人はナイル川を勝手に作る
歴史の授業で習った記憶に、エジプト文明における川の氾濫がある。
今のような建築技術もなく。川が何度も濁流しては、人の住まいを襲う。
川の動きは不規則で、予測が難しい。今日安全だった場所が、明日も安全とは限らない。
氾濫の度、たくさんの人が亡くなったと言う。
一方。川は氾濫で、多くの栄養も運んだと言う。その栄養で豊かになった土壌に、命をつなぐ実りも生まれたのだ。
このナイル川から、恩恵だけを取り除いたもの。
それが、ここ近年のSNSだと思う。
川は自然が作ったものだけど、SNSは人の手で作られたものだ。
本来なら、人の手で止められる。でも、完全にやめるのは難しい。自分もそうだ。
SNSは、お酒やタバコと似ているのかもしれない。
昔はSNSにも魅力はあった。集合知が生まれたり、ニッチな情報を探し当てることができたり。
でも今は。検索機能も乏しくなり、広告や不要な露出も増え。恩恵はほぼ、なくなってしまった。
一方。人のふるまいや能力への、悪い影響は増えた。
相手に直接意見を伝える技術や胆力は、昔よりも低下していると思う。
リツイートが多用され、第一次発信者として、責任を負う力も減った。
誰かの意見に便乗して、その意見の風向きが変わったら。
「自分のせいではない」と、言いかえられる世の中だ。
SNSで僕らは、社会を俯瞰で大きく見れるようになったのかもしれない。
でも、その大きさを。たった一人の人間が、丸ごと直すことはできないのだ。
他人を助けることが、自分を助けることにつながる。そうやって、自分以外の周りが良くなる。
そう思える人ほど、責任感が強い。自分では解決できないこと。そこにまで、心を痛めてしまうのかもしれない。
その痛んだ心に。自滅のスイッチは、近かったりするのだ。自分もそういう方向の人間なので、それは本当によく分かる。
だけど、生きてこそだ。
ナイル川に立ち向かおうとしなくても良い。
逃げる、備える。知恵に頼って、真っ正面から戦わない。
何でも、真正面から見据えることのできる、立派な人だからこそ、そうすべきだ。
心の中の「正しい、正しくない」は。生きていく上では、本当に大事なことだ。おろそかにしてほしくない。
けれど、それも。生きてこそ、の次に来ることだ。
他人を悪人にできる奴は、何でも簡単に、いつもどこかで笑っている。
悲惨なことが起きれば。その時一瞬、悲惨だね、と振る舞うけれど。誰よりもすぐに忘れて、また自分の悪事を、誰かのせいにするのだ。
生きてこそ。
そのために手放せる事はいくらでもある。一時的にも、いつまででも。
そのために、いくらでもずるくなっていいのだ。
未来の方が絶対に良い、と信じて。少なくとも、僕はあがく。
更新 2024月01日30 17時38分