師匠と作った同人誌
長くなってしまうので最後にコラムの写真を載せてあります(6枚)
2000年から2002年くらいかな。正確にはわからないけれど。その当時つくっていた同人誌を保存していたものが出てきた。A3のクリアケースにしっかりと保存していたのだけれど、一部そうなっていないものがあって。ケースはすでにあったので、開いて両面をそろえながら、軽く見返しながらしまっていた。
松浦さんという人生の師匠が亡くなったのが2002年か。あっという間に20年も経ってしまった。これについては何の遠慮も思惑もなく「あっという間」だと思った。歳をとった。紙面を整理しながら、この同人誌をつくる工程を色々と思い出したのだが、まあよくも作ったもんだと思い直した。
当時松浦さんは70代で、編集長ということで若手が色々動いていた。僕は副編集長って感じで動くことに。A3コピーの同人誌が毎月4枚。会費は年間3000円。そこには郵便切手の代金、封筒、紙代、コピー代金も入っているので、はっきり言って赤字だ。作業する人間の利益など出るはずもない。
しかも原稿は郵送でおくられてきていた。気を利かせてくれた人は紙面のサイズにあわせてワープロやパソコンで書いた原稿を送ってくれていたが、手書きのものも多かった。そうなると浅草のトンカツ屋の奥で、タイピングできる人間がだれか打ち直していたのっだ。味のあるメッセージはそのまま手書きで掲載することもあったが、基本は打ち直し。高齢者にとってはそれも投稿しやすい要素だったと思う。
そして〆切との戦い。あの人の原稿がくるはずだからもうちょっと待ってみようとか。メールないし、電話番号も控えてはいない。くるはずの便りを信じて、コピーをとめて、紙面の切り貼り(A3の台紙に切り貼りして紙面を作っていた)を待って。全てを止めて待つのだ。紙面と信頼のために。
新しい入会者がいれば住所録を更新しラベル印刷をして。コピーも事務所を持っている人のコピーをご厚意で使わせてもらったり。今より昔の方がレザーのトナーは高かったので、心情的には本当に「大変だけど、お世話になっているから使ってもらおう」という好意一つでしかなかったと思う。
みんなの信頼と手間と時間と思いを、毎月手作業で形にして、郵送しては届けて。これはぎりぎりインターネット以前のお話で、当時はそういう活動が日本にはきっといくつもあってそうやって文化や趣味や趣向を育てていたのだ。不便な分だけ労力も多かったが、そいう不便や時間を何で補っていたのか、というと今は多分「願い」だと思う。今よりそういう願いがあった。
かといって時計の針は前にしか進まないし。昔に戻れとも思わないけれど。やってみないとわからないことがいくつもあるし、不便の全てが不利益かというとそうでもなかったのだ。松浦さんは70代でそういうものを取りまとめていたし、原稿は最期まで瑞々しい方だったと思う。
更新 2022月03日08 11時33分