何も考えていない、を言い換えると

子供が大きくなって。

自我が出てきたと言うのか、そこは気にならないというのか。いかにも思春期の特徴なのかな?と思うことがある。

長男が今朝、中学校のジャージのズボンを履いていた。今は春休み、今日は特に部活もない。

もちろんズボンは他にもある。わざわざジャージのズボンを履かなくても良いのだ。

急にどこかに出かけるかもしれないし。素直に、普通に私服のズボンを履けば良い。

履き心地だって、別に悪くないのだ。

大人からすれば「わざわざ、ジャージを選ばなくてもいいのに」という気持ち。

子供にどうしてジャージを選んだのか聞いてみても「別に」とのこと。

一連のやりとりで、つい「何にも考えてないなぁ」と思ってしまった。

けれど、その言葉を子供にそのまま伝えたら、きっと嫌な気持ちになるだろう。

翻って自分にも、そういう事はなくはない。

「なんとなく」でも、ちょっと考えれば、もっと良いやり方はあった「けれど、そうしなかった」みたいな。

このあたりの状況や感情を「何も考えていない」と言われたら、やはり気分は良くない。

この言葉を、どう言い換えればいいのかな。そんなことを考えていた時に。ふと、こんな言葉が降りてきた。

「自分の成り行き」

少し癖のある響きにだかれど、割とこの状況を捉えた良い言葉ではないか、と思った。

少なくとも「何も考えていない」よりも柔らかい。

また似たようなことがあったら。

「自分の成り行きでそうなったんだね」

と、言おうかと思う。

実は「自分の成り行き」と「自分なりの成り行き」この2つの言い回しで迷っている。

この辺りは、今後両方使ってみて。どちらかが残っていくのだと思う。

けど。結局、どちらも残らない可能性もだいぶある。



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勝又孝幸

株式会社データファーム

FileMakerシステム制作を中心とする「株式会社データファーム」という小さな会社の代表です。2007年から趣味で書いている日記を個人ブログとして現在も続けています。

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