愛情や信用はヘソクリくらいの勘定でいい(平文版)

昨日久々に腹が立つ案件が個人であったのですが、いつまでも怒っていても仕方がありません。怒っている理由はだいたいが「自分が他人にしないように心がけていること」を自分がされた時です。自分の普段の心がけに泥を塗られたような気持ちになり、怒りと悲しみが湧いて来ます。

怒りをおさめるべく、あるいは悲しみを慰める中で「ああ、そうか。こういうことなのか」と改めて分かったことがありました。それらが綺麗な数珠のようなつながりがあるとも気がつきました。そのつながりについて少し書き記したいと思います。

私は普段システム構築を仕事にしています。その仕事はつまり、「見えないものを見えるようにすること(可視化)」「数がないものに数を与えること(数値化)」の二つです。

管理は会社の資産を守り、育てるために必要です。管理を行うために可視化と数値化をする。それらを駆使して現状を把握し、分析を進め、管理を実行するのです。

いろんなものには「限り」があります。時間も、資源も、お金も、人も。管理はこれらを最大限有効に使うための手段です。切り詰めすぎも良くありませんが、無駄ばかりの状態が続くようなら、管理して改善をしなければいけません。

管理は大事。だから可視化も数値化も大事。全てにおいてそう思ってました。ですが、どうやらそれが全てには当てはまらない。むしろ、愛情や信用については「そうしてはいけない」。そう気付けたことが、一つの大きな発見でした。

愛情や信用はどこから生まれてくるのでしょう。謎めいた人類の問いのようですが、仕組みはシンプルです。相手の行動や言葉が、愛情や信用の生まれるきっかけになります。相手の行動を受け取り、喜びや感謝の気持ちが生まれた時。感じた喜びや感謝は、相手に対する愛情や信用に変わるのです。

この仕組みを逆から見ると、自分が相手から愛される、信用される仕組みが分かります。自分の行動や言動が、相手にとって豊かなものであれば、相手にとって喜びや感謝の気持となり、愛情や信用に変わります。

愛情や信用に形はありません。形がなければ、見ることも数えることも出来ません。とはいえ、それらひとつひとつに違いはあります。身近な人への愛情と見知らぬ人への愛情は、同じにはならず、差があるはずです。

差があることは、数値化のきっかけになります。いろんな想像と工夫の物差しを作れば、可視化して数値化することはできるのです。曖昧さに独自の物差しをあて、可視化して数値化する。これは人間の知恵が生み出した大きな技術の一つです。

ところが、愛情や信用にこのやり方は、どうやらあまり上手くいかない。むしろ、やればやるほど悪くなってしまう。2つ目の大きな発見でした。

愛情や信用に対して物差しをあてることが、なぜ良くないのか。それは人が、形や数があるものを「運用」しようとするからです。

「運用」とは損得の計算です。信用や愛情において「損得を計算する」とはどういうことなのでしょう。人は誰もがズル賢さを、大なり小なり持ち合わせいます。その狡賢さが信用や愛情においては、悪い方に作用してしまうのです。用心深さを忘れ、愛情や信用を簡単に取り扱うようになるのです。

「私はある程度信用されているから、これくらの失礼なら大丈夫だろう」

「子供には愛情をたくさんかけてるし、これくらいのぞんざいは許されるだろう」

愛情や信用を担保にして。失礼やぞんざいな態度を、自分自身が許してしまう。愛情や信用を理由にして。自分が許されるよう相手に仕向け、自分が傷つかないようにしてしまう。これこそが「信用や愛情における損得計算」です。これは立場に上下のある大人同士だけではなく、親と子供の間でも十分に起こり得ます。

「愛情を理由に、自分の失礼な言動を許させようとする行為」どこまでいってもこれは「自分の我儘や理不尽に、自分勝手に理由をつける」以外の何物でもありません。昔の人はこれを「品がない」と言ったのでしょう。今も私個人には、その感覚は生き続けています。ではなぜ、品がないのが駄目なのでしょう。

品がない相手に対して、人の感情は「冷める」のです。感情が冷めた相手に対しては、愛情や信用だけでなく、全の価値も感じなくなります。全てがゼロになるのです。自分にせっかく本来ある価値も、愛情や信用を軽く扱った結果、評価がゼロになる。全く意味がありません。

愛情や信用の運用は、自分自身の価値をゼロにし、取り返しのつかない結果を生み出すリスクがあります。愛情や信用は、運用の目線で扱われるべきではないのです。愛情や信用の可視化・数値化を避けることは、運用自体を遠ざける大きな手段となります。

もう一つ問題があります。愛情や信用に与えた数字は、もともと想像で自分がつけたもの。自分の物差しひとつで大きくも小さくもなるのです。運用に慣れた人は、慣れれば慣れるほど最初の数値をごまかします。だいたいが大きい方に。癖が悪くなるのです。

運用に慣れると欲が出ます。「もう少し迷惑を掛けるけど、あの人は大丈夫だろう」自分勝手な解釈で元の数字を大きくし、粉飾で計算をするようになるのです。もっと怖いのは、自分自身に粉飾している意識が、全く無くなってしまうこと。

粉飾を繰り返し、失礼やぞんざいを積み重ねてしまう。自分が勝手に「大丈夫だろう」と思っても、現実は悪くなっている。最終的にはその状態すら分からなくなる。いよいよ最悪です。

もうひとつ。人はこういう運用に慣れてしまった時、間違いなく記帳をしません。愛情の残高も、迷惑の累積も。細かく記録しているはずなどなく、愛情や信用を消費したことも忘れているのです。記憶に頼った自分に都合の良い収支では、そもそも計算が合うはずがありません。

やってはいけないことが分かれば、愛情や信用に対する向き合い方はシンプルです。愛情や信用。無形のものを数値化して、ぎりぎりまで消耗しようとしないこと。そういう計算をしないこと。

自分の行動が相手に感謝される機会があっても、その効果を期待して数値化しない。だたし、自分の行動を「なかったこと」にするのも無理があります。なぜなら、本当にあったことだから。なかったことにすることで、自分が苦しんでも意味がありません。

結局、愛情や信用に対する姿勢。捉え方やスタンスが大事なのだと思います。私としてはその塩梅が「愛情や信用はヘソクリくらいの勘定でいい」ということなのです。

会社や家計のように細かく勘定はせず、いざという時に自分の助かったらありがたいと思ってコツコツと貯めていく。

人に期待しすぎず、かといって無にもせず。愛情や信用があるということが「いざという時のアバウトな担保になるかもな」くらいが、日々の自分の過ごし方としてちょうど良いのではないか。そんなことを再確認しました。

https://emptyhouse.jp/nikki/entry-3121.html
こちらは昨日書いた日記なのですが「箇条書きとか使わず、平文で丁寧に書いた方が、印象も柔らかくなり、内容もより伝わりやすくなるのではないだろうか」と思って平文で書き直した物です。軽い気持ちでやったのですが、ものすごく時間がかかりました。そして思った以上に文章の勉強になりました。書き直した日記も完璧には遠いですけれど。ひとまずやりました。

更新 2022月02日04 20時14分

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勝又孝幸

株式会社データファーム

FileMakerシステム制作を中心とする「株式会社データファーム」という小さな会社の代表です。2007年から趣味で書いている日記を個人ブログとして現在も続けています。

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