物語の、始まりと終わり
我が家の老犬が天国へと旅立った。
「バタバタしている」という日記を書いた、次の日のことだ。
ご飯を食べさせたり、排泄を手伝ったり、歩けるようにサポートしたり。日々のことを淡々とこなしていた、ある日の翌日に突然。
食べることも、飲むこともしなくなった。立ち上がろうとするも、難しい。
ゆっくりと呼吸をしたり、時に早くなったり。足をバタバタと少し動かしたり、静かにしたり。そうやって、ゆっくりと静かに過ごしながら、天国に旅立っていった。
寂しさはあるけれど、悲しさはない。
ラブラドールレトリバーの母と、よくわからない野良犬の間に生まれた、大型犬に近い犬種。それで17歳まで生きた。充分に大往生。素晴らしく、長く生きたと思う。
病気もなく、純粋な老衰。痛がったり、苦しむこともなかった。それは本当に良かったことだと思う。
我が家も、子供まで含めて。介護の体験を、愛情持ってさせてもらった。誰にとっても、貴重な体験だったと思う。
つまりは、やり切ったのだ。
私も妻も、介護を通じて。そのことをはっきりとわかっていた。だから、後悔や悲しさはない。ただ、来るべき時が来たのだ。
誕生から最期まで。全てに関わり、最後まで見届けられた事。自分の人生にとって、非常に貴重で稀有なことだ。同時に「自分の人生も、だいぶ進んだんだなぁ」ということも感じた。
人生の終わりについても、色々と学ばせてもらった。
ピンピンコロリが理想というけれど。ある意味、それは「健康なまま、体に余力を残して死ぬ」と言うことだ。今回の我が家の老犬は、そうではなかった。完全に全てを使い切ったと思う。
すべてを使い切って終わるには。
どうしても、最後に誰かの助けを借りる必要がある。助けてくれる側から、愛情もらいつつ、助けもいただけるのであれば。人生に、こんなに良いことはない。
「そのように、自分が人生を終わるには。今後の人生を、どう過ごしていけば良いのだろうか」
そんな、疑問とも課題ともいえる考えを、持つことができた。その答えについては、今も考え続けている。
今までなかった、人生の先、遠くに投げるボールが、新たに増えたこと。我が家の老犬から最後にもらったものだ。
このギフトが、自分が人生を続けていく上で、かなり大事な価値観になる予感がしている。
更新 2024月08日05 09時28分