「もう別に、わからなくてもいいよ」と思った。
子供たちには、毎朝ドリルを1ページ、解いてもらうようにしている。朝が無理なら学校から帰ってきてからでも。
このドリルで身に付けて欲しいのは、学習効果よりも習慣化。
コツコツと積み上げることが、苦手だったり、苦にならないように。そう思って、子供達に取り組んでもらっている。
次男のドリルの丸付けをしていた時、ちょっと驚くようなことがあった。
むかしの物についての問題。そこに蓄音機のイラストがあったのだが、次男は「CD(プレイヤー)」と答えていた。
そう言われれば、そうも見える。次男の間違いよりも「確かに、似ているかもな」と、感心してしまった。そしてその後、
「別に、もう。蓄音機がわからなくてもいいな」と思ってしまった。
自分に自然とそういう気持ちが湧いてきたことにも、びっくりしてしまった。
今時、脱穀機がわかる大人もおるまい。それと同じことだ。
夕食時に、その話題を出したら。次男曰く
「蓄音機と言えば、エジソンの蓄音機の形しか知らなかったから。蓄音機自体は知っているよ」とのこと。
でも、もう本当に。これからの人は、蓄音機を知らなくてもいいと思う。
僕ら世代がこれからの人に対して「自分たちの当たり前を知らない」と驚くことが。
これからの世代からすれば、それこそ驚きなのだと思う。
更新 2024月11日08 08時46分