iPadと朝のニュースの口蹄疫と。
まいど。
最近、ちょっと体力が足りない。
もう一頑張りの体力がない。
改善ポイントだね。
■口蹄疫の報道規制が解けたそうで。
やっとこさニュースとして大きく取り上げられている模様。
報道規制が真実か否か?
あるいはそうだったとして、報道規制が正しいか、間違っているのか。
このあたりは難しい問題だろうと思う。
初期で火を消すことができたなら、報道規制でOKだと私は思うが、
ある程度加速度的に広まってしまいそうなら、その時に一斉報道したほうがいいと思う。
未知なもの(=普段なじみのないもの)は、大きくなればなるほど「知らない部分」が恐怖になる。
その恐怖が「悪評」となって独り歩きするでしょう。
病気が拡大すれば、更にそのスピードは増すわけだし。
こういうものの判断は、実生活でも色々あるけれど、
どのリスクを覚悟するか腹を決めれば、被害は最小限に収まるケースが多いと思う。
そういう意味で、ちょっと遅いのかな?と外野の俺は思ったりしている。
口蹄疫が出た施設は五年間は使えないそうです。
家畜の殺処分、その後の方向性を考えただけでも、本当に胸が痛い。
■さて、話はiPadに流れていきます。
でね。
こっから別の話です。
朝ニュースを布団に入りながら聞いていて
あー、やっと報道規制が解除されたのかって思った。
ホントか嘘かを別にして俺は「報道規制がされているらしい」って知っていたわけだ。
これはなんでだろう。
そう、ネットで情報を得てたから。
ソースは不正確、信憑性もいまいち。
でもネットで一定の人数が「報道規制された」といっていることを根拠にしたある程度の信憑性。
そんなものを頭の中でまとめた上で。
自分の中の情報の一つとして「報道規制があるらしい」ってフラグが立ったわけです。
かたや自分の両親はどうだ。
多分だけど、これからその多くをテレビや報道を通じて知っていくのだと思うわけです。
この差は何か。
「ネット」があるかないか。
根っこはこなのです。
■情報の選択枝(=チャンネル)をiPadが与える
布団の中で上記の事を思った時(布団の中だから、もう少しリラックスしとけってのはありますが…)思ったのは
あー、iPadがあれば、情報の土台は俺も両親も同じだったかもっていうことでした。
文字にしてみれば単純なことなんだけど、それは俺にひらめきとして入ってきました。
ネットがない人々ってのはたくさんいて、その人たちに「ネット」って情報のチャンネルはない。
それを「より手に取りやすい(=ローカル)なモノとして与えるプロダクトがiPad」なんだと再認識しました。
結局情報を求めるっていうのは「釣り」に似てると思います。
一つの海で魚をとっていても、
あっちの海ではもっと魚が取れるぜ(違う魚が取れるぜ)となれば、そっちの海に自動的にでかけていきます。
今までは「マスコミ」っていう海しかなかったわけです。情報って言う魚を捕まえるためには。
そして今は
けっこうな人が「ネット」っていう別の海も「知りかけている」という時期だと思うのです。
iPadが狙う目標はその先。
全ての人に「ネット」という別の海を与えることなのかなーと。
そんな風に朝布団の中で感じました。
マスコミの情報が正しいのか。
あるいはネットの情報が正しいのか。
そういう基準が必要なのではありません。
これは最近別の話でありましたね。
flashが正しいのか。
html5が正しいのか。
必要なほうをユーザーが選んで使えばいいだけでしょう。
同じように、言い方が大げさかもしれませんが、全人類に。
まんべんなく「マスコミ」と「ネット」の二つを十分に利用できる形で提供すること。
それがiPadの狙いなのかなーと思いました。
そしてそこで新たにできる事がたくさんあるはずです。(まだ見えていませんが)
選択肢を与えられれば、人は判断します。決断します。
そうなったときに今の世の中ではない、新しい世の中。
その胎動、はじめの一歩が、どこからともなくあらわれる気が、今しています。
その一歩が起きるまでの、まずは今。
ってことで。
さて今日も朝日記完了。
仕事の方も、自分、がんばろまい!
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