人の10倍時間がかかるので、10分の1の仕事を引き受けられるだろうか。
Vaundyの「mabataki」を聴きながら。
今のことも考えるけど、老いについても色々考える機会がある。
自分は「60歳になった時に、20代の仕事で、顎で使ってもらえるように」って思ってる。顎で使うはちょっと表現に難があるけれど。若い人に構ってもらえる、興味を持ってもらえる人でありたい、ということだ。
そのことでふと考えたのだが、若い人から何を引き受けるのか。何を手伝うのか。自分の積み上げてきた経験や仕事が、何かしら役に立てば。そういうベースで考えてきたのだが、それは違うような、というか。その1本槍では足りないような気もする。
若い人の仕事を手伝うのならば。若い人のできない仕事、歳をとったからこそのノウハウ、と思っていたのだが。そのノウハウ将来役に立つかな?
若い人のやってる分野で手が足りない。その時になんとか手伝えること。老眼も老いもあるので、若い人の10分の1しか動けない。若い人のやっている分野の10分の1しかわからない。100分の1しか手が動かない。
それでも「10分の1はできるので、その分手伝えます」と言えるかどうか。そんな気がしたのだ。
そうなると。やっぱ「その時代のこと、新しいこと」から逃げることはできないなと思った。億劫、面倒。それでも手を出してやってみる、触ってみる。コツコツを駆使して逃げない。続けることで、わかるが増えて興味が出る。
この道を自分から降りることは、許されないのかなぁ。なんとなくそう思った。強い根拠はないのだけれど。
もう一つ言えば「自分の都合の良い老後や、自分がやりたい範囲の協力」というのは、現実問題難しいのかもな、と。
更新 2022月10日07 09時25分