AdoもVaundyも日本語のまま海外で成功する

紅白のVaundy素晴らしかった。録画を忘れてあまり後悔することはないのだけれど、これだけは後悔。録画すればよかった。

怪獣の花唄はもちろん。そのあとのおもかげも。2度とないコラボレーションだと思う。頭ではわかっていたのに、気持ちでわかってなかったな。とにかく当日のパフォーマンスが素晴らしかった。それだけに録画抜けを後悔している。

ところで、インターネットやYouTube、決め手はSNSだと思うのだが。去年は藤井風の「死ぬのがいいわ」が世界中でヒットしたようだけれど。(藤井風は何故か自分的にぴんとこなくて、チェック外)同じ様な流れはAdoにしてもVaundyにしても来ると思う。端的にいえば、彼らも世界中で売れる。

その時によく「歌詞を英語にして」という手法が必須だと言う人がいる。英語を覚えて、歌詞を英語にして。このあたりの必要性ははっきりいって全くない。これからの時代は、ローカルの表現がそのまま世界中で売れる。

英語についても「それを理解する人口が多いから」というところがあるのだろう。一番多い顧客の言語に、表現者が合わせないと、という考え。これは古い。

もう少し詳細に言うと

  • SNSなどでは多言語対応はあるべきだが、
  • 根元になる作品自体を多言語化する必要はない

ということだ。

コンピューターとインターネットの発達がさらに加速した成果なのだと思う。言語は簡単に翻訳できるし、観衆がアーティストの母国語で感想を伝えることも多くなってきた。翻訳ツールが無料で簡単に使えるからだ。

動画素材が大量に増え、母国語以外の言語を聞く機会も増えた。観客に柔軟性が生まれ、自分の言語や英語以外の曲でも楽しめる様になった。

むしろ「その地域の発音」自体が興味につながることも増えてきており、多言語化することでそもそもの魅力が失われる可能性も高い。

観客は「ありのままの表現を喜びたい」し「ありのままのものを理解したい」のだ。

日本語は特にアニメーションと共に届けられることも増え、共感や感動の中に日本語が含まれ、普通に楽しまれることも増えた。いわば日本語であることが強みで、それをわざわざ下位互換的に英語で表現し直す必要はない。

つくづく時代が変わったなと思う。地球の広さは変わらないが、情報の世界は近くなった。エンターテイメントは常に「そこにある」もので「遠くのもの」ではなくなっている。あいかわらず「異国のもの」ではあるけれど。

それらは常に近い存在で、つくづくインターネットが世界を変えたのだな、と思う。



更新 2023月01日18 10時31分

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