、犬のことだけが生活の全てもありません(子育てや日常のこともあります)。できる限りでしかやれないという現実を突きつけられました。
実際に3日目あたりは睡眠不足で、子供を車で送る予定を、危険なので急遽電車に変更したりしました。その用事が済んだ後も、意識を失う様に寝てしまったり。
人間の理想に限界はないのですが、実行する体力にも経済力、時間にも限界はあります。そのあたりの折り合いをつけ、現実的な選択を取るしかないのだな、というのが良く分かりました。
目につくこと、音がきこえること
面倒を見るのに、どこからでも見えれば心配がありません。我が家の場合は幸いに玄関がその場所でした。また、2階にあがっても階段が吹き抜けの役割を果たすので、音が遮られることなく聞こえます。変化に気がつきやすい環境でした。
それが翻って「常に目がいってしまう」「常に耳が気にかけてしまう」という環境でもあるのです。
人間に休憩を挟ませない、常に監視を強いられるという状況は、神経をかなりすり減らさせます。面倒をみたり変化をみつけることを、したくないわけではないのです。ただ「常に目がいってしまう、気になってしまう」という環境は実際にそうなってみると、ストレス量がもの凄いのです。
こうした状況に真正面から向き合いすぎずに、きちんと犬の面倒をみる工夫が大事だと思いました。実際にいつもは家族でいく買い物にも、私以外の妻と子供で買い物をしてもらい、その間は犬のことから物理的に切り離しました。
正義や愛情を犬だけでなく。うまく自分の方に向けるやりとりをしないと、犬より先に人間がダウンしてしまいます。
とにもかくにも
この犬は自宅で生まれました。思えば出産から最期までの全てに関わったのは初めてかもしれません。同時に人生でこういう経験は2度ないかなと思います。
もう1匹の老犬も姉妹なのですが、こちらはまだまだ元気です。寂しそうにも見えますが、実際の気持ちはわかりません。
長男は犬が玄関にいる間は「気になっているのかな?」と思った時もあったのですが。いざ亡くなるとショックで泣いて、大変でしたが親としては少し安心もしました。
火葬をしてくれるお寺の都合もあり、その後も滞ることなく終わりました。庭のかつていた場所に、落ち着いたら家族全員で骨を埋めてあげようと思います。
更新 2021月11日09 19時27分