お金「で」なんでもできるけど、お金「が」なんでもできるわけじゃない
物価があがるにつれ、色々と考えることは多くて。
誰でもお金の備えがあるに越したことはない。メンタルも安定するし、どんな方面からでもお金の効果って大きい。
それでも、なんとなく思うことはある。その一つが、お金の価値が薄れていくのかな、ってことだ。
カップラーメンにお湯をかけたらラーメンになる。カップラーメンがだいたい200円くらい。じゃあ200円にお湯をかけたら。
当たり前だけど200円にお湯をかけても、ラーメンにならない。
200円でラーメンが買えるのは、社会が動いているからだ。でもその社会の動きが鈍くなったら。200円でラーメンは買えなくなる。
ラーメンが希少になり、価値があがり、400円になるかもしれない。1000円になるかもしれない。
結局、お金の価値は社会に支えられている。お金にこだわるのは良いけれど、社会がどんどん悪くなれば、そのこだわりも無駄になるよなーって。そんなことをわりと考えている。
じゃあ社会を育てるものは何か。すっごく究極に一言にまとめてしまうと「若さ」だと思う。
結局、若さは人が担うのだ。現在の高齢者社会というのは、その真逆。それがすごく怖い。やばみがめちゃくちゃある。
若さは、残念ながら「一生誰もが持てる」ものではない。その代わり「誰もが一時は持っている」ものだ。人生の元気な時期、それが若さと言っても過言ではないと僕は思う。
でも、今の社会では。若さは割と「あやうさ」と取られることが多く、資産や責任が与えられることが少ない。
そうなると、どんどん若さが腐っていく。ドブに捨てられていく。
そうやって、社会がさらに弱くなった時に。その弱さの影響を受けるのが「あの時苦労した、若かった人たち」になってしまうこと。
これがどうにかならないか、と本当によく思う。
若さを通り過ぎた人は、なぜ若さに投資できないのだろう。
更新 2023月10日13 11時18分