善意の声は小さい

ちょっとそういう現場に出くわしたって感じなんだけど。理不尽なクレームほど声が大きくて。その上そもそも理不尽は負荷が高いこともあって疲れてしまう。疲れることが大声でやってくる。そうなると「自分のやってることは喜ばれてないのかな」と誤解してしまう。

理不尽な人は声が大きいほどクレームがよく届くことをわかっている。計算だったり、あるいは本能だったり。数を増やすと効果があることもわかっている。

でも実際はそういう人はごく一部だ。世の中のごく一般的な仕事に対して、少なからず人は満足しているし、そのおかげで社会は成り立っている。特濃の感謝はないにしても、きちんとありがたみを感じている人が99.9%の世界だ。

ただその人たちの声は薄い。あるいは小さい。ほとんど聞こえない。小さな声はどれだけ集まっても小さいままで、当事者には届かない。届くのは善意・悪意関係なく大きな声だ。その仕組みが悪意によって利用されやすい。

10000人が満足していても、5人が大きく不満を訴えたら。当事者には5人の不満しか聞こえない。自分に対するリアクションは100%悪意、ということになり、すっかりメンタルが疲れてしまう。そんな仕組みだ。10000人は姿形も見えない。認識されていない。

これがまずい状況だと思ったら、善意の側もきちんと声をあげることが大事だ。でも大体において善意の人は目立つことを嫌う。人が良く「わざわざ声をだすのもどうか」と思うし、言ってしまえばわざわざ声を出すのが面倒だ。そこまでして、という気持ち。

良い声と悪い声の特性が、ちょうど凸凹のようにぴったりとハマってしまっているのかな、と思う。

なので。先日出会した現場できちんとお伝えしました。

「善意の声は届きにくいですよね。感謝してる人がほとんどで、いっぱいいます。大丈夫です。僕も感謝してます」

これについては論より行動が大事。善意の声をもう少し大きく、数をふやせるようにしたいなと思います。


更新 2022月04日08 11時43分

関連記事

この記事のハッシュタグに関連する記事が見つかりませんでした。

勝又孝幸

株式会社データファーム

FileMakerシステム制作を中心とする「株式会社データファーム」という小さな会社の代表です。2007年から趣味で書いている日記を個人ブログとして現在も続けています。

最新記事

カテゴリー

アーカイブ