お酒は、コミニケーションの潤滑油にもなるし、壁にもなる。
最近は、本当にお酒を飲まない。
つい先週ぐらいから、寝るのが趣味になった。
笑われてしまうかもしれないが。寝るからこそ、動くこともできるし、日中パフォーマンスも出る。
お酒を飲んでしまう事は、睡眠のパフォーマンスを著しく下げるのだ。
唐突にこんなことを言い出したのは。
先日、そろそろ70歳になる男性に、お酒を飲みながら、こんなセリフを伝えられたからだ。
「お酒って、コミュニケーションの潤滑油になるんだよ」
確かにそうだよな、とは思う。
お酒を飲むことで、くだけた空気になる。いろんな壁を気にせず喋ることができる。実際に、自分もそういう経験がある。
だから、それを否定はしないのだけれど。でも、全面的に賛成できない違和感もどこかにある。
これは、一体なんだ?
そう思っていたら、なんとなく正体がわかった。
お酒は「お酒を飲んでいる人同士」にとっては潤滑油になる。
けれど「お酒を飲まない人」にとっては、コミュニケーションの壁になるのだ、と。
夏頃に、地域のお祭りがあった。年齢性別関係なく、色んな人がいるのだけれど、公会堂の一角に、お酒を飲む人たちが集まり、その集団はずっと固定されたままだった。
お酒を飲むと、どうしても理性は少し弱くなる。
そういう状態での表現や言動は、お酒を飲まない人にとっては、ちょっとした恐怖感もあるのだろう。何か少し絡みづらい、というのか。
お酒を飲まない人にとっては。わざわざその集団に、自分から入る必要もないのだ。そうやって、親睦を深める対象から、外されるのだと思う。
これは、お酒を飲む人が悪い、というのではない。お酒を飲まない人にとって、そもそもお酒が敬遠要素なのだ。
だから、お酒を飲まない人にとっては。「お酒自体」が壁になる。
「お酒はコミュニケーションの潤滑油」と言うのは。すべての人に通じるセリフではないのだ。
お酒を飲む人にとってはそうだ。でも、お酒を飲まない人にとってはそうじゃない。
お互いが交錯しない、ねじれの位置があるのだ。
更新 2023月11日24 08時57分